歴史のなかの祝詞(のりと)

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    タッキー816 みのおエフエム提供 古田武彦ラジオ講演
    みちばたサミット第3回 老年のための古代史 歴史のなかの祝詞(のりと)
    http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/mitibata/norito03.html
    二〇〇二年二月十四日放送

    歴史のなかの祝詞


    古田武彦Podcasting講演

    (こんにちは。水曜日のみのお道ばたサミットは、森藤裕子の担当でお送りします。これからの五十分間、どうぞ、ご一緒におつき合いください。)
    (こんにちは。水曜日のみちばたサミット。きょうスタジオにお出でくださいましたのは、古田武彦さんです。きょうで三回目のお話ということになります。、きょうは老年期のかたがた、熟年の方を対象にお話をしていただけるとのことで楽しみにしております。)
    (先生、どうも忙しいところ、有り難うございます。)

     きょうは、わたしと同じ老年期の方がたをイメージしながら、しかし内容は過激な内容を含んでおりますが、祝詞について。みなさん神社でおこなう祝詞(のりと)についてお話したいとまいりました。

    (そうですか。その祝詞とひとくちに言いますが、いろいろあると思うのですが。どんなお話から、うかがえるのでしょうか。)
     その祝詞(のりと)ですが、わたしは、これは縄文時代からあったものと思っています。わたしが信州の松本におりましたときですが。青年時代ですが、浅間温泉におりまして、そこの下宿の開く窓から、障子(しょうじ)を開きますと、目の前に乗鞍(のりくら)岳というひじょうに美しい山がそびえていたのです。アルプス連峰のなかに。アルプス連峰の中で一番高い山は穂高岳ですが、そのアルプス連峰の中で、第二峰・第三峰にあたる山ですが、ひじょうに姿が美しい山でございました。 この「乗鞍(のりくら)」。字をかきますと乗馬の「乗」と、革偏に安いの、馬の「鞍」と書きますが。なにか乗馬のための山のようなイメージを持ちますが。これはやはり当て字でして、この「乗(ノリ)」は祝詞の「ノリ」です。当て字です。

    (当て字なのですか。)
     そうです。「鞍(クラ)」もやはり当て字でして、祭りの場を「くら」と言います。祝詞(のりと)を捧げる祭りの場という名前をもった山なのです。これは、どこに捧げるかというと、とうぜんアルプス最高の穂高岳。
     現在は、穂高岳をのぼって征服したなんて威張っていますが、これは明治以後のヨーロッパ流の登山家達の考え方でありまして。古代の人にとっては神聖な最高の山は登る山ではなくて、むしろ第二峰、第三峰でそれを祭る対象、神様の居られる山と、こう考えられて来ておった。それで「乗鞍(のりくら)」という名前がついた。
     それがなぜ縄文かと言いますと、実はご存じかと思いますが黒曜石。この黒曜石が縄文時代には、ひじょうに貴重なものとされておりました。なぜかと言いますと、これはひじょうに堅くて、ひじょうに割れやすい。ですから鏃(やじり)とか、その他切るものに最高である。だから金属器がなくて、まだ知られていない弥生以前の時代には、現在でいえば金とダイヤモンドを合わせたようなすばらしい価値を持っていたのです。

    (それは装飾品としての価値ではなくてということですか?)
     装飾品としての価値ではなくて、最高の実用品としてですね。黒曜石というのはもちろん中国語です。漢語です。縄文時代は何と言っていたのか。わたしが探し求めておりましたら、ちょうど九州の腰岳。この山は九州最大の純黒の黒曜石がでる山なのですが。伊万里という町の近くにあります。伊万里富士とも呼ばれたりしております。ここへ行って聞きまして、黒曜石のことを「からすんまくら」と言っていると、お聞きしました。

    (それは色がまっくろだからですか)
     そのように思いましたが、あとで考えてみましたら、そうばかりではなくて、むしろ「カ」は神様の意の「神聖な」。「ラ」は、空・村というような日本語によくある接尾語。「ス」は住まいの意で、たくさんあるところ。神聖な住まいのたくさんあるところが「カラス」で。「マ」は、真実の意で、「クラ」は先ほど言いました祭の場の「くら」。そうしますと「神聖な住まいのたくさんある祭の場」が「からすんまくら」。これが黒曜石のことを言っています。
     この黒曜石は、弥生以後は、いっきょに主役の座からすべりおちる。金属器が入ってきましたので。金属器がだんぜん堅いし、銅や鉄のように自由に作れますし、縄文のような神聖な最高の地位を失ってきた。それで「神聖な祭の場」にあるものだという「からすんまくら」という表現は縄文時代でないと言えない表現なのです。

    (そうですね。金属のほうが、もっと良いものですから。そんなに神聖視しなくて。)
     弥生以後では、そんなに出てこない表現です。すなわち、そこに使われているのをみると「くら」という表現は縄文語である。かって縄文語とはなにか。そう考えて探していて、やっと見つけた。少なくとも「くら」という地名は縄文語である。そういう発見がありまして、その後も「くら」という地名の付いた日本全国の山を歴訪した時代があったのでよ。
    (そうなんですか。)

     いずれも「くら」は、「神聖な祭の場」のところに付いています。この話もはじめるとおもしろいですが、「サクラ」という地名は、けっこう字地名にありまして千葉県の国立民族学博物館のある佐倉は、佐倉惣五郎の「佐倉」。私が以前町田の東京昭和薬科大学に居ましたとき、その前大学があったのが渋谷の近いところの桜新町。「さくら」という地名は、実はけっこうあります。「サ」は接頭語でして、「くら」は祭の場です。
    (「さくら」というのは花の桜では、なかったのですか。)
     後でけっこうチェリーなどを植えたりしていますが。「神聖な祭の場」を意味する「さくら」が日本語の字地名にずいぶん残っています。

     とにかく元にかえりますと、「ノリクラ」の「クラ」は、縄文の祭の場を意味する「くら」である。そこで祝詞を唱える。穂高なる最高の山の神に向かって。その神を賛えたり祈ったり願ったりする言葉を唱える場所として、第二峰・三峰が唱える場所として使われていたから、姿の美しい乗鞍岳が、「乗鞍(のりくら)」という名前が付いた。ということで祝詞(のりと)の「のり」という表現は、縄文時代にすでに使われていた。そのように、わたしは考えています。

    (そうしたら縄文時代の信仰は、すでに出来上がっていたということなのでしょうか。)
     そうなのです。縄文時代のはじめは一六五〇〇年前ということになっています。一万年以上あるわけですから。そのあいだに言葉もなく、信仰もなく、ただ土器だけを作っていたということはありえない。とうぜん言葉があり、言葉のなかにはとうぜん信仰の言葉があり、また信仰する神々が居られた。そういうことだと思います。
     それで祝詞(のりと)という言葉は、由緒の古い言葉である。そういうことをまずお話させていただいたわけです。

    (縄文語という言葉をはじめて聞いたわけですが、日本語の中にでも、ちゃんと縄文語はのこっている。いわゆる、いまの日本語とはすこし違っているのでは。今お話を聞きましたら。)
     縄文語というものは、いまの日本語の基盤になっている。文字通り祖先になっている。


     言葉の問題と言いますと、それだけで時間がたっぷり欲しいのですが。今日は祝詞の一般論はそれぐらいにして、祝詞の中のひとつの特徴のあるものを取りあげて、祝詞というものはどういうものか、考えてみたいと思います。よろしいでしょうか。
    (よろしく、お願いします。)

     ここで取りあげる祝詞は、「六月晦大祓祝詞(ミナズキのツゴモリのオオハラヘのノリト)」、つまり「大祓(オオハラヘ)の祝詞(ノリト)」というものです。日本人は誰でも大晦におおはらい大掃除をおこないます。そして気持ち良く正月をむかえるという習わしなのです。
     ところが、この祝詞には「六月晦大祓祝詞(ミナズキのツゴモリのオオハラヘのノリト)」とあります。「ミナヅキ」というのは、六月です。晦(ツゴモリ)というのは、三十日です。この「六月晦大祓祝詞」というものがありまして「十二月(シハス)はこれに准(ナラ)へ。」と、このように書いてある。
     これをくわしく知りたいかたは、たとえば岩波の日本文学古典体系という赤っぽい本がありますが、その中に『古事記祝詞』などをご覧になられ、終りのほうを見られたら『祝詞』がたくさん載っております。
    (図書館に行かれたら借りることができるわけですね。)

     さて、この「大祓(オオハラヘ)の祝詞(ノリト)」についておもしろいのは、十二月と六月の二つあるということが、まず分かる。
    (師走というのは十二月だけだと思っていたのですが、六月もですか。)

     そうそう六月と(一年に)二回することになっています。
    (ふしぎですね)

     これも非常に重要なことです。実は『古事記』などで、天皇の寿命がたいへん長い。百二十歳とか、百三十歳とか書かれていたので、あんなものはインチキだと言われていた時期がある。実はそうではなくて、これは「二倍年歴」。六ヶ月を一年と考える。そういう暦があったのです。
    (それは縄文にあったのですか。)
     すくなくとも弥生にあった。おそらく縄文にさかのぼると考えられます。実はこれを証明しているのは、第一回目に言いました『三国志魏志倭人伝』。その中に倭人の寿命は九十歳ぐらいだということが書いてある。べらぼうに長いではないか。そうお思いかも知れませんが、じつは、それは半年を一年とする暦。実は四十五歳。かれらは四十五歳まで生きるということを表現している。『魏志倭人伝』に「二倍年歴」の倭人のすがたが示されている。『古事記』『日本書紀』の天皇の寿命が、百二十・三十になっているというのも、やはり二分の一にしますと、四十すこしになる。だから非常にリアリティーがあり、信用できる。そういう「二倍年歴」というおもしろい問題が、実はなんのことはない。「大祓の祝詞」をみれば、すぐ分かる。六月と十二月の大祓。

    (そうですね。これは「六月晦大祓祝詞」と書かれてありますが、抜粋して下さったのは、どの本ですか。)
     先ほど言いました岩波の日本文学古典体系『古事記祝詞』の中からコピーしております。
    (そうですか、手元にいただいております。ここでは「六月晦(ミナヅキのツゴモリ)大祓(オオハラヘ)の祝詞(ノリト)」と書いてありますので、これはこれは一年を二つに分けたということですか。私たちの感覚では。おもしろいですね。)

     その点でも、おもしろい。つぎに内容に入っていきます。ぜんぶお読みする時間はありませんので、いちばん重要なところ、興味深いところを読んでみますと、
    六月晦大祓祝詞(岩波日本文学古典体系『古事記祝詞』より引用、読み上げる。)

    ・・・高天の原に神留りまし、皇親神ろき・神ろきの命もちて、八百萬の神等を神集へ集めたまひ、神議り議りたまひて、『我が皇御孫の命は、豊蘆原の水穂の國の、安國と平らけくしろしめせ』と事依しまつき。・・・

    ーちょっと、途中を抜かしましてー

    天の磐座放れ、天八重雲をいつの千別きに千別きて、天降し依さしまつりき。
    ・・・

     これはなんのことを言っているか。要点は、戦前はよく言われ、老年の方はよくご存知の、「天孫降臨」ということを言っています。つまり出発点は高天原。アマクニと呼ばれる「天国」というところが出発点となり、そこに天照大神。有名な神様ですが、孫のニニギノ命(迩迩芸命)に、これから筑紫の日向の高千穂のクシフル岳、そこに行け。と言われて、孫のニニギノ命が言う通り降っていった。そういう一節が、『古事記』にもある。『日本書紀』にもある。

     祝詞にも、たいていこれが出てくる。この前、青森県の神社でも祝詞で「筑紫の日向の高千穂のクシフル岳」と聞きまして、青森県でもやっているんだと思ったわけです。
     この「天高原」をなにか宇宙船がとんでいる天上かなにかと考えておられるかたが居ますがとんでもないことです。そんなところから古代に降りてこれるはずがない。戦後はぎゃくに、あれは作り話だ。津田左右吉などの説によって、そう言われてきました。戦後の若い人はそう習ってきた人が多いはずです。
    (「高天原はなかった」ということが、今は通説になっていると言うことですか。)

     わたしは、これは両方とも間違っている。戦前の皇国史観の考えも間違いだし、戦後の津田左右吉などの言ったような、これはみな作り話である。この考え方も正しくないと思っています。
     じゃあ!なにか、と言いますと高天原(あまたかはら)・天国(あまくに)。これは「アマ」を「天(テン)」という字を書くから、字にだまされるので、今でも海に潜って貝をとる女性のことを海女(あま)と言いますが、その海人(あま)です。要するに現代人の言い方をすると海洋民族です。海の人々、海の国という意味が、天国(海人国、アマクニ)です。
     『古事記』などで対馬海流上、朝鮮半島と九州の間にある島々は「天の○○」、「天の○○○」とみな呼ばれている。

    (それは、いつの時代から、そう呼ばれているのでしょうか。)
     『古事記』のあるのは弥生時代。弥生時代以前から、そういう古い呼び方があったということが『古事記』の先頭に書かれています。

     それともう一つおもしろいのは、「天降(アマクダル)」と言われている神話がありますが、天降った場所が三ヶ所しかない。一ヶ所は筑紫(現地の人はチクシと呼んでいます)、今の福岡県。もう一つは出雲、島根県です。もう一つは新羅、朝鮮半島です。この三ヶ所しか天降っていない。

    (全部、海に面したところばかりですか。)
     つまり、対馬海峡の壱岐・対馬を原点にした、その周辺なのです。つまり現在の福岡県も島根県も韓国新羅も。どこから天降ったかというと壱岐・対馬。つまり海上の国、海洋民族の国。その天国(アマクニ)から、天降った。このように理解すると、ひじょうにスッキリ理解できる。現に壱岐・対馬の、今の壱岐島の対馬に相対したところに天原(あまのはら)という地名がある。

    (どんな字を書くのですか。)
     「天(テン)」の「原(ハラ)」という字を書きます。その壱岐(島)の「天原」から銅鉾が何本か出ているところです。「天原(あまのはら)」という地名まであります。そういうことで天国・高天原は壱岐・対馬の海上の島々。これを中心にする場所を天国と言います。「高(タカ)」は尊敬の言葉で、高天原(タカアマハラ)を、このように呼んでいます。
    (「高(タカ)」は尊敬の字で、高い、低いの意味ではないわけですね。そうですか)

     つぎは、今言った「天孫降臨」はどこへ降りたか。
     これは「筑紫の日向の高千穂のクシフルダケ」と出ております。

     筑紫(ツクシ)はどう読んでも福岡県で、福岡県のなかで「日向(ひなた)」と字を書いている場所がありまして、これは「ヒュウガ」ではなくて「ヒナタ」と読みます。博多の西の端のほうに室見川という川がありますが、この室見川の上流に近いところに「日向(ひなた)」という字地名がある。

    (今でも残っているわけですか。その地名は。)

     今でもあります。その西側に高祖山連峰というものがあります。「高い祖」と書いて高祖(タカス)と読みます。そこには日向(ひなた)山があり、その隣に日向(ひなた)峠がある。日ひなた向峠のほうから、東のほうへ流れている川が日ひなた向川。その日向川が室見川に合流した平地のところが字日向(ヒナタ)。ヒナタだらけ。
    (おもしろいですね。今でも、そのあたり一帯をヒナタと呼んでいるわけですか。)

     ですから「筑紫の日向」と呼んでいるわけですから、他にも日向(ヒナタ)とよぶところは日本中あるでしょうが「筑紫の日向」と言えばそこしかない。しかも、そこが決定的なのは高祖山連峰のところにクシフルダケというところがある。
    (どんな字を書くのでしょうか。)

     漢字ではいろいろな字を書きますが、カタカナで「クシフルダケ」と考えていただいたら良いと思いますが。その「クシフルダケ」というところに天降ったと『古事記』『日本書紀』でも言われています。博多(福岡市)と前原市とのあいだに、高祖山連峰のところに「クシフルダケ」というところがあるのです。場所はちゃんと筑紫のなかです。ですから筑紫があり、日向(ヒナタ)があり、高千穂としての高祖(タカス)山連峰があり、クシフルダケがあり、(『古事記』『日本書紀』では)「筑紫の日向の高千穂のクシフルダケ」へ、そこへ天降ったと言っているのです。
     ですから天照(あまてらす)の孫は、もちろん軍勢を引き連れてそこを占領したと言っているのです。

    (今まで地名がいっぱい出てきて、たぶん聞いておられる方も夢の中で、地図を想い浮かべて地形を思い起こしておられると思いますので、ここでちょっと音楽をはさんでみたいと思います。よろしいでしょうか。)


    ・・・(音楽はカット)・・・
    (水曜日道ばたサミット、今日はスタジオに歴史学者の古田武彦さんをおまねきしています。今まで「大祓(オオハラヘ)の祝詞(ノリト)」について、お伺いしていたのですが、「祓(はら)う」ともうしますが、何を祓うのでしょうか。「罪(つみ)を祓(はら)う」ということなのでしょうか。)

     その前に、先ほどのことをまとめさせていただきたいのですが。先ほどの「大祓(オオハラヘ)の祝詞(ノリト)」。
     ほかの祝詞でもそうですが、「天孫降臨」という事件が語られております。それはわたしの理解では、歴史的事件であって、けっして単なるおとぎ話や想像ではない。

     どういう事件かと言いますと、原点になっているのは、壱岐・対馬の天国(あまくに 海士国)。大陸からの金属器を、最初に手に入れた人たちのいるところです。その人たちが縄文稲作で有名な博多湾岸。そこを支配しようとして侵入軍を派遣した。それが高祖(たかす)山。そこは砦であると思いますが、そこを支配して、日本列島の西日本を支配するにいたった。そういうことを述べているのが、「天孫降臨」という名の事件だと思うのです。
     『日本書紀』などでは、これを南九州のような感じで書いてありますが、そう理解すると全然だめで、矛盾を生じて空想話に、せざるを得なくなる。

     早い話が「三種の神器」をもったお墓が集中して出てくるのが、今の高祖山連峰の東側と西側なのです。(遺跡例、吉武高木、三雲、須玖岡本、平原)南九州にはまったく出てきません。

     それと弥生時代の前期の終り、中期の初め。それは紀元前二〇〇年頃ですが、福岡県では出土物が一変します。「三種の神器」が出てくるのは、紀元前二〇〇年以後しか出てきません。出土物が一変しますので、やはり征服と被征服がおこなわれた証拠と考えているわけです。


     そういうことから見ますと、「大祓(オオハラヘ)の祝詞(ノリト)」で見ました罪。「大祓祝詞」ではらう罪がづらづらと書いてありますが、ゆっくり図書館でごらん下さい。
     それで罪に二種類あって、「天つ罪」と「国つ罪」と二つに分けて書いてある。
     「天つ罪」というのは比較的へいぼんな罪。田んぼの溝をこわすとか、田んぼの溝を埋めるとか。水を流す樋を壊して他のところへ水を持っていってしまう罪など、農業生活では罪としてはありがちな罪。してはいけないこと、それをタブーというか罪としてあげてあります。
     ところが「国つ罪」のほうには、たくさん罪がありますが奇怪な罪があります。たくさんは時間の関係であげることは出来ませんので、ひとつ特徴のある罪を言いますと、老年者を対象だから、あげやすいとも言えるのですが。「母と子とを犯せる罪」「子と母とを犯せる罪」。

    (これは母と子と、子と母と、反対になっているわけですね。)

     これは一体なんだろう、というわけです。お母さんと子供。言葉から見ますと、これは両方とも女性だと思います。子供のほうも女性です。女の子です。娘です。お母さんも女性です。これを両方とも犯したる罪と言っています。ですから犯すほうは男性です。とうぜん男性がお母さんと娘を一緒に犯す。そういう罪があげられています。
     ちょっと、ふつうでは考えにくいことなのです。ところがこういうことが起こりうる時期があるわけです。要するに戦争。征服と被征服という大激変がありますと、征服者が被征服者の娘や母を犯すという行為。あってならないことですが起きる。日常生活では、ないとは言えないが、まあない。ところが、いまの戦争という直後の状況では、こういうことが、しばしば起こりうる。

    (縄文時代がすごく永く続いたということは、比較的平和だった時代だと思うのですが。それが一変して大戦争が、とつぜんドカンと来たと言うことなのでしょうか。)

     そうそう。「前末中初」と言っていますが、弥生時代前期の終り、中期の初め。BC二〇〇年前後の弥生時代中期の初まりの時期に。すくなくとも福岡県あたりで大激変があった。その背景になったのは、壱岐・対馬の人々が大陸・朝鮮半島から金属器を手に入れた。金属器を持っているほうと持っていないほうとでは、ぜんぜん武力が段違いに違うわけです。もちろん彼らは海洋民ですから、当時でいちばん早く物や人を運ぶ船というものを持っている。そこに鉄や銅の武器を持っていると圧倒的な武力の差を生じた。その中での征服・被征服。

     「天孫降臨」と美しく言っているけれども、歴史上の事実としては征服・被征服だった。ところが征服・被征服と、言葉で言えば簡単ですが、その中でいろいろな悲劇が起きている。それが「国つ罪」として、あげてある。

     全部ひとつひとつあげて説明すればおもしろいのですが、今はひとつだけ例を挙げておきます。被征服民、負けたほうの悲劇。男は殺されているわけです。夫や父親は殺されているわけです。残された女性は犯される。征服者から言えば犯す。それを罪と言って、その罪をチャラにする祭祀。それが「大祓(おおはらい)」。

    (ということは、それだけ大きな戦争を行なうということは、同一民族ではなかったということですか。)

     広い意味では同一民族でしょうが、同一民族の中でもいろいろ種族が違いますから、その意味では同じ種族ではない。

    (おなじ種族ではなくて、それがその時に大きな戦争が起きて、それがこうして、ずっと語り継がれてきてるというのは、とてもショッキングな・・・うむ)

     そうですね。それに、この祝詞は犯したほうの征服者の立場で作っています。

    (征服者の立場で作ったから残ったのでしょうか。)

     しかし、その場合、負けたほうで民衆は存在しています。その場で、祝詞が唱えられる。そうすると、罪を犯したけれども、言いようのない罪だったけれども、大祓の祭祀でそれを消してしまいたい。平時になれば、そんなことはそうありませんから。和解をしようではないか。そういう意味・なまなましい内容を持ったものがこの祝詞(のりと)なのです。

    (それではある意味で謝罪の気持ちを持っているという文章なのでしょうか。祝詞というのは。)

     もちろんそうです。だから負けた側の民衆のほうでは、征服者があのような祭祀の場で、征服者がちゃんと自分たちの犯したことを罪として挙げ、悔いているというか謝罪している。まあ!しょうがないか。そういう感じを持つかも知れませんね。

     それと、もう一つ注目すべきところは、「この罪を川に流し・・・」とあり、実際は祭祀に使った榊(さかき)などいろいろなものを、川に流すのかも知れませんが。それが海に出ます。それが、ずっと流れ着いて根の国、底の国に行くと。こう祝詞で言っています。「根の國、底の國に坐す速さすらひめという神、持ちさすらひ失ひてむ。」と書かれていますが、「根の国、底の国」というと出雲です。
     『古事記』『日本書紀』に何回も「根の国、底の国」という言葉が出てきます。それが出雲の方角を指しているようです。それで海流にのって出雲にながれるということは、博多湾岸であれば、海流にのって出雲に流れていく。ですからこの祝詞の表現自身が、舞台が福岡県で作られたことが分かるわけです。

     それを後に、九州の分家になる(近畿天皇家)。この前、私が言ったと思いますがイギリスとアメリカのような関係で、本家がイギリスで分家がアメリカ合衆国。日本では、本家が北部九州。同じ三種の神器をいだいた分家が近畿天皇家。という関係になるのですが、その近畿天皇家が大和中心に読み替えて使って現在に至っている。
     これが祝詞というものの、おおきな性格で、『古事記』を読んでいくとそのように理解せざるを得ないようですが、ところが『祝詞(のりと)』には、その時のいま言ったなまなましい記録が、声が残っている。

     『古事記』『日本書紀』をいくら読んでも、いま言ったような生々しい記録は出てきません。もっと上品なことば。これに比べれば。『祝詞』というのは『古事記』『日本書紀』には、書くのをはばかるような記録が幾らもある。

     もう一つだけ例をあげれば、生きた人間・死んだ人間の肌を断つ罪(生膚断ち・死膚断ち)と書いてある。つまり刺青というのは身分をあらわしていた。貴重な、後の家紋のようなもので、からだに家紋を付けているようなものである。それを負けたほうの膚を切り取ってしまう。だから負けたほうに対する最高の侮辱である。それも罪として、大祓(おおはらい)ではらいましょう。ホントになまなましい表現が祝詞(のりと)の中にあふれている。われわれは、それを知らずに祝詞を聞いているが、すごい歴史の痕跡。人々の指紋のように込められている。人々の嘆きや悲しみが、怒りや滅んでいった人々の声もそこから知ることができる。そういう感じでございます。

    (そうですか。神社でお祝い事などでも祝詞をあげることがよくありますが、その中身としてはけっこう過激で柔らかな話の内容ではない。)

     そうです。めでたい。めでたいというばかりのものではない。そういう意味では、深みがあるというか、忘れずというか、歴史の経験を伝えている。そういうものが祝詞である。今日あげた祝詞以外も、いろいろな深い歴史の生の声として残しているのが『祝詞(のりと)』だと思うのです。

    (歴史というのは、どうしても先ほど言われたように勝者側のものが残ってしまうのですが、祝詞というものはぎゃくに、勝者側ではないほうの声が残っているのでしょうか。)

     そうですね。これも同じく勝者側が文面をつくっている。しかし敗者側の悲しみや恨みが、ひしひし聞こえる形で勝者側が作っている。ぜんぶ勝者側で「天孫降臨」という言葉にしてしまいますと、砂糖菓子のように消えてしまう。ところが祝詞はそれを美化してしまわないで、その時のトゲをしっかり棘とげとして伝えている。これが『祝詞(のりと)』のすばらしいところだと思います。

    (わたしたちは祝詞を七五三とか、正月はもちろんそうですが、車が交通事故を起こさないようにとか、あげていて、内容をたしかに聞いているかたは少ないのではないか。先生のご著書に『まぼろしの祝詞誕生』新泉社ー古代史の実像を追うーとあります。先生はこれをいつ出されたのですか。)

     だいぶ前に一九八八年に、新泉社から出しました。注文されていただければ読むことができます。

    (『まぼろしの祝詞誕生』は新泉社から出されており、時間的にたりなくて今日お話できなかったことがいっぱい入っており、ご興味のある方はまたお読みください。)

     まだ時間があるようですから、最近発見したおもしろい問題について、お話したいと思います。
     いまもうした「天孫降臨」の高祖山連峰に関係する事なのですが、高句麗の好太王碑文というものがありまして、今でいう北朝鮮と中国の境に鴨緑江という川が流れていまして、ちょうど真ん中あたりに集安という街がある。そこに、「好太王碑」というりっぱな高い石碑がありまして、これは四面びっしり文字が書かれている。「倭」という字がたくさん出てくるというので有名になったものですが。
     実は第一面の初めのところに難しい漢字で「鄒牟(すうぼう)王」、やさしい言葉で言いますと東明王。後で東明王という名前をおくられましたので。そのBC三〇年ごろの王様である東明王、その人のことが書いてある。その王様の仕事として集安に都を造った。その側に、山の上に城を造った。順序としては最初に山の上に城を造り、その下、平地に都を建てたとある。

     これを見てみますと、東明王というとBC三〇年ごろですから、日本でいうと弥生中期です。と言いますと「天孫降臨」と同じ時期。ちょっと一〇〇年ぐらい早いですが弥生中期という意味では同じ時期の話です。

     そうすると「天孫降臨」が、なぜ同じ山の上に来たという形で書かれてあるか。そういう疑問があったのですが、実は集安のそば、丸頭(がんとう)山上と呼ばれているところに砦が築かれている。その平地の川べりのところに都がある。一対になっている。これは中国の場合なら大平原です。西安(シーアン)・洛陽(ラクヨウ)も壁で囲む。ところが朝鮮半島の場合は山が多いですから、平地を塀で囲むということはあまり意味がない。それで、その代わりに山の上に砦を造って、平地にふだん住む都を造る。山の上の城と平地の都をセットに造る。そういうやりかたが示されている。じつは高句麗や百済なども、そのスタイルです。その今の高祖山連峰の西の下、吉武高木という日本で最古の「三種の神器」が出てきたお墓がある。そのすぐ側がなんと「都地(トジ)」、都の地という地名なのです。

    (なにか、お話が佳境に入り、今からもっと聞きたいと思いますが、時間になりすみません!)

     はい、どうも。
    (先生のお話、ぜひうかがいたいと思いますので、また一度お越し下さい。申し訳ないですが、おこし願えますか。どうもありがとうございました。水曜日、みのお道ばたサミットは、きょうは歴史学者の古田武彦さんにお話しをしていただきました。担当は森藤裕子でお送り致しました。)

    お断り:これ以後のラジオ講演はございません。

    関連リンク

    天孫降臨の真実
    http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kourinj/kourinj.html

    日本のはじまり(古田史学の会・北海道ニュース第五号 1996年 7月)

    偽書の史料批判──二つの偽書論──(古田史学会報51号)
    http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou51/furuta51.html

     これはタッキー816みのおエフエム みちばたサミット 第3回二〇〇二年二月十四日放送の「歴史の中の祝詞」のテキストです。放送と文字は、それぞれの特性上一致しておりません。したがいまして史料批判は不適当です。
     史料批判を試みられる方は、『まぼろしの祝詞誕生』(新泉社)・『失われた九州王朝』(朝日文庫)でお願いします。

    古田史学の会 監修

    新古代学の扉 インターネット事務局 E-mail sinkodai@furutasigaku.jp
    電子書籍(日本語PDF)歴史の中の祝詞へ
    http://www.furutasigaku.jp/jpdf/jpdf11.html

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          上つ巻を三十句ひときりにして読んでいきます。
          神示でいう表の裏、裏の裏の読み方に該当するかどうかわからないですけれど、

          順番はまったく神示通りに従って並べ替えています。

          原本に書いている順番で読んだ場合ではわからなかったことが見つかり、それが読者

          にとって計り知れない喜びをもたらす事ができるなら、私にとってこれ以上の喜びは

          ありません。

          ひふみ神示の本当の威力が秘められた扉は開かれるのでしょうか。

           

           

          上つ巻12切り目
          30句一切り 九八九(句)
          上つ巻26帖ー21帖

           

          【ハエー】(*影のまつり詞)
          154.106. 六月の二十八日、ひつくのか三。
          155.105. 七の日はものの成る日ぞ。

           

          【ウォアラーオッラー】(*影のまつり詞)

          153.107. 神なぞ何うでもよいから、早く楽にして呉れと言ふ人 沢山あるが、こんな

               人は、今度はみな灰にして、なくして仕まふから、その覚悟して居れよ。
          156.104.「ア」と「ヤ」と「ワ」は本(もと)の御用ぞ、「イ」「ウ」の身魂は

               介添えの御用ぞ。

           

          【ダベダベ】(*影のまつり詞)

          152.108.  六月二十の八日、一二のか三。
          157.103. あとはだんだん分りて来るぞ。

           

          【ンダンダ】(*影のまつり詞)

          151.109. そんな臣民一人もいらぬ、早うまことの者ばかりで神の国を堅めて呉れよ。
          158.102. 六月の二十八日は因縁の日ざ、一二のか三。

           

          【ホェー】(*影のまつり詞)

          150.110. いよいよとなれば、外国強いと見れば、外国へつく臣民 沢山できるぞ。
          159.101. 一日に十万、人死にだしたら神の世がいよいよ近づいたのざから、よく

               世界のことを見て皆に知らして呉れよ。

           

          【スッツァ】(*影のまつり詞)

          149.111. まつりまつり結構、六月の二十八日、ひつ九のか三。
          160.100. この神は世界中のみか天地のことを委(まか)されてゐる神の一柱ざから、

               小さいこと言ふのではないぞ、小さいことも何でもせなならんが、小さい

               事と臣民思うてゐると間違ひが起るから、臣民はそれぞれ小さい事もせな

               ならんお役もあるが、よく気をつけて呉れよ。

           

          【モウマイ】(*影のまつり詞)

          148.112. 富士は神の山ざ、いつ火を噴くか分らんぞ、神は噴かん積りでも、いよい

               よとなれば噴かなならんことがあるから、それまでは離れた所へ祀りて呉

               れよ、神はかまはねど、臣民の肉体 大切なから、肉体もなくてはならん

               から、さうして祀りて呉れ。
          161.099. 北から来るぞ。

           

          【ハァーッ】(*影のまつり詞)

          147.113. 富士から三十里四里離れた所へ祀りて呉れよ、富士にも祀りて呉れよ、

               富士はいよいよ動くから、それが済むまでは三十里離れた所へ、仮に祀りて

               置いて呉れよ。
          162.098. 神は気もない時から知らして置くから、よくこの神示、心にしめて居れよ。

           

          【シュクシュク】(*影のまつり詞)

          146.114. 初めつらいなれど だんだん分りて来るから、よく言うこと聞いて呉れよ、

               外国から攻めて来て日本の国丸つぶれといふところで、元の神の神力出し

               て世を建てるから、臣民の心も同じぞ、江戸も昔のやうになるぞ、神の

               身体から息出来ぬ様にしてゐるが、今に元のままにせなならんことになるぞ。
          163.097. 一日一握りの米に泣く時あるぞ、着る物も泣くことあるぞ、いくら買溜め

               しても神のゆるさんもの一つも身には附かんぞ、着ても着ても、食うても

               食うても何もならん餓鬼の世ざ。

           

          【ジュンジュン】(*影のまつり詞)

          145.115. 神は帳面につける様に何事も見通しざから、神の帳面 間違ひないから、

               神の申す通りに、分らんことも神の申す通りに従ひて呉れよ。
          164.096. 早う神心にかへりて呉れよ。

           

          【ペロリンペロリン】(*影のまつり詞)

          144.116. 因縁の身魂は何うしても改心せねばならんのざから、早う改心せよ、おそい

               改心なかなか六ヶ敷ぞ。
          165.095. この岩戸開くのは難儀の分らん人には越せんぞ、踏みつけられ踏みつけられ

               ている臣民のちからはお手柄さして、とことはに名の残る様になるぞ。

           

          【シュッパシュッパ】(*影のまつり詞)

          143.117. 洗濯できた臣民から手柄立てさしてうれしうれしの世に致すから、神が臣民

               にお礼申すから、一切ごもく捨てて、早う神の申すこと聞いて呉れよ。
          166.094. 元の世に一度戻さなならんから、何もかも元の世に一度は戻すのざから、

               その積りで居れよ、欲張っていろいろ買溜めしてゐる人、気の毒が出来るぞ、

               神よく気をつけて置くぞ。

           

          【ワッタメギ】(*影のまつり詞)

          142.118. 今度はとことはに変らぬ世に致すのざから、世の元の大神でないと分らん

               仕組ざ。
          167.093. この道に縁ある人には、神からそれぞれの神を守りにつけるから、天地の

               元の靛(てん)の大神、くにの大神と共に、よく祀りて呉れよ。

           

          【イッテマレイッテマレ】(*影のまつり詞)

          141.119. 外国がいくら攻めて来るとも、世界の神々がいくら寄せて来るとも、ぎり

               ぎりになりたら神の元の神の神力出して岩戸開いて一つの王で治める神の

               まことの世に致すのであるから、神は心配ないなれど、ついて来れる臣民

               少ないから、早う掃除して呉れと申すのぞ、掃除すれば何事も、ハッキリ

               と映りて楽なことになるから、早う神の申すやうして呉れよ。
          168.092. 六月の三十日、ひつくのか三。

           

          【ウォアラーオッラー】(*影のまつり詞)

          140.120. 世の元の大神(かみ)の仕組といふものは、神々にも分らん仕組であるぞ、

               この仕組 分りてはならず分らねばならず、なかなかに六ヶ敷い仕組である

               ぞ、知らしてやりたいなれど、知らしてならん仕組ぞ。
          169.091. 「あ」の身魂とは天地のまことの一つの掛替ない身魂ぞ、「や」とはその

               左の身魂、「わ」とは右の身魂ぞ、「や」には替へ身魂  あるぞ、「わ」

               には替へ身魂  あるぞ、「あ」も「や」も「わ」も   も一つのも

                         のぞ。

           

           

          *上つ巻の文章を句点で区切って番号をつけます。

          ここで第241句から第259句までは19句しかなく、30句まで不足なので余ってしまいました。

          ここに空白の力が秘められていると仮定して、今度は反対から、第259句から読み始めて30句

          を作ろうと思います。

          次に第169句から読み始めた場合、中心の句は第154句に決定されます。

          第140句から逆に読み始めた場合、中心の句は第155句に決定されます。

           

          今回第154句と第155句を読み比べた場合、どちらが先になるかわかりません。

          そこで、前後の句を読み比べることでいままでの流れのままにしました。

          そうすると、上記の順番で書き表すことができました。

           


          上つ巻11切り目

          0

            上つ巻を三十句ひときりにして読んでいきます。
            神示でいう表の裏、裏の裏の読み方に該当するかどうかわからないですけれど、

            順番はまったく神示通りに従って並べ替えています。

            原本に書いている順番で読んだ場合ではわからなかったことが見つかり、それが読者

            にとって計り知れない喜びをもたらす事ができるなら、私にとってこれ以上の喜びは

            ありません。

            ひふみ神示の本当の威力が秘められた扉は開かれるのでしょうか。

             

             

            上つ巻11切り目
            30句一切り 九八九(句)
            上つ巻31帖ー26帖

             

            【スッツァ】(*影のまつり詞)
            184.076. それが神のやり方ぞ、百姓は百姓、鍛冶は鍛冶と、今度はとことはに定まる

            のぞ、身魂の因縁によりて今度はハッキリと定まって動かん神の世とするのぞ、茄子の

            種には瓜はならんぞ、茄子の蔓に瓜をならすのは悪の仕組、今の世はみなそれでないか。

            185.075. これで世が治まったら神はこの世に無いものぞ。

             

            【ダベダベ】(*影のまつり詞)

            183.077. 世界中まるめて神の一つの詞(王)で治めるのぞ。
            186.074. 神とアクとの力競べぞ。

             

            【ンダンダ】(*影のまつり詞)

            182.078. 七月一日、ひつくのか三。

            187.073. 今度はアクの王も神の力には何うしてもかなはんと心から申す所まで、

                 とことんまで行くのざから、アクも改心すれば助けて、よき方に廻して

                 やるぞ。

             

            【ドンダンズ】(*影のまつり詞)

            181.079. この神示も身魂により何んなにでも、とれるやうに書いておくから、

                 取り違ひせんやうにして呉れ、三柱と七柱揃うたら山に行けよ。
            188.072. 神の国を千切りにして膾(ナマス)にするアクの仕組は分りて居る、

                 アクの神も元の神の仕組を九分九厘までは知ってゐて、天地ひっくり

                 返る大戦となるのぞ。

             

            【ガーッ】(*影のまつり詞)

            180.080. 秋立ちたら淋しくなるぞ、淋しくなりたらたづねてござれ、我(が)

                 を張ってゐると、いつまでも分らずに苦しむばかりぞ。
            189.071. 残る一厘は誰も知らぬ所に仕かけてあるが、この仕組、心で取りて呉

                 れよ、神も大切ざが、この世では臣民も大切ぞ。

             

            【スッツァ】(*影のまつり詞)

            179.081. 悪の仕組にみなの臣民だまされてゐるが、もう直ぐ目さめるぞ、目さめ

                 たらたづねてござれ、この神のもとへ来てきけば、何でも分かる様に神示

                 で知らしておくぞ。
            190.070. 臣民この世の神ざ、と言ふて鼻高になると、ポキン折れるぞ。

             

            【ハエー】(*影のまつり詞)

            178.082. 天地がうなるぞ、上下引繰り返るぞ。
            191.069. 七月一日、ひつ九のか三。

             

            【エハヘー】(*影のまつり詞)

            177.083. 行けば何もかも善くなる様に、昔からの仕組してあるから、何事も物差

                 しで測った様に行くぞ。
            192.068. この世が元の神の世になると云ふことは、何んなかみにも分って居れど、

                 何うしたら元の世になるかといふこと分らんぞ、かみにも分らんこと人

                 にはなほ分らんのに、自分が何でもする様に思ふてゐるが、サッパリ取

                 り違ひぞ。

             

            【モウマイ】(*影のまつり詞)

            176.084. 元の仕組は富士(二二)ぞ、次の仕組はウシトラ三十里四里、次の仕組

                 の山に行きて開いて呉れよ、今は分るまいが、やがて結構なことになる

                 のざから、行きて神祀りて開いて呉れよ、細かく知らしてやりたいなれ

                 ど、それでは臣民の手柄なくなるから、臣民は子ざから、子に手柄さし

                 て親から御礼申すぞ。
            193.067. やって見よれ、あちへ外れ こちへ外れ、いよいよ何うもならんことに

                 なるぞ、最後のことは この神でないと分らんぞ。

             

            【エハヘー】(*影のまつり詞)

            175.085. 何もかも世の元から仕組みてあるから神の申すところへ行けよ。
            194.066. いよいよとなりて教へて呉れと申しても間に合はんぞ。

             

            【シタハンデ】(*影のまつり詞)

            174.086. 七月の一日、ひつくのかみの道ひらけあるぞ。
            195.065. 七月一日、ひつくのか三。

             

            【ンダホダモナモ】(*影のまつり詞)

            173.087. 神祀るとはお祭りばかりでないぞ、神にまつらふことぞ、神にまつらふ

                 とは神にまつはりつくことぞ、神に従ふことぞ、神にまつはりつくとは、

                 子が親にまつはることぞ、神に従ふことぞ、神にまつらふには洗濯せな

                 ならんぞ、洗濯すれば神かかるぞ、神かかれば何もかも見通しぞ、それ

                 で洗濯洗濯と、臣民 耳にたこ出来るほど申してゐるのざ。
            196.064. 富士を開いたら まだ開くところあるのざ、鳴戸へ行くことあるのざから

                   このこと役員だけ心得て置いて呉れよ。

             

            【ダベダベ】(*影のまつり詞)

            172.088. 言ってやりたいなれど、今言っては仕組成就せんから、邪魔はいるから、

                           身魂掃除すれば分かるから、早う身魂洗濯して呉れよ。
            197.063. 七月一の日、ひつくのか三。

             

            【ウォアラーオッラー】(*影のまつり詞)

            171.089.「い」と「う」はその介添の身魂、その魂と組みて「え」と「を」、

                          「ゑ」と「お」が生まれるぞ、いづれは分ることざから、それまで待ちて

                            呉れよ。
            198.062. 今度の御用は結構な御用ぞ、いくら金積んでも、因縁ない臣民にはさせんぞ。

             

            【ガーッ】(*影のまつり詞)

            170.090. みたま引いた神かかる臣民を集めるから急いで呉れるなよ、今に分かるから、

                           それまで見てゐて呉れよ。
            199.061. 今に御用させて呉れと金持って来るが、一一神に聞いて始末せよ。

             

             

            *上つ巻の文章を句点で区切って番号をつけます。

            ここで第241句から第259句までは19句しかなく、30句まで不足なので余ってしまいました。

            ここに空白の力が秘められていると仮定して、今度は反対から、第259句から読み始めて30句

            を作ろうと思います。

            次に第199句から読み始めた場合、中心の句は第184句に決定されます。

            第170句から逆に読み始めた場合、中心の句は第185句に決定されます。

             

            今回第184句と第185句を読み比べた場合、第184句が先になるようです。

            そこで、いままでの流れのままにしました。

            そうすると、上記の順番で書き表すことができました。

             


            上つ巻10切り目

            0

              上つ巻を三十句ひときりにして読んでいきます。
              神示でいう表の裏、裏の裏の読み方に該当するかどうかわからないですけれど、

              順番はまったく神示通りに従って並べ替えています。

              原本に書いている順番で読んだ場合ではわからなかったことが見つかり、それが読者

              にとって計り知れない喜びをもたらす事ができるなら、私にとってこれ以上の喜びは

              ありません。

              ひふみ神示の本当の威力が秘められた扉は開かれるのでしょうか。

               

               

              上つ巻10切り目
              30句一切り 九八九(句)
              上つ巻36帖ー31帖

               

              【ンダホダモナモ】(*影のまつり詞)
              214.046. ひつぐの民、みつぐの民、早う用意して呉れよ、神急けるぞ。
              215.045. 七月二日、ひつくのか三。

               

              【エハヘー】(*影のまつり詞)
              213.047. 神の名のついた石があるぞ、その石、役員に分けてそれぞれに

                             守護の神つけるぞ、神の石はお山にあるから、お山開いて呉れよ。
              216.044. 何事も天地に二度とないことで、やり損ひしてならん多陀用幣流天地

                           (たたよへるくに)の修理固成(かため)の終りの四あけであるから、

                            これが一番大切の役であるから、しくじられんから、神がくどう申して

                            ゐるのざ、神々さま、臣民みなきいて呉れよ。

               

              【ンダンダ】(*影のまつり詞)
              212.048. 富士は晴れたり日本晴れと申すこと、だんだん分りて来るぞ。
              217.043. 一二三(ひふみ)の御用出来たら三四五(みよいつ)の御用にかから

                            なならんから、早う一二三の御用して呉れよ。

               

              【ガーッ】(*影のまつり詞)
              211.049. 神の用意は済んでゐるのざから、民の用意 早うして呉れよ、

                           用意して早う祀りて呉れよ。
              218.042. 何も心配ないから神の仕事をして呉れよ、神の仕事して居れば、

                          どこにゐても、いざといふ時には、神がつまみ上げて助けてやるから、

                          御用第一ぞ。

               

              【エハヘー】(*影のまつり詞)
              210.050. 七月の二の日、ひつくのか三。
              219.041. 一日(ひとひ)に十万の人死ぬ時来たぞ、世界中のことざから、

                             気を大きく持ちてゐて呉れよ。

               

              【スッツァ】(*影のまつり詞)
              209.051. ひみつの仕組とは一二三の仕組ざ、早う一二三唱へて呉れよ、

                             一二三唱へると岩戸あくぞ。
              220.040. 七月の三日、ひつくのか三。

               

              【ドンダンズ】(*影のまつり詞)
              208.052. 神から見た世界の民と、人の見た世界の人とは、さっぱりアベコベ

                             であるから、間違はん様にして呉れよ。
              221.039. 死んで生きる人と、生きながら死んだ人と出来るぞ。

               

              【エハヘー】(*影のまつり詞)
              207.053. 一二三唱へて岩戸あくぞ。
              222.038. 神のまにまに神の御用して呉れよ、殺さなならん臣民、どこまで逃げて

                             も殺さなならんし、生かす臣民、どこにゐても生かさなならんぞ。

               

              【ウォアラーオッラー】(*影のまつり詞)
              206.054.
              と結びて一二三(ひふみ)となるのざから、外国人も神の

                            子ざから外国人も助けなならんと申してあらうがな。
              223.037. まだまだ悪魔はえらい仕組してゐるぞ、神の国千切りと申してあるが、

                            喩(たと)へではないぞ、いよいよとなりたら神が神力出して上下引っくり

                            返して神代に致すぞ、とはの神代に致すぞ。

               

              【スッツァ】(*影のまつり詞)
              205.055. ヒツグはまことの神の臣民ぞ、ミツグは外国の民ぞ。
              224.036. 細かく説いてやりたいなれど、細かく説かねば分らん様では神国

                           (しんこく)の民とは云はれんぞ。

               

              【ダベダベ】(*影のまつり詞)
              204.056. 世の元からヒツグとミツグとあるぞ、ヒツグは
              の系統ぞ、ミツグは

                             の系統ぞ。
              225.035. 外国人には細かく説かねば分らんが、神の臣民には説かいでも分る身魂

                             授けてあるぞ、それで身魂みがいて呉れと申してあるのぞ。

               

              【カニカニカニカニ】(*影のまつり詞)
              203.057. 何も神がするから慾出すなよ、あと暫くぞよ、日々に分かりて来るから、

                             素直な臣民うれしうれしで暮さすから。
              226.034. それとも外国人並にして欲しいのか、曇りたと申してもあまりぞ。

               

              【シタハンデ】(*影のまつり詞)
              202.058. 心配 気の毒ぞよ。
              227.033. 何も心配いらんから、お山開いて呉れよ、江戸が火となるぞ、神急けるぞ。

               

              【モウマイ】(*影のまつり詞)
              201.059. 汚れた金 邪魔になるから、まことのもの集めるから、何も心配するなよ。
              228.032. 七月の七日、ひつくのか三。

               

              【カプケル】(*影のまつり詞)
              200.060. 汚れた金 御用にならんから、一厘も受取ることならんぞ。
              229.031. 元の神代に返すといふのは、たとへでないぞ。

               

               

              *上つ巻の文章を句点で区切って番号をつけます。

              ここで第241句から第259句までは19句しかなく、30句まで不足なので余ってしまいました。

              ここに空白の力が秘められていると仮定して、今度は反対から、第259句から読み始めて30句

              を作ろうと思います。

              次に第229句から読み始めた場合、中心の句は第214句に決定されます。

              第200句から逆に読み始めた場合、中心の句は第215句に決定されます。

               

              今回第214句と第215句を読み比べた場合、第214句が先になるようです。

              そこで、いままでの流れのままにしました。

              そうすると、上記の順番で書き表すことができました。


              すうじのうた【童謡カバー曲】

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                月のしずく

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                  エドガー・サリヴァン - Fight at Tokio (Music Video)

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                    Mêlée - Built To Last (Video)

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