節分と時節

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    節分と時節 

    この時期の気になるワードをひろってみました。
    今年のことなのかそれ以降のことなのか引き続き検証が必要です。

     

     

    春の巻 第03帖 (660)→659 27-3
    掛巻も、畏き極み、九二つ千の、清(スガ)の中なる大清み、清みし中の、清らなる、清き真中の、よろこびの、其の真中なる、御光の、そが御力ぞ、綾によし、十九立(トコタチ)まし、大九二の十九立(オオクニのトコタチ)大神、十四九百ヌ(トヨクモヌ)、十四(トヨ)の大神、瀬織津の、ヒメの大神、速秋の、秋津ヒメ神、伊吹戸の、主の大神、速々の、佐須良ヒメ神、これやこの、太日月
    (オオヒツキ)、皇神(スメカミ)の御前畏こみ、謹みて、うなね突貫き、白さまく、ことのマコト(真言)を。伊行く水、流れ流れて、月速み、いつの程にや、この年の、冬も呉竹、一と夜(ヨサ)の、梓(アズサ)の弓の、今とはや、明けなむ春の、立ちそめし、真玉新玉、よろこびの、神の稜威(ミイヅ)に、つらつらや、思ひ浮べば、天地(アメツチ)の、始めの時に、大御祖神(オオミオヤ)、九二十九立(クニトコタチ)の、大神伊、三千年、またも三千年の、もまた三千年、浮きに瀬に、忍び堪えまし、波風の、その荒々し、渡津海(ワタツミ)の、塩の八百路の、八汐路の、汐の八穂合ひ、洗はれし、孤島の中の、籠らひし、籠り玉ひて、畏くも、この世かまひし、大神の、時めぐり来て、一筋の、光の御代と、出でませし、めでたき日にぞ、今日の日は、御前畏こみ、御饌御酒(ミケミキ)を、ささげまつりて、海山野(ウミヤマヌ)、種々(クサグサ)珍(ウズ)の、みつぎもの、供へまつりて、かごぢもの、ひざ折り伏せて、大まつり、まつり仕へむ、まつらまく。生きとし生ける、まめひとの、ゆくりあらずも、犯しけむ、罪やけがれの、あらむをば、祓戸にます、祓戸の、大神達と相共に、ことはかりまし、神直日、大直日にぞ、見伊直し、聞き直しまし、祓ひまし、清め玉ひて、清々(スガスガ)し、清(スガ)の御民(ミタミ)と、きこし召し、相(アイ)諾(ウズナ)ひて、玉へかし、玉はれかしと、多米津(タメツ)もの、百取(モモトリ)、さらに、百取の、机の代(シロ)に、足らはして、横山の如、波の如、伊盛、栄ゆる、大神の、神の御前に、まつらまく、こひのみまつる、畏こみて、まつらく白す、弥つぎつぎに。

    新玉(アラタマ)の 玉の御年(ミトシ)の 明けそめて 罪もけがれも 今はあらじな

    節分の祝詞であるぞ。太のりとせよ。いよいよの年立ちそめたぞ。うれしうれしの御代来るぞ。
    (一月の三十日、日月神。)


    Εの巻 第01帖 (258) 9-1
    節分からは手打ち乍ら、ひふみ祝詞 宣(の)りて呉れよ、拍手は元の大神様の全き御働きぞ、タカミムスビ と カミムスビの御働きぞ、御音(おんおと)ぞ、和ぞ、大和(だいわ)のことぞ、言霊ぞ、喜びの御音ぞ、悪はらう御音ぞ。節分境に何も彼も変りて来るぞ、何事も掃除一番ぞ。一月二十九日、
    のひつくの神しるす。


    磐戸の巻 第21帖 (257) 8-21
     元の大和魂にかへれと申すのは、今の臣民には無理ぢゃな、無理でも、神に心向ければ出来るのざぞ、どうしても今度は元のキの儘の魂にかへらんとならんのぞ、かんじんの神示むやみに見せるではないぞ。仕組こわれるぞ、今に神示に書けないことも知らさなならんから、みみから知らすから、肚から肚へと伝へて呉れよ。節分からははげしくなりて、はげしき神示はかかせんぞ。天明 神示の御用はこれでしばらく御用すみぞ、その代りみみ掃除しておいてくれよ。旧十一月三十日、
    の一二


    磐戸の巻 第10帖 (246) 8-10
    悪の仕組は、日本魂をネコソギ抜いて了ふて、日本を外国同様にしておいて、一呑みにする計画であるぞ。日本の臣民、悪の計画通りになりて、尻の毛まで抜かれてゐても、まだキづかんか、上からやり方かへて貰はねば、下ばかりでは何うにもならんぞ。上に立ちてゐる人、日に日に悪くなりてきてゐるぞ。メグリある金でも物でも持ちてゐたらよい様に思ふてゐるが、えらい取違ひであるぞ。早う神の申すことききて下されよ。世界の何処さがしても、今では九九(ここ)より他に、神のマコトの道知らす所ないのざぞ。此の道の役員、上から見られん所によきことないと今度の御用、なかなかにつとまらんぞ、洗濯急げよ、掃除急げよ、家の中が治まらんのは女にメグリあるからぞ、このことよく気付けておくぞ、村も国々も同様ぞ。女のメグリはコワイのざぞ。節分からは八回拍手うちて下されよ。神はげしくなるぞ。一月十二日、
    のひつ九の


    日の出の巻 第16帖 (229) 7-16
    悪の衣(ころも)着せられて節分に押込められし神々様御出でましぞ。此の節分からは愈々神の規則通りになるのざから気つけておくぞ、容赦(ようしゃ)は無いのざぞ、それまでに型さしておくぞ、御苦労なれど型してくれよ。ヤの身魂 御苦労、石なぜもの言はぬのぞ、愈々となりてゐるではないか、春になりたら何んな事あるか分らんから今年中に心の洗濯せよ、身辺(みのまわり)洗濯せよ、神の規則 臣民には堪(こば)れんことあるも知れんぞ、気つけておくぞ。十二月十九日、一二



    地つ巻 第25帖 (162) 5-25
    新しくその日その日の生まれ来るのぞ、三日は三日、十日は十日の神どの守るのざぞ、時の神ほど結構な恐い神ないのざぞ、この方とて時節にはかなはんことあるのざぞ。今日なれば九月の二十八日であるが、旧の八月十一どのを拝みて呉れよ、二十八日どのもあるのざぞ。何事も時待ちて呉れよ、炒豆(いりまめ)にも花咲くのざぞ、この世では時の神様、時節を忘れてはならんぞ、時は神なりぞ。何事もその時節来たのざぞ、時過ぎて種蒔いてもお役に立たんのであるぞ、草物いふぞ。旧の八月の十一日、ひつ九のか三。



    地つ巻 第16帖 (153) 5-1
    神が臣民の心の中に宝いけておいたのに、悪にまけて汚して仕まうて、それで不足申してゐることに気づかんか。一にも金、二にも金と申して、人が難儀しようがわれさへよけらよいと申してゐるでないか。それはまだよいのぞ、神の面(めん)かぶりて口先ばかりで神さま神さま てんしさま てんしさま と申したり、頭下げたりしてゐるが、こんな臣民一人もいらんぞ、いざと云ふときは尻に帆かけて逃げ出す者ばかりぞ、犬猫は正直でよいぞ、こんな臣民は今度は気の毒ながらお出直しぞ、神の申したこと一分一厘ちがはんのざぞ、その通りになるのざぞ。うへに唾(つば)きすればその顔に落ちるのざぞ、時節ほど結構なこわいものないぞ、時節来たぞ、あはてずに急いで下されよ。世界中うなるぞ。陸が海となるところあるぞ。今に病神(やまいがみ)の仕組にかかりてゐる臣民苦しむ時近づいたぞ、病はやるぞ、この病は見当とれん病ぞ、病になりてゐても、人も分らねばわれも分らん病ぞ、今に重くなりて来ると分りて来るが、その時では間に合はん、手おくれぞ。この方の神示(ふで)よく腹に入れて病追ひ出せよ、早うせねばフニャフニャ腰になりて四ツん這ひで這ひ廻らなならんことになると申してあらうがな、神の入れものわやにしてゐるぞ。九月二十三日、ひつ九のか三。


     


    富士の巻 第11帖 (091)の記事へのメモ

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      メモ*「あ」「き」「あ」「く」「し」→ 秋 悪 死 ⇒ 秋に悪は光によって消滅する

        *「三尺下の土」 ⇒ 神は人のハラの位置に鎮まることから、そのハラの位置から三尺下は足元の土 

                   ということなのかもしれません。

       

       

      yuru63さんのサイトより引用

      http://hifumi.busidou.jp/yomu/kensyou/091.html

      一二三の検証編太陽の検証

      一二三091

      富士の巻 第11帖 (091)

       神()土(かみつち)は白は、「し」のつく、黄は「き」のつく、青赤は「あ」のつく、黒は「く」のつく山々里々から出て来るぞ、よく探して見よ、三尺下の土なればよいぞ、いくらでも要るだけは(一杯)出てくるぞ。八月二十日、 のひつ九のか三。
      平易意訳

       終末と太陽を検証する情報は白は、「し」のつく、黄は「き」のつく、青赤は「あ」のつく、黒は「く」のつくサイト達や情報元達から出て来ます。よく探して見てください。人民に流布されている情報は月人が誤誘導するために流していますので、そのままのものはダメです。誤誘導を考慮した掘り下げた検証情報(三尺下の土)であれば良いのです、情報はいくらでも要るだけは出てきます。
       八月二十日、 のひつ九のか三。


      解説と補足説明

      • http://18.pro.tok2.com/~solht0920070/murmur_db/4000/space-3177.htm
        天使のつぶやきNO3177 

        ひふみ神示 第三巻 富士の巻 第十一帖(91) 

        トッチさんのメール
        トッチです。
        これは本当に分らないのですが、少し遊んで見ました。


        ひふみ神示 第三巻 富士の巻 第十一帖(91)
        昭和十九年八月二十日、
        旧七月二日(1944年)
        神土(かみつち)は白は、「し」のつく、黄は「き」のつく、青赤は「あ」のつく、黒は「く」のつく山々里々から出て来るぞ、
        よく探して見よ、
        三尺下の土なればよいぞ、
        いくらでも要るだけは出てくるぞ。
        八月二十日、
        のひつ九のか三。

        使用された特殊文字 


        (意訳)
        神土(かみつち)の出てくるところです。
        白は「し」のつく所、
        黄は「き」のつく所、
        青赤は「あ」のつく所、
        黒は「く」のつく所
        の山々里々から出て来るのです。
        よく探して見みなさい。
        三尺下の土であれば良いのです。
        いくらでも要るだけ、出てくるのです。


        (解説)
        難解ですので、保留扱いにします。
        しかし折角ですので、頭の体操をして見ました。
        この際、色は無視します。
        「し」「き」「あ」「あ」「く」
        並べ替えて
        「あ」「き」「あ」「く」「し」→秋開く死→岩戸開きの都市攻撃か、ノアの大洪水が秋にあり、地上は壊滅。
        「三尺下の土」
        3尺を3層の捻りとしますと上から3層下ですと海、地殻、一番上のマントル層。
        マントル層が剥離を起す場所となります。
        ノアの大洪水の原因が何で「神土」なのかですが、死んでいく人々にとっては地獄でしょうけれど、宇宙の仕組みから見れば、ミロクの世を生む事になりますので、悪い物では無いと言えます。
        「いくらでも要るだけ出てくるのです」
        大洪水や、マントル3層構造の証拠が出てくるのかもしれません。



        千成のメール
        トッチさん、いつもかいこのごとく口からもくもくと神土(トッチ→十土)を吐き出してくださっています。
        ご苦労様です。
        トッチさんが遊ばれているのを見て、ふと、わたしも遊んでみたくなりました。


        白は「し」のつく所、
        黄は「き」のつく所、
        青赤は「あ」のつく所、
        黒は「く」のつく所


        土を神よりの情報とすると、その情報はみなさんワープロで書かれています。
        ワープロの特徴は単語登録です。
        単語登録で、わたしなら
        「た」とキーを打つだけで、「太陽」、「と」と打つだけで「トッチ」が出てきます。
        みなさんも、独自の工夫をされてワープロを使う際に単語登録をされていると思います。
        白なら「し」、青や赤は「あ」、黒は「く」などとしている方もいるかもしれませんね。
        そこで神示では
        「みなさんが神よりの情報をサイトにメールしてくださる時には、ワープロを使いますよ」
        と言いたいのでは?
        それですと


        三尺下の土であれば良いのです。
        いくらでも要るだけ、出てくるのです。


        「三尺下の」というのは、掘るのに多少の努力があれば掘れることを表しているのでは?
        みなさん、情報を集めるのに努力してくださっています。
        でも、昔と違って、今は、インターネット検索があるので比較的情報収集が楽です。
        これが「三尺下の土」と情報収集の努力の程度を暗示しているのでは?
        そして集めた情報をまとめるのに、ワープロなら、あまり努力なしにいくらでも出てきますね。
        これが


        いくらでも要るだけ、出てくるのです。


        神示というのは何通りにも読めるそうですが、こんな読み方もアリ?
        この解読はトッチさんの解読のようなロマンがありませんが、トッチさんにならって遊んでみました。


      節分特集 節分の祝詞: 春の巻 第03帖 [(660)→659 27-3] *(803)

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        節分特集 節分の祝詞
        ひふみ神示に書かれている「節分」の時節にまつらいます。10帖ほど取り上げます。

        ―佞隆 第03帖 [(660)→659 27-3] *(803)
         掛巻も、畏き極み、九二つ千の、清(スガ)の中なる大清み、清みし中の、清らなる、清き真中の、よろこびの、其の真中なる、御光の、そが御力ぞ、綾によし、十九立(トコタチ)まし、大九二の十九立(オオクニのトコタチ)大神、十四九百ヌ(トヨクモヌ)、十四(トヨ)の大神、瀬織津の、ヒメの大神、速秋の、秋津ヒメ神、伊吹戸の、主の大神、速々の、佐須良ヒメ神、これやこの、太日月
        (オオヒツキ)、皇神(スメカミ)の御前畏こみ、謹みて、うなね突貫き、白さまく、ことのマコト(真言)を。伊行く水、流れ流れて、月速み、いつの程にや、この年の、冬も呉竹、一と夜(ヨサ)の、梓(アズサ)の弓の、今とはや、明けなむ春の、立ちそめし、真玉新玉、よろこびの、神の稜威(ミイヅ)に、つらつらや、思ひ浮べば、天地(アメツチ)の、始めの時に、大御祖神(オオミオヤ)、九二十九立(クニトコタチ)の、大神伊、三千年、またも三千年の、もまた三千年、浮きに瀬に、忍び堪えまし、波風の、その荒々し、渡津海(ワタツミ)の、塩の八百路の、八汐路の、汐の八穂合ひ、洗はれし、孤島の中の、籠らひし、籠り玉ひて、畏くも、この世かまひし、大神の、時めぐり来て、一筋の、光の御代と、出でませし、めでたき日にぞ、今日の日は、御前畏こみ、御饌御酒(ミケミキ)を、ささげまつりて、海山野(ウミヤマヌ)、種々(クサグサ)珍(ウズ)の、みつぎもの、供へまつりて、かごぢもの、ひざ折り伏せて、大まつり、まつり仕へむ、まつらまく。生きとし生ける、まめひとの、ゆくりあらずも、犯しけむ、罪やけがれの、あらむをば、祓戸にます、祓戸の、大神達と相共に、ことはかりまし、神直日、大直日にぞ、見伊直し、聞き直しまし、祓ひまし、清め玉ひて、清々(スガスガ)し、清(スガ)の御民(ミタミ)と、きこし召し、相(アイ)諾(ウズナ)ひて、玉へかし、玉はれかしと、多米津(タメツ)もの、百取(モモトリ)、さらに、百取の、机の代(シロ)に、足らはして、横山の如、波の如、伊盛、栄ゆる、大神の、神の御前に、まつらまく、こひのみまつる、畏こみて、まつらく白す、弥つぎつぎに。

         新玉(アラタマ)の 玉の御年(ミトシ)の 明けそめて 罪もけがれも 今はあらじな

         節分の祝詞であるぞ。太のりとせよ。いよいよの年立ちそめたぞ。うれしうれしの御代来るぞ。
        (一月の三十日、日月神。)



        空の巻 第02帖 (457)→456 21-2
        ひふみゆらゆらと一回二回三回となへまつれよ、蘇(よみがえへ)るぞ。次に人は道真中にしてワとなり、皆の者 集まりてお互に拝み、中心にまつりまつり結構ぞ、節分からでよいぞ。このお道の導きの親 尊べよ、どんな事あっても上に立てねばならんぞ、順乱しては神の働きないと申してあろがな。直会(なほらい)には神の座 上につくらなならんのざぞ、神人共にと申してあろがな、末だ判らんのか、順正しく礼儀正しく神にも人にも仕へまつれよ。たばねの神は、束(たばね)の人は後からぢゃ、後から出るぞ。一月一日、一二

         


        G澆隆 第25帖 (452)→451 20-25
        神のそばに引き寄せても、実地に見せても、我が強いから中々に改心致さん臣民ばかり、少しは神の心察して見るがよいぞ。気の毒出来るから、少しは神の身にもなってみるものぢゃ、此の儘では気の毒なことになるから、早う守護神、節分迄に早う祀りくれよ、何事もキリキリキリと云ふ事あるぞ。世治めるは 九(こ)の花咲耶姫様なり。十二月十四日、一二

         


        で澆隆 第19帖 (446)→445 20-19
        四十九、天明 神示(ふで)書かす御役ぞ。一二三(ひふみ)となる日近づいたぞ、節分迄に皆の守護神 同じ宮に祀りくれよ、まつりまつりてまつり合せ、和合して物事成就するのぞ。まつる心なき者 誠ないぞ、マコト判らんぞ。靖国のミタマもそれ迄に奥山に祀りくれよ、まつり替へてやりてくれよ。世界の神々様、守護神様、人民のみたま、祀りくれよ、まつり結構ぞ。節分からの誓言(ちかひ)変へさすぞ、大神様には御三体の大神様 御三体の大神様と七回くり返せよ、それでよいぞ、神々様には弥栄ましませと五回くり返せよ、霊(タマ)の宮には弥栄ましませと三回繰り返せよ、それでよいぞ、弥栄ざぞ。十二月四日、ひつ九の

         


        ケの巻 第17帖 (351)→350 13-17
        天地の先祖、元の神の天詞(てんし)様が王の王と現はれなさるぞ、王の王はタマで御現はれなされるのざぞ。礼拝の仕方 書き知らすぞ、節分から始めて下されよ、先づキ整へて暫し目つむり心開きて一拝二拝八拍手せよ、又キ整へて一二三四五六七八九十(ひとふたみよいつむゆななやここのたり)と言(こと)高くのれよ、又キ整へてひふみ三回のれよ、これはこれは喜びの舞、清めの舞、祓の歌であるぞ。世界の臣民 皆のれよ、身も魂も一つになって、のり歌ひ舞へよ、身魂(みたま)全体で拍手するのざぞ、終って又キ整へて一二三四五六七八九十、一二三四五六七八九十百千卍(ももちよろず)と言(こと)高くのれよ、神気整へて天(アメ)の日月の大神様 弥栄ましませ弥栄ましませと祈れよ、これは祈るのざぞ、九二(くに)のひつくの神様 弥栄ましませ弥栄ましませと祈れよ、終りて八拍手せよ、次に雨の神様、風の神様、岩の神様、荒の神様、地震の神様、百々(もも)の神様、世の元からの生神様、産土(うぶすな)の神様に御礼申せよ、終りてから神々様のキ頂けよ、キの頂き方 前に知らしてあろがな、何よりの臣民人民の生(いき)の命の糧(かて)であるぞ、病なくなる元の元のキであるぞ、八度繰り返せと申してあろ、暫くこのやうに拝めよ、神代になる迄にはまだ進むのざぞ、それまではその様にせよ、此の方の申す様にすればその通りになるのざぞ、さまで苦しみなくて大峠越せるぞ、大峠とは王統消(わうとうけ)すのざぞ。新しき元の生命(いのち)と成るのざぞ。神の心となれば誠判るぞ。誠とはマとコトざぞ、神と人民 同じになれば神代ざぞ、神は隠身(かくりみ)に、人民 表に立ちて此の世治まるのざぞ。雀の涙程の物 取り合ひ へし合ひ 何して御座るのぞ、自分のものとまだ思ってゐるのか。御恩とは五つの音の事ざぞ、御音(恩)返さなならんのざぞ、此の事よく考へて間違はん様にして下されよ。此の巻は雨の巻ぞ、次々に知らすからミタマ相当により分けて知らしてやれよ、事分けて一二三(ひふみ)として知らしてやるのもよいぞ。役員皆に手柄立てさしたいのぢゃ、臣民人民 皆にそれぞれに手柄立てさしたいのぢゃ、待たれるだけ待ってゐるのぢゃ、一人で手柄は悪ぢゃ、分けあってやれよ、手握りてやれよ。石もの云ふぞ、十六の八の四の二の一目出度や目出度やなあ。神の仕組の世に出でにけり、あなさやけ、あな面白や、五つの色の七変はり八変はり九(ここ)の十々(たりたり)て百千万(ももちよろず)の神の世弥栄。十二月十九日、ひつ九のかミ。

         

         


        【弥栄と云う】

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          【弥栄と云う】

           

          ひふみ神示データサイト

          http://hifumi.uresi.org/17.html

          上記ページにて正しい文字表記を確認することができます。

           

           

          地震の巻 第15帖 (392)→391 17-15
            霊界には、山もあり、川もあり、海もあり、また、もろもろの社会があり、霊界の生活がある。故に、其処には霊人の住宅があり、霊人はまた衣類をもつ。住宅は、その住む霊人の生命の高下によって変化する。霊人の家には、主人の部屋もあれば、客室もあり、寝室もあり、また、食堂もあり、風呂場もあり、物置もあり、玄関もあり、庭園もある、と云ったふうに、現実世界と殆ど変りがない。と云うことは、霊人の生活様式なり、思想なりが、ことごとく同様であると云うことを意味する。また、内分を同じくする霊人たちは、相集まり、住宅は互に並び建てられており、地上に於ける都会や村落とよく似ている。その中心点には多くの場合、神殿や役所や学校等あらゆる公共の建物が、ほどよく並んでいる。そして、これらの総てが霊界に存在するが故に、地上世界に、それの写しがあるのである。霊界を主とし、霊界に従って、地上にうつし出されたのが、地上人の世界である。地上人は、物質を中心として感覚し、且つ考えるから、真相が中々につかめない。これら総ての建物は、神の歓喜を生命として建てられたものであって、霊人の心の内奥にふさわしい状態に変形され得る。また天人の衣類も、その各々がもつ内分に正比例している。高い内分にいる霊人は高い衣を、低いものは低い衣を自らにして着することとなる。彼等の衣類は、彼らの理智に対応しているのである。理智に対応すると云うことは、真理に対応すると云うことになる。但し、最も中心に近く、太神の歓喜に直面する霊人たちは衣類を着していないのである。この境地に到れば、総てが歓喜であり、他は自己であり、自己は他であるが故である。しかし、他よりこれを見る時は、見る霊人の心の高低によって、千変万化の衣類を着せる如く見ゆるのである。また、衣類は総て霊人の状態の変化によって変化して行くものである。霊人はまた、いろいろな食物を食している。云う迄もなく霊人の食物であるが、これまたその霊人の状態によって千変万化するが、要するに歓喜を食べているのである。食べられる霊食そのものも、食べる霊人も何れも、食べると云うことによって歓喜しているのである。地上人の場合は、物質を口より食べるのであるが、霊人は口のみでなく、目からも、鼻からも、耳からも、皮膚からも、手からも、足からも、食物を身体全体から食べるものである。そして、食べると云うことは、霊人と霊食とが調和し、融け合い、一つの歓喜となることである。霊人から見れば、食物を自分自身たる霊人の一部とするのであるが、食物から見れば霊人を食物としての歓喜の中に引き入れることとなるのである。これらの行為は、本質的には、地上人と相通ずる食物であり、食べ方ではあるが、その歓喜の度合および表現には大きな差がある。食物は歓喜であり、歓喜は神であるから、神から神を与えられるのである。以上の如くであるから、他から霊人の食べるのを見ていると、食べているのか、食べられているのか判らない程である。また霊人の食物は、その質において、その霊体のもつ質より遠くはなれたものを好む。現実社会に於ける、山菜、果物、海草等に相当する植物性のものを好み、同類である動物性のものは好まない。何故ならば、性の遠くはなれた食物ほど歓喜の度が強くなってくるからである。霊人自身に近い動物霊的なものを食べると歓喜しないのみならず、返って不快となるからである。そして霊人は、これらの食物を歓喜によって調理している。そしてまた与えられた総ての食物は、悉く食べて一物をも残さないのである。すべての善は


          【摩邇(マニ)の宝珠(タマ)】

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            【摩邇(マニ)の宝珠(タマ)】
            一部文字化けのため、正しい文字表記は下記サイトでご確認ください。
            http://hifumi.uresi.org/502.html
            http://hifumi.uresi.org/22.html


            碧玉の巻 第05帖 [(020)→869 33-5] *(531)→530
            七は成り、八は開くと申してあろうが、八の隈(くま)からひらきかけるのであるぞ、ひらけると �� と九と十との三が出てくる、これを宮と申すのぞ、宮とはマコトのことであるぞ、西と東に宮建てよと申すこと、これでよく判るであろうが、マコトの数を合せると五と五十であるぞ。中心に五があり、その周辺が五十となるのであるぞ。これが根本の型であり、型の歌であり、型の数であるぞ、摩邇(マニ)の宝珠(タマ)であるぞ、五十は伊勢であるぞ、五百は日本であるぞ、五千は世界であるぞ、このほう五千の山、五万の川、五億のクニであるぞと申してあろうがな。

            g.七は成り、八は開くと申してあろうが、八の隈(くま)からひらきかけるのであるぞ、ひらけると �� と九と十との三が出てくる、これを宮と申すのぞ、宮とはマコトのことであるぞ、西と東に宮建てよと申すこと、これでよく判るであろうが、マコトの数を合せると五と五十であるぞ。これが根本の型であり、型の歌であり、型の数であるぞ、摩邇(マニ)の宝珠(タマ)であるぞ、五十は伊勢であるぞ、五百は日本であるぞ、五千は世界であるぞ、このほう五千の山、五万の川、五億のクニであるぞと申してあろうがな。中心に五があり、その周辺が五十となるのであるぞ。


            * 〇 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十

            根本の型について:
            〇から十まですべて足すと五十五。
            五は中心。
            そのまわりが伊勢ということから組み合わせは四と六、三と七、二と八、一と九、〇と十、
            つまりおのおのの和、十、十、十、十、十 を合計すると五十になっています。

              〇 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十  (西の宮) 西にマコトの型
              十 九 八 七 六 五 四 三 二 一 〇  (東の宮) 東にマコトの型


            五を中心として、そのまわりにある五十の伊勢には西と東の型があるということです。

            五を中心として、内側から時計まわりに数字を結んでみましょう。

            西の伊勢:四と六、七と三、二と八、九と一、〇と十 (五のまわりを回転した場合の渦巻きの形)

            東の伊勢:六と四、三と七、八と二、一と九、十と〇 (五のまわりを回転した場合の渦巻きの形)


            五百(出雲)は日本であることから、

            西の日本:四十と六十、七十と三十、二十と八十、九十と十、〇と百
            (五のまわりを回転した場合の渦巻きの形)

            東の日本:六十と四十、三十と七十、八十と二十、十と九十、百と〇
            (五のまわりを回転した場合の渦巻きの形)


            五千は世界であることから、

            西の世界:四百と六百、七百と三百、二百と八百、九百と百、〇と千
            (五のまわりを回転した場合の渦巻きの形)

            東の世界:六百と四百、三百と七百、八百と二百、百と九百、千と〇
            (五のまわりを回転した場合の渦巻きの形)


            五万は川であることから、

            西の川:四千と六千、七千と三千、二千と八千、九千と千、〇と万
            (五のまわりを回転した場合の渦巻きの形)

            東の川:六千と四千、三千と七千、八千と二千、千と九千、万と〇
            (五のまわりを回転した場合の渦巻きの形)


            五億はクニであることから、

            西のクニ:四千万と六千万、七千万と三千万、二千万と八千万、九千万と千万、〇と億
            (五のまわりを回転した場合の渦巻きの形)

            東のクニ:六千万と四千万、三千万と七千万、八千万と二千万、千万と九千万、億と〇
            (五のまわりを回転した場合の渦巻きの形)


            (参考の帖)碧玉の巻 第05帖との和が999になる千の働きをあらわす帖
            青葉の巻 第01帖 (470)→469 22-1
              音秘会(おとひめかい)には別に神祀らいでもよいぞ、光の大神様 斎き祀り結構いたしくれよ、皆に音秘様の分霊(わけみたま)さずけとらすぞ。お守り、さずけとらすぞ、光の大神様の信者には御神名さずけとらせよ、役員には御神石まつりくれよ、光の大神様の日々の御給仕には十(とう)のカワラケにて供へまつれよ。役員七つに分けよ、大道師、権大道師、中道師、権中道師、小道師、権小道師、参道の七段階ぞ、中道師から上は神人共ざぞ。世界の民の会は三千世界に拝み合ふのざぞ、何事も神まつり第一ざと申してあろがな。大き器持ちて御座れよ、小さい心では見当とれんことになるぞ。慢心取違いポキンぞ。ミタマ何時でも変るのざぞ、次々に偉い人出て来るから神示よく読んでグングン行って進めよ、行ふ所 神現はれるぞ、光の道 弥栄ぞ、なせばなるのざぞ、人民どんどん行はなならんのざぞ、この神示から、ひかり教会から世に出せよ、この巻「ア火ハ(アオバ)の巻」、前の巻は「三 ��(ソラ)の巻」とせよ。四月二十六日、ひつ九のかミ。

            g.音秘会(おとひめかい)には別に神祀らいでもよいぞ、光の大神様 斎き祀り結構いたしくれよ、皆に音秘様の分霊(わけみたま)さずけとらすぞ。四月二十六日、ひつ九のかミ。ミタマ何時でも変るのざぞ、次々に偉い人出て来るから神示よく読んでグングン行って進めよ、行ふ所 神現はれるぞ、光の道 弥栄ぞ、なせばなるのざぞ、人民どんどん行はなならんのざぞ、この神示から、ひかり教会から世に出せよ、この巻「ア火ハ(アオバ)の巻」、前の巻は「三 ��(ソラ)の巻」とせよ。慢心取違いポキンぞ。大き器持ちて御座れよ、小さい心では見当とれんことになるぞ。世界の民の会は三千世界に拝み合ふのざぞ、何事も神まつり第一ざと申してあろがな。役員七つに分けよ、大道師、権大道師、中道師、権中道師、小道師、権小道師、参道の七段階ぞ、中道師から上は神人共ざぞ。お守り、さずけとらすぞ、光の大神様の信者には御神名さずけとらせよ、役員には御神石まつりくれよ、光の大神様の日々の御給仕には十(とう)のカワラケにて供へまつれよ。
            *世界の民の会 ⇒ 世界とは神界・霊界・現界の三千世界を指している模様でまた三千世界に拝み合ふことから 神示の帖からあてはめると ⇒ 三千世界連邦の民の会となる


             

            岩戸開けのタイミング予測

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              岩戸開けのタイミング予測
              *はじめに海の巻の【いわと】が開かれます。8月です。【二(つぎ)のいわと】は一年後、また半年たち、新年の風の巻から準備段階に入ります。
              岩の巻で準備万端となり、荒の巻で【いわと】が開きます。そして一年後、また半年たち、マツリの巻、天つ巻、富士の巻で9月前後に岩戸が開かれる予測です。


              *以下は参考の帖です。

              海の巻 第05帖 (497)→496 23-5
                今日(こんにち)までの御教は、悪を殺せば善ばかり、輝く御代が来ると云ふ、これが悪魔の御教(みおしへ)ぞ、この御教に人民は、すっかりだまされ悪殺す、ことが正しきことなりと、信ぜしことのおろかさよ、三千年の昔から、幾千万の人々が、悪を殺して人類の、平和を求め願ひしも、それははかなき水の泡、悪殺しても殺しても、焼いても煮てもしゃぶっても、悪は益々ふへるのみ、悪殺すてふ其のことが、悪そのものと知らざるや、神の心は弥栄ぞ、本来 悪も善もなし、只み光の栄ゆのみ、八股おろちも金毛も、ジャキも皆それ生ける神、神の光の生みしもの、悪抱きませ善も抱き、あななふ所に御力の、輝く時ぞ来たるなり、善いさかへば悪なるぞ、善悪不二と云ひながら、悪と善とを区別して、導く教ぞ悪なるぞ、只御光の其の中に、喜び迎へ善もなく、悪もあらざる天国ぞ、皆一筋の大神の、働きなるぞ悪はなし、世界一家の大業は、地の上ばかりでなどかなる、三千世界大和して、只御光に生きよかし、生れ赤児となりなりて、光の神の説き給ふ、誠の道をすすめかし、マコトの道に弥栄ませ。八月十五日、 �� のひつ九の �� しるす。
              言答(いわと)明けたる今日ぞ目出度し、二の言答(いわと)早よう明けてよ。


              g.今日(こんにち)までの御教は、悪を殺せば善ばかり、輝く御代が来ると云ふ、これが悪魔の御教(みおしへ)ぞ、この御教に人民は、すっかりだまされ悪殺す、ことが正しきことなりと、信ぜしことのおろかさよ、三千年の昔から、幾千万の人々が、悪を殺して人類の、平和を求め願ひしも、それははかなき水の泡、悪殺しても殺しても、焼いても煮てもしゃぶっても、悪は益々ふへるのみ、悪殺すてふ其のことが、悪そのものと知らざるや、神の心は弥栄ぞ、本来 悪も善もなし、只み光の栄ゆのみ、八股おろちも金毛も、ジャキも皆それ生ける神、神の光の生みしもの、悪抱きませ善も抱き、あななふ所に御力の、輝く時ぞ来たるなり、善いさかへば悪なるぞ、善悪不二と云ひながら、悪と善とを区別して、導く教ぞ悪なるぞ、只御光の其の中に、喜び迎へ善もなく、悪もあらざる天国ぞ、皆一筋の大神の、働きなるぞ悪はなし、世界一家の大業は、地の上ばかりでなどかなる、三千世界大和して、只御光に生きよかし、生れ赤児となりなりて、光の神の説き給ふ、誠の道をすすめかし、マコトの道に弥栄ませ。
                言答(いわと)明けたる今日ぞ目出度し、二の言答(いわと)早よう明けてよ。
                八月十五日、 �� のひつ九の �� しるす。 

              *【二(つぎ)の言答(いわと)】風の巻から始まり岩の巻で用意、荒の巻をまつらい言波の岩答明けを予測。

              *洗濯と申すのは何事によらん、人間心すてて仕舞て、智恵や学に頼らずに、神の申すこと一つもうたがはず生れ赤子の心のうぶ心になりて、神の教 守ることぞ。ミタマ磨きと申すのは、神からさづかってゐるミタマの命令に従ふて、肉体心すてて了ふて、神の申す通りそむかん様にすることぞ。(磐戸の巻 第16帖 から引用)

              *【ジャキ】邪気、邪鬼、より邪魔、邪魔者を作り上げるミタマを意味する。ひふみ神示では生神と説明されていて、悪の御用としての生き神であることがわかる。

              *【金毛】買占めには頭金が必要、裏金工作には尻尾を隠す商売上手から【金毛九尾の狐】とか。【九尾】は【くび、首】とも読むことができ、頭と尻尾の化け物の所以かもです。せっせと裏金工作する悪の御役の生き神ということでしょう。


              富士の巻 第23帖 (103) 3-23
                世界は一つになったぞ、一つになって神の国に攻め寄せて来ると申してあることが出て来たぞ。臣民にはまだ分るまいなれど、今に分りて来るぞ、くどう気つけて置いたことのいよいよが来たぞ。覚悟はよいか、臣民一人一人の心も同じになりて居ろがな、学と神の力との大戦ぞ、神国(かみぐに)の神の力あらはす時が近うなりたぞ。今あらはすと、助かる臣民 殆んどないから、神は待てるだけ待ちてゐるのぞ、臣民もかあいいが、元をつぶすことならんから、いよいよとなりたら、何んなことありても、ここまでしらしてあるのざから、神に手落ちあるまいがな。いよいよとなれば、分っていることなれば、なぜ知らさぬのぞと申すが、今では何馬鹿なと申して取り上げぬことよく分ってゐるぞ。因縁のみたまにはよく分るぞ、この神示読めばみたまの因縁よく分るのぞ、神の御用する身魂は選(よ)りぬいて引張りて居るぞ、おそし早しはあるなれど、いづれは何うしても、逃げてもイヤでも御用さすようになりて居るのぞ。北に気つけよ、東も西も南も何うする積りか、神だけの力では臣民に気の毒出来るのぞ、神と人との和のはたらきこそ神喜ぶのぞ、早う身魂みがけと申すことも、悪い心 洗濯せよと申すことも分かるであろう。八月三十日、�� の一二か三。

              g.世界は一つになったぞ、一つになって神の国に攻め寄せて来ると申してあることが出て来たぞ。八月三十日、�� の一二か三。北に気つけよ、東も西も南も何うする積りか、神だけの力では臣民に気の毒出来るのぞ、神と人との和のはたらきこそ神喜ぶのぞ、早う身魂みがけと申すことも、悪い心 洗濯せよと申すことも分かるであろう。因縁のみたまにはよく分るぞ、この神示読めばみたまの因縁よく分るのぞ、神の御用する身魂は選(よ)りぬいて引張りて居るぞ、おそし早しはあるなれど、いづれは何うしても、逃げてもイヤでも御用さすようになりて居るのぞ。いよいよとなれば、分っていることなれば、なぜ知らさぬのぞと申すが、今では何馬鹿なと申して取り上げぬことよく分ってゐるぞ。今あらはすと、助かる臣民 殆んどないから、神は待てるだけ待ちてゐるのぞ、臣民もかあいいが、元をつぶすことならんから、いよいよとなりたら、何んなことありても、ここまでしらしてあるのざから、神に手落ちあるまいがな。覚悟はよいか、臣民一人一人の心も同じになりて居ろがな、学と神の力との大戦ぞ、神国(かみぐに)の神の力あらはす時が近うなりたぞ。臣民にはまだ分るまいなれど、今に分りて来るぞ、くどう気つけて置いたことのいよいよが来たぞ。


              富士の巻 第24帖 (104) 3-24
                富士(二二)を目ざして攻め寄する、大船小船あめの船、赤鬼青鬼黒鬼や、おろち悪狐を先陣に、寄せ来る敵は空蔽(おお)ひ、海を埋めて忽(たちま)ちに、天日(てんぢつ)暗くなりにけり、折しもあれや日の国に、一つの光 現はれぬ、これこそ救ひの大神と、救ひ求むる人々の、目にうつれるは何事ぞ、攻め来る敵の大将の、大き光と呼応して、一度にドッと雨ふらす、火の雨何んぞたまるべき、まことの神はなきものか、これはたまらぬ兎も角も、生命あっての物種と、兜を脱がんとするものの、次から次にあらわれぬ、折しもあれや時ならぬ、大風起こり雨来たり、大海原には竜巻や、やがて火の雨 地(つち)震ひ、山は火を吹きどよめきて、さしもの敵も悉く、この世の外にと失せにけり、風やみ雨も収まりて、山川静まり国土の、ところところに白衣(しろきぬ)の、神のいぶきに甦る、御民の顔の白き色、岩戸ひらけぬしみじみと、大空仰ぎ神を拝み、地に跪(ひざまづ)き御民らの、目にすがすがし富士の山、富士は晴れたり日本晴れ、普字は晴れたり岩戸(一八十)あけたり。八月の三十日、�� の一二の �� 。

              g.富士(二二)を目ざして攻め寄する、大船小船あめの船、赤鬼青鬼黒鬼や、おろち悪狐を先陣に、寄せ来る敵は空蔽(おお)ひ、海を埋めて忽(たちま)ちに、天日(てんぢつ)暗くなりにけり、折しもあれや日の国に、一つの光 現はれぬ、これこそ救ひの大神と、救ひ求むる人々の、目にうつれるは何事ぞ、攻め来る敵の大将の、大き光と呼応して、一度にドッと雨ふらす、火の雨何んぞたまるべき、まことの神はなきものか、これはたまらぬ兎も角も、生命あっての物種と、兜を脱がんとするものの、次から次にあらわれぬ、折しもあれや時ならぬ、大風起こり雨来たり、大海原には竜巻や、やがて火の雨 地(つち)震ひ、山は火を吹きどよめきて、さしもの敵も悉く、この世の外にと失せにけり、風やみ雨も収まりて、山川静まり国土の、ところところに白衣(しろきぬ)の、神のいぶきに甦る、御民の顔の白き色、岩戸ひらけぬしみじみと、大空仰ぎ神を拝み、地に跪(ひざまづ)き御民らの、目にすがすがし富士の山、富士は晴れたり日本晴れ、普字は晴れたり岩戸(一八十)あけたり。八月の三十日、�� の一二の �� 。


              天つ巻 第01帖 (108) 4-1
                二二は晴れたり日本晴れ、二二に御社(みやしろ)してこの世治めるぞ。五大州ひっくり返りてゐるのが神には何より気に入らんぞ。一の大神様まつれ、二の大神様まつれよ、三の大神様まつれよ、天の御三体の大神様、地の御三体の大神様まつれよ、天から神々様 御降りなされるぞ、地から御神々様おのぼりなされるぞ、天の御神、地の御神、手をとりてうれしうれしの御歌うたはれるぞ。�� の国は神の国、神の肉体ぞ、汚(けが)してはならんとこぞ。八月の三十一日、一二のか三。

              g.二二は晴れたり日本晴れ、二二に御社(みやしろ)してこの世治めるぞ。八月の三十一日、一二のか三。�� の国は神の国、神の肉体ぞ、汚(けが)してはならんとこぞ。一の大神様まつれ、二の大神様まつれよ、三の大神様まつれよ、天の御三体の大神様、地の御三体の大神様まつれよ、天から神々様 御降りなされるぞ、地から御神々様おのぼりなされるぞ、天の御神、地の御神、手をとりてうれしうれしの御歌うたはれるぞ。五大州ひっくり返りてゐるのが神には何より気に入らんぞ。


              天つ巻 第07帖 (114) 4-7
                二二(ふじ)は晴れたり日本晴れ、二本のお足であんよせよ、二本のお手手で働けよ、日本の神の御仕組、いつも二本となりてるゾ、一本足の案山子(かかし)さん、今更 何うにもなるまいが、一本の手の臣民よ、それでは生きては行けまいが、一本足では立てないと、云ふこと最早分ったら、神が与えた二本足、日本のお土に立ちて見よ、二本のお手手 打ち打ちて、神おろがめよ あめつちに、響くまことの拍手に、日本の国は晴れるぞよ、二二(ふじ)は晴れたり日本晴れ、二二(ふじ)は晴れたり、岩戸あけたり。九月一日、ひつ九のか三。

              g.二二(ふじ)は晴れたり日本晴れ、二本のお足であんよせよ、二本のお手手で働けよ、日本の神の御仕組、いつも二本となりてるぞ、一本足の案山子(かかし)さん、今更 何うにもなるまいが、一本の手の臣民よ、それでは生きては行けまいが、一本足では立てないと、云ふこと最早分ったら、神が与えた二本足、日本のお土に立ちて見よ、二本のお手手 打ち打ちて、神おろがめよ あめつちに、響くまことの拍手に、日本の国は晴れるぞよ、二二(ふじ)は晴れたり日本晴れ、二二(ふじ)は晴れたり、岩戸あけたり。九月一日、ひつ九のか三。


              天つ巻 第09帖 (116) 4-9
                ひふみの秘密 出でひらき鳴る、早く道展き成る、世ことごとにひらき、世、なる大道で、神ひらき、世に神々満ちひらく、この鳴り成る神、ひふみ出づ大道、人神出づはじめ。九月二日、ひつぐのかみ。

              g.ひふみの秘密 出でひらき鳴る、早く道展き成る、世ことごとにひらき、世、なる大道で、神ひらき、世に神々満ちひらく、この鳴り成る神、ひふみ出づ大道、人神出づはじめ。九月二日、ひつぐのかみ。


              マツリの巻 第20帖 (424)→423 19-20
              神々様の大前に申し上げます。此の度の岩戸開きの御神業に尚一層の御活動願ひ上げます。大神様の大御心と御心併せなされ、いと高き神の能(はたらき)願ひ上げます。世界の民等が日々犯しました罪、穢、過(あやまち)は、何卒 神直日大直日に見直し聞き直し下さいまして、此の上ながらの御守護願ひ上げます。これは神々様への誓であるぞ。八月二十九日、ひつぐの神。

              g.神々様の大前に申し上げます。八月二十九日、ひつぐの神。これは神々様への誓であるぞ。世界の民等が日々犯しました罪、穢、過(あやまち)は、何卒 神直日大直日に見直し聞き直し下さいまして、此の上ながらの御守護願ひ上げます。大神様の大御心と御心併せなされ、いと高き神の能(はたらき)願ひ上げます。此の度の岩戸開きの御神業に尚一層の御活動願ひ上げます。


              マツリの巻 第22帖 (426)→425 19-22
                「ヤマタ」の「オロチ」を始め 悪の神々様まつり呉れよ、心して結構にまつり始め下されよ。この事 役員のみ心得よ、岩戸開く一つの鍵ざぞ、この巻、まつりの巻、八月三十日、一二�� 。

              g.「ヤマタ」の「オロチ」を始め 悪の神々様まつり呉れよ、心して結構にまつり始め下されよ。この事 役員のみ心得よ、岩戸開く一つの鍵ざぞ、この巻、まつりの巻、八月三十日、一二�� 。



               

              節分の祝詞真(まこと)挿入【三五七】と黄金の巻【五七七】の組み合わせ

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                節分の祝詞真(まこと)挿入【三五七】と黄金の巻【五七七】の組み合わせ



                節分の祝詞(のりと)

                真(まこと)【三五七】実践:

                ひふみ神示のなかで、春の巻に節分の祝詞が書かれています。書かれている言葉の数の内容はいずれも五七調です。

                五七五七五七五七五七五七五七・・・ となっています。

                地震の巻第11帖で【真を主とするものは、三五七律を主としている】ことから、隠れている三を補うことで真(まこと)を表現することができると考えました。

                真(まこと)の実践です。

                ただし、言葉の生命(いのち)にするためには、真愛の形【三五七五七七】にする必要があります。

                最後に、黄金の巻から愛の律【五七七】を載せておきます。

                節分の祝詞と黄金の巻を合わせると真愛の生命が生まれます。その真愛の組み合わせは自由でいずれも意味の深い内容になるはずです。。

                組み合わせることで真愛が成り、言葉の命となるようですから。





                【三五七五七七】真愛の言葉:実践例

                まこと、掛巻も、畏き極み、ひふみゆら、ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら。

                まこと、掛巻も、畏き極み、かけまくも、かしこけれども、歌たてまつる。

                まこと、掛巻も、畏き極み、御まへに、歌たてまつる、弥栄(ヤサカ)み歌を。

                まこと、九二つ千の、清(スガ)の中なる、ひふみゆら、ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら。

                まこと、九二つ千の、清(スガ)の中なる、かけまくも、かしこけれども、歌たてまつる。

                まこと、九二つ千の、清(スガ)の中なる、御まへに、歌たてまつる、弥栄(ヤサカ)み歌を。

                以下組み合わせは自由です。





                【三五七】真の言葉実践


                ベースの帖:春の巻 第03帖 [(660)→659 27-3] *(803)

                まこと、掛巻も、畏き極み、まこと、九二つ千の、清(スガ)の中なる、まこと、大清み、清みし中の、まこと、清らなる、清き真中の、まこと、よろこびの、其の真中なる、まこと、御光の、そが御力ぞ、まこと、綾によし、十九立(トコタチ)まし、まこと、大九二の、十九立(オオクニのトコタチ)大神、まこと、十四九百ヌ(トヨクモヌ)、十四(トヨ)の大神、まこと、瀬織津の、ヒメの大神、まこと、速秋の、秋津ヒメ神、まこと、伊吹戸の、主の大神、まこと、速々の、佐須良ヒメ神、まこと、これやこの、太日月 (オオヒツキ)、まこと、皇神(スメカミ)の、御前畏こみ、まこと、謹みて、うなね突貫き、まこと、白さまく、ことのマコト(真言)を。まこと、伊行く水、流れ流れて、まこと、月速み、いつの程にや、まこと、この年の、冬も呉竹、まこと、一と夜(ヨサ)の、梓(アズサ)の弓の、まこと、今とはや、明けなむ春の、まこと、立ちそめし、真玉新玉、まこと、よろこびの、神の稜威(ミイヅ)に、まこと、つらつらや、思ひ浮べば、まこと、天地(アメツチ)の、始めの時に、まこと、大御祖神(オオミオヤ)、九二十九立(クニトコタチ)の、まこと、大神伊、三千年、またも三千年の、もまた三千年、まこと、浮きに瀬に、忍び堪えまし、まこと、波風の、その荒々し、まこと、渡津海(ワタツミ)の、塩の八百路の、まこと、八汐路の、汐の八穂合ひ、まこと、洗はれし、孤島の中の、まこと、籠らひし、籠り玉ひて、まこと、畏くも、この世かまひし、まこと、大神の、時めぐり来て、まこと、一筋の、光の御代と、まこと、出でませし、めでたき日にぞ、まこと、今日の日は、御前畏こみ、まこと、御饌御酒(ミケミキ)を、ささげまつりて、まこと、海山野(ウミヤマヌ)、種々(クサグサ)珍(ウズ)の、まこと、みつぎもの、供へまつりて、まこと、かごぢもの、ひざ折り伏せて、まこと、大まつり、まつり仕へむ、まこと、まつらまく。生きとし生ける、まこと、まめひとの、ゆくりあらずも、まこと、犯しけむ、罪やけがれの、まこと、あらむをば、祓戸にます、まこと、祓戸の、大神達と、まこと、相共に、ことはかりまし、まこと、神直日、大直日にぞ、まこと、見伊直し、聞き直しまし、まこと、祓ひまし、清め玉ひて、まこと、清々(スガスガ)し、清(スガ)の御民(ミタミ)と、まこと、きこし召し、相(アイ)諾(ウズナ)ひて、まこと、玉へかし、玉はれかしと、まこと、多米津(タメツ)もの、まこと、百取(モモトリ)、さらに百取の、机の代(シロ)に、まこと、足らはして、横山の如、まこと、波の如、伊盛栄ゆる、まこと、大神の、神の御前に、まこと、まつらまく、こひのみまつる、まこと、畏こみて、まつらく白す、まこと、弥つぎつぎに。

                まこと、新玉(アラタマ)の 玉の御年(ミトシ)の 明けそめて 罪もけがれも 今はあらじな (【三五七五七七】真愛の形 )

                節分の祝詞であるぞ。太のりとせよ。いよいよの年立ちそめたぞ。うれしうれしの御代来るぞ。

                (一月の三十日、日月神。)




                【五七七】愛の言葉例

                黄金の巻 第44帖 [(555)→554 24-44] *(699)→698


                奉る歌書かして置いたに何故読まんのぢゃ。大き声で読み上げよ。歌うたひ呉れと申してある時来てゐるぞ。歌でイワトひらけるぞ。皆 歌へ唄へ。各も各も心の歌つくって奉れよ。歌結構ぞ。

                ひふみゆら、ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら。

                かけまくも、かしこけれども、歌たてまつる。

                御まへに、歌たてまつる、弥栄(ヤサカ)み歌を。

                世を救ふ、大みゐわざぞ、みことかしこし。

                まさに今、神のみことを、このみみに聞く。

                三千世界、救ふみわざぞ、言(コト)ただし行かな。

                大神の、しきます島の、八十島(ヤソシマ)やさか。

                天かけり、地(クニ)かける神も、みひかりに伏す。

                堪へに堪へし、三千年の、イワトひらけぬ。

                したたみも、いはひもとほり、神に仕へむ。

                大稜威(オオミイヅ)、あぎとふ魚も、ひれ伏し集ふ。

                かむながら、みことの朝を、みたみすこやかに。

                神の子ぞ、みたみぞ今の、この幸になく。

                国原は、大波うちて、みふみを拝す。

                天もなく、地もなく今を、みことに生きん。

                大みつげ、八百万神も、勇みたつべし。

                天地の、光となりて、みふで湧き出づ。

                一つ血の、みたみの血今、湧きて止まらず。

                大みこと、身によみがえる、遠つ祖神(オヤ)の血。

                すでに吾れ、あるなし神の、辺にこそ生きん。

                高鳴るは、吾か祖の血か、みつげ尊し。

                吾れあらじ、神々にして、祈らせ給ふ。

                天地も、極まり泣かん、この時にして。

                かつてなき、大みつげなり、たたで止むべき。

                天地も、極まりここに、御代生れ来ん。

                大き日の、陽にとけ呼ばん、くにひらく道。

                みことのり、今ぞ輝き、イワトひらけん。

                宮柱、太しき建てて、神のまにまに。

                抱き参らせ、大御心に、今ぞこたへむ。

                言いむけ、まつろはしめし、みことかしこし。

                ただ涙、せきあへず吾(ア)は、御(オン)まへに伏す。

                ささげたる、生命ぞ今を、神と生れます。

                大まへに、伏すもかしこし、祈る術(スベ)なし。

                今はただ、いのちの限り、太道(オミチ)伝へむを。

                祈りつつ、限りつくさん、みたみなり吾れ。

                いのち越え、大きいのちに、生きさせ給へ。

                ひたすらに、みことかしこみ、今日に生き来し。

                言霊の、言高らかに、太陽(オオヒ)にとけな。

                天に叫び、吾れにむちうち、今日に生き来し。

                あらしとなり、あまかけりなば、この心癒えむか。

                走りつつ、今海出づる、大き月に呼ぶ。

                みみかくし、生命と生れて、遠つ祖神(オヤ)さか。

                神々の、智は弥栄え、此処に吾れたつ。

                みたみ皆、死すてふことの、ありてあるべき。

                あな爽け、みたみ栄(ハエ)あり、神ともに行く。

                さあれ吾の、生命尊し、吾(ア)を拝(オロガ)みぬ。

                みづくとも、苔むすとても、生きて仕へん。

                いゆくべし、曲(マガ)の曲こと、断たで止むべき。

                かへりごと、高ら白さんと、今日も死を行く。

                追ひ追ひて、山の尾ことに、まつろはさんぞ。

                追ひはらひ、川の瀬ことに、曲なごめなん。


                みことなれば、天(アメ)の壁立つ、極み行かなん。

                と心の、雄たけび天も、高く鳴るべし。

                まさ言を、まさ言として、知らしめ給へ。

                たな肱(ヒヂ)に、水泡(ミナワ)かきたり、御稲(ミトシ)そだてんを。

                むか股に、ひぢかきよせて、たなつつくらむ。

                狭田長田、ところせきまで、実のらせ給へ。

                神々の、血潮とならん、ことに生き行く。

                言さやぐ、民ことむけて、神にささげん。

                にぎてかけ、共に歌はば、イワトひらけん。

                大き日に、真向ひ呼ばん、神の御名を。

                道端の、花の白きに、祈る人あり。

                拍手(カシワデ)の、ひびきて中今(イマ)の、大きよろこび。

                悔ゆるなく、御まへに伏し、祝詞(ノリト)申すも。

                祝詞せば、誰か和し居り、波の寄す如。

                のりと申す、わが魂に、呼ぶ何かあり。

                御まへに、額(ヌカ)づきあれば、波の音きこゆ。

                悔ゆるなき、一日(ヒトヒ)ありけり、夕月に歩す。

                曇りなく、今を祝詞す、幸はへたまへ。

                奉る、歌きこし召せ、幸はへ給へ。

                ひふみよい、むなやここたり、ももちよろづう。
                  
                かのととりの日。

                 


                真愛

                0

                  ひふみ神示に書かれている言葉の生命(いのち)である【真愛】の言霊、数霊を実践します。

                   

                  題材は百人一首です。

                  百人一首すべての歌は先頭語として【まこと】を添えることで真愛の言霊、数霊が成り立ちます。

                   

                  真【三五七】愛【五七七】

                    

                  1.天智天皇

                  真【三五七】:まこと 秋(あき)の田(た)の かりほの庵(いほ)の

                  愛【五七七】:苫(とま)をあらみ わが衣手(ころもで)は 露(つゆ)にぬれつつ


                    

                  2.持統天皇

                  真【三五七】:まこと 春過(はるす)ぎて 夏来(なつき)にけらし

                  愛【五七七】:白妙(しろたへ)の 衣干(ころもほ)すてふ 天(あま)の香具山(かぐやま)


                    

                  3.柿本人麻呂

                  真【三五七】:まこと あしびきの  山鳥(やまどり)の尾(を)の

                  愛【五七七】:しだり尾(を)の ながながし夜(よ)を ひとりかも寝(ね)む

                   



                  以下は同じように【まこと】を添えれば真愛の形となって、マコトの言葉になるかもしれません。

                  次回もつづきを実践してまいります。

                  特に短歌は皆様ご存知のように【五七五七七】調なので、先頭語として【三】を添えれば真愛の形【三五七五七七】を表現できます。子供の頃五七五−七七調で覚えた記憶がありますが、愛の五七七調として句の意味を調べる興味が湧いてきました。

                   

                   

                   

                  参考

                  学ぶ・教える.COM - 学習と教育のポータルサイト

                  百人一首

                  http://www.manabu-oshieru.com/hyakunin.html

                   



                  【真愛】の根拠の説明集

                   

                  星座の巻 第19帖 [(053)→902 34-19] *(564)→563

                   人民もの言わなくなると申してあろうが、ものが今迄のようにものを言わなくなり、マコトの世となるぞ、天人の言葉はマコトであるから、只一言で万語を伝へ得るぞ。言葉の生命(いのち)は愛であり、真であるから、真愛から発しない言葉はマコトの言葉でないぞ。子音と母音と組み組みて父音の気を入れて始めて言葉となるのぢゃ、今の人民のは言葉でないぞ、日本の古(光)語がマコトの言葉ぞ、言霊ぞ、数霊と倶に弥栄ゆく仕組。

                   

                  g.人民もの言わなくなると申してあろうが、ものが今迄のようにものを言わなくなり、マコトの世となるぞ、天人の言葉はマコトであるから、只一言で万語を伝へ得るぞ。子音と母音と組み組みて父音の気を入れて始めて言葉となるのぢゃ、今の人民のは言葉でないぞ、日本の古(光)語がマコトの言葉ぞ、言霊ぞ、数霊と倶に弥栄ゆく仕組。言葉の生命(いのち)は愛であり、真であるから、真愛から発しない言葉はマコトの言葉でないぞ。

                   



                  空の巻 第04帖 (459)→458 21-4

                    建直しの道つづき、結び、展く、日月出で、よろづのもの、一二三(ひふみ)とみち、つづき鳴り成り、ひらく大道、真理の出でそむ中心に、マコト動きて、元津神 栄ゆ、元津神は真理、真愛、大歓喜の大道ぞ、うづぞ、神々のうづぞ、ナルトぞ、人のよろこびぞ、代々の大道ぞ、真理、真愛、大歓喜は、中心にひかり、ひらき極まる道ぞ、展き極まる世ぞ、鳴り極み、ひらき、うごく大道、うごき、和し、なり、大歓喜、足りに足り足る世、生れ出づる世、うごき更にひらき、次々に栄え極みて、新しきはたらきの湧く次の大御代の六合つづく道、つづき睦びて、富士晴れ極み、鳴門は殊にひかり出でて、大道は日神の中心にかへり、亦出でて、ひらき、大道いよいよ満つ、焼く神々、早くせよ。一月六日、一二�� 。

                   

                  g.建直しの道つづき、結び、展く、日月出で、よろづのもの、一二三(ひふみ)とみち、つづき鳴り成り、ひらく大道、真理の出でそむ中心に、マコト動きて、元津神 栄ゆ、元津神は真理、真愛、大歓喜の大道ぞ、うづぞ、神々のうづぞ、ナルトぞ、人のよろこびぞ、代々の大道ぞ、真理、真愛、大歓喜は、中心にひかり、ひらき極まる道ぞ、展き極まる世ぞ、鳴り極み、ひらき、うごく大道、うごき、和し、なり、大歓喜、足りに足り足る世、生れ出づる世、うごき更にひらき、次々に栄え極みて、新しきはたらきの湧く次の大御代の六合つづく道、つづき睦びて、富士晴れ極み、鳴門は殊にひかり出でて、大道は日神の中心にかへり、亦出でて、ひらき、大道いよいよ満つ、焼く神々、早くせよ。一月六日、一二�� 。

                   



                  秋の巻 第05帖 (746) 29-5 *(890)

                   へその緒はつながってゐるのであるから、一段奥のへそえへそえと進んで行けば、其処に新しき広い世界、大きくひらけるのであるぞ。自分なくするのではなく高く深くするのであるぞ。無我でないぞ。判りたか。海の底にはキンはいくらでもあるぞ。幽界と霊線つなぐと自己愛となり、天国と霊線つなげば真愛と現れるぞ。よろこびも二つあるぞ。三つあるぞ。大歓喜は一つなれど、次の段階では二つとなるのであるぞ。

                   

                  g.へその緒はつながってゐるのであるから、一段奥のへそえへそえと進んで行けば、其処に新しき広い世界、大きくひらけるのであるぞ。大歓喜は一つなれど、次の段階では二つとなるのであるぞ。三つあるぞ。よろこびも二つあるぞ。幽界と霊線つなぐと自己愛となり、天国と霊線つなげば真愛と現れるぞ。海の底にはキンはいくらでもあるぞ。判りたか。無我でないぞ。自分なくするのではなく高く深くするのであるぞ。

                   



                  地震の巻 第11帖 (388)→387 17-11

                    霊人は、遠くにいても近くにいても、常にお互いに語り得る。同一線上にいる霊人の言葉は、何れも同一であって共通する。霊人の言葉は、霊人の想念のままに流れ出るのであるから、そのままにして通ずるのである。しかし、相手がきくことを欲しない時には聞こえない。それは丁度テレビやラジオの如きものであると考えたらよい。またその語ること、その語音によって、その相手の如何なるものなるかを知り得るのである。即ち、その発音から、また言葉の構成から、その霊人の如何なるものなるかは、直ちに判明する。霊人の言葉と地上人の言葉とは本質的には同様であるが、その表現は相違している。故に、霊人と地上人と会話する時は、霊人が地上人の想念の中に入るか、地上人が霊人の想念に和するか、その何れかでなくてはならない。しかし、霊人の言葉は、地上人の言葉に比して、その内蔵するものが極めて深く広いが故に、霊人の一語は地上人の数十語、数百語に価する場合が多く、その霊人が高度の霊人であればあるだけに、その度を増してくるのである。原因と結果とを一つにし、更に結果より生ずる新しい原因も、新しい結果をも同時に表現し、なお言葉そのものが一つの独立せる行為となり、且つ一つの独立せる生きものとなって現われ、行為し、生命するからである。言葉そのものが弥栄であり、生命である。また総てであるということは、地上人には理解できぬであろう。それは、過去が現在であり、未来もまた現在であり、更に生前も、生後の立場においては生後であり、死後の立場においては死後である。また一里先も、百里先もまた千万里はなれていても、同一の場所であるのと同様であって理解するに極めて困難である。だが、地上人に於ても それを知り得る内的な生命をもっているのであるから、理解することは困難であるが不可能ではない。霊人の言葉は歓喜より発するが故に歓喜そのものであり、神の言葉でもあるが、その霊人のおかれている位置によって二つのものに大別し得る。歓喜の現われとしての愛に位置している霊人の言葉は、善的内容を多分に蔵している。故に、柔らかくして連続的であり、太陽の ��(ひかり)と (熱)とに譬えることができる。また、歓喜の現われとして真に位置する霊人の言葉は、智的内容を多分に蔵している。故に、清く流れ出でて連続的ではなく、或る種の固さを感じさせる。そしてそれは月の光と、水の如き清さとを感じさせる。また前者は曲線的であって消極面を表に出し、後者は直線的であって積極面を表に出している。また前者は愛に住するが故に、主としてOとUの音が多く発せられ、後者は智に住するが故に主としてEとIの音が多く発せられている。そして、その何れもがA音によって統一要約する神密極まる表現をなし、またそれを感得し得る能力をもっている。しかし、これらOU、EI及びAの母音は想念の �� をなすものであって、地上人よりすれば、言葉そのものとしては、感得し得ないことを知らねばならないのである。霊界に於ける音楽もまた同様であって、愛を主とした音楽はO及びUを多分に含み、曲線的であり、真を伝える音楽はI及びEの音が多く、直線的である。それは、言葉そのものが かかる内質をもっており、各々が霊界に於ける生命の歓喜の表現なるが為である。またこれら霊人の言葉は、天的の韻律をもっている。即ち愛を主とするものは、五七七律を、真を主とするものは、三五七律を主としているが、その補助律としては、千変万化である。言葉の韻律は、地上人が肉体の立体をもっている如く、その完全、弥栄を示すものであって、律の不安定、不完全なものは、正しき力を発揮し得ず、生命力がないのである。

                   

                  g.霊人は、遠くにいても近くにいても、常にお互いに語り得る。言葉の韻律は、地上人が肉体の立体をもっている如く、その完全、弥栄を示すものであって、律の不安定、不完全なものは、正しき力を発揮し得ず、生命力がないのである。即ち愛を主とするものは、五七七律を、真を主とするものは、三五七律を主としているが、その補助律としては、千変万化である。またこれら霊人の言葉は、天的の韻律をもっている。それは、言葉そのものが かかる内質をもっており、各々が霊界に於ける生命の歓喜の表現なるが為である。霊界に於ける音楽もまた同様であって、愛を主とした音楽はO及びUを多分に含み、曲線的であり、真を伝える音楽はI及びEの音が多く、直線的である。しかし、これらOU、EI及びAの母音は想念の �� をなすものであって、地上人よりすれば、言葉そのものとしては、感得し得ないことを知らねばならないのである。そして、その何れもがA音によって統一要約する神密極まる表現をなし、またそれを感得し得る能力をもっている。また前者は愛に住するが故に、主としてOとUの音が多く発せられ、後者は智に住するが故に主としてEとIの音が多く発せられている。また前者は曲線的であって消極面を表に出し、後者は直線的であって積極面を表に出している。そしてそれは月の光と、水の如き清さとを感じさせる。故に、清く流れ出でて連続的ではなく、或る種の固さを感じさせる。また、歓喜の現われとして真に位置する霊人の言葉は、智的内容を多分に蔵している。故に、柔らかくして連続的であり、太陽の ��(ひかり)と (熱)とに譬えることができる。歓喜の現われとしての愛に位置している霊人の言葉は、善的内容を多分に蔵している。霊人の言葉は歓喜より発するが故に歓喜そのものであり、神の言葉でもあるが、その霊人のおかれている位置によって二つのものに大別し得る。だが、地上人に於ても それを知り得る内的な生命をもっているのであるから、理解することは困難であるが不可能ではない。また一里先も、百里先もまた千万里はなれていても、同一の場所であるのと同様であって理解するに極めて困難である。それは、過去が現在であり、未来もまた現在であり、更に生前も、生後の立場においては生後であり、死後の立場においては死後である。また総てであるということは、地上人には理解できぬであろう。言葉そのものが弥栄であり、生命である。原因と結果とを一つにし、更に結果より生ずる新しい原因も、新しい結果をも同時に表現し、なお言葉そのものが一つの独立せる行為となり、且つ一つの独立せる生きものとなって現われ、行為し、生命するからである。しかし、霊人の言葉は、地上人の言葉に比して、その内蔵するものが極めて深く広いが故に、霊人の一語は地上人の数十語、数百語に価する場合が多く、その霊人が高度の霊人であればあるだけに、その度を増してくるのである。故に、霊人と地上人と会話する時は、霊人が地上人の想念の中に入るか、地上人が霊人の想念に和するか、その何れかでなくてはならない。霊人の言葉と地上人の言葉とは本質的には同様であるが、その表現は相違している。即ち、その発音から、また言葉の構成から、その霊人の如何なるものなるかは、直ちに判明する。またその語ること、その語音によって、その相手の如何なるものなるかを知り得るのである。それは丁度テレビやラジオの如きものであると考えたらよい。しかし、相手がきくことを欲しない時には聞こえない。霊人の言葉は、霊人の想念のままに流れ出るのであるから、そのままにして通ずるのである。同一線上にいる霊人の言葉は、何れも同一であって共通する。

                   



                  地震の巻 第12帖 (389)→388 17-12

                    霊人が地上人に語る時は、その想念が同一線上に融和するが為である。霊人が地上人に来る時は、その人の知る総てを知ることとなるのであるが、その語るのは霊人自身でなくて、霊人と和合して体的の自分に語るので、自分と自分が談話しているのである。霊人は現実界と直接には接し得ない。また地上人は霊界と直接には接し得ないのが原則である。しかし、それぞれの仲介を通じていっても、直接行なうのと同様の結果となるのである。為に地上人は直接なし得るものと考えるのである。地上人の想念の中には霊界が映像されており、霊人の想念の中には現実界が内蔵されている。故に、この二つの世界が一つに見えることもあり得るのである。しかし、映像と実相のへだたりは かなり遠いものである。霊人と地上人との交流において、この間の真相を知らねばならぬし、その互に交わされる談話に於ても前記の如くであることを知らねばならない。霊人も地上人も、自分自身と語り、自分自身の中に見、且つ聞いているのである。霊人が地上人に憑依したり、動物霊が人間に憑依したりすることは、前記の如き原則によってあり得ないのである。しかし、外部からの感応であり、仲介された二次的交流であっても、その度の強くなった場合、地上人から見れば憑依せると同様の結果を現わすものである。故に、神が直接、人間を通じて人語を発し、または書記するのではなくして、それぞれの順序を経て地上人に感応し、その地上人のもつそれぞれの人語を使用して語り、その地上人のもつそれぞれの文字を使用して神意を伝達することとなるのである。しかし、神の言葉は、如何に地上人を通じて人語としても、その神に通ずる想念を内蔵せぬ地上人には、伝え得ないのである。語れども聞き得ず、読むとも その真意は通じ得ないのである。霊人の中には、自分達の住む霊界の他に、別の世界が限りなく存在することを知らず、また、その世界に住む霊人を知らず、また物質世界と地上人を知らない場合もある。それは丁度、地上人の多くが、生前及び死後の世界を信じないのと同様である。

                   

                  g.霊人が地上人に語る時は、その想念が同一線上に融和するが為である。それは丁度、地上人の多くが、生前及び死後の世界を信じないのと同様である。霊人の中には、自分達の住む霊界の他に、別の世界が限りなく存在することを知らず、また、その世界に住む霊人を知らず、また物質世界と地上人を知らない場合もある。語れども聞き得ず、読むとも その真意は通じ得ないのである。しかし、神の言葉は、如何に地上人を通じて人語としても、その神に通ずる想念を内蔵せぬ地上人には、伝え得ないのである。故に、神が直接、人間を通じて人語を発し、または書記するのではなくして、それぞれの順序を経て地上人に感応し、その地上人のもつそれぞれの人語を使用して語り、その地上人のもつそれぞれの文字を使用して神意を伝達することとなるのである。しかし、外部からの感応であり、仲介された二次的交流であっても、その度の強くなった場合、地上人から見れば憑依せると同様の結果を現わすものである。霊人が地上人に憑依したり、動物霊が人間に憑依したりすることは、前記の如き原則によってあり得ないのである。霊人も地上人も、自分自身と語り、自分自身の中に見、且つ聞いているのである。霊人と地上人との交流において、この間の真相を知らねばならぬし、その互に交わされる談話に於ても前記の如くであることを知らねばならない。しかし、映像と実相のへだたりは かなり遠いものである。故に、この二つの世界が一つに見えることもあり得るのである。地上人の想念の中には霊界が映像されており、霊人の想念の中には現実界が内蔵されている。為に地上人は直接なし得るものと考えるのである。しかし、それぞれの仲介を通じていっても、直接行なうのと同様の結果となるのである。また地上人は霊界と直接には接し得ないのが原則である。霊人は現実界と直接には接し得ない。霊人が地上人に来る時は、その人の知る総てを知ることとなるのであるが、その語るのは霊人自身でなくて、霊人と和合して体的の自分に語るので、自分と自分が談話しているのである。

                   



                  【五七】調  適宜【まこと】挿入で【三五七】の真の言霊、数霊となります。

                  春の巻 第03帖 [(660)→659 27-3] *(803)

                   掛巻も、畏き極み、九二つ千の、清(スガ)の中なる大清み、清みし中の、清らなる、清き真中の、よろこびの、其の真中なる、御光の、そが御力ぞ、綾によし、十九立(トコタチ)まし、大九二の十九立(オオクニのトコタチ)大神、十四九百ヌ(トヨクモヌ)、十四(トヨ)の大神、瀬織津の、ヒメの大神、速秋の、秋津ヒメ神、伊吹戸の、主の大神、速々の、佐須良ヒメ神、これやこの、太日月 ��(オオヒツキ)、皇神(スメカミ)の御前畏こみ、謹みて、うなね突貫き、白さまく、ことのマコト(真言)を。伊行く水、流れ流れて、月速み、いつの程にや、この年の、冬も呉竹、一と夜(ヨサ)の、梓(アズサ)の弓の、今とはや、明けなむ春の、立ちそめし、真玉新玉、よろこびの、神の稜威(ミイヅ)に、つらつらや、思ひ浮べば、天地(アメツチ)の、始めの時に、大御祖神(オオミオヤ)、九二十九立(クニトコタチ)の、大神伊、三千年、またも三千年の、もまた三千年、浮きに瀬に、忍び堪えまし、波風の、その荒々し、渡津海(ワタツミ)の、塩の八百路の、八汐路の、汐の八穂合ひ、洗はれし、孤島の中の、籠らひし、籠り玉ひて、畏くも、この世かまひし、大神の、時めぐり来て、一筋の、光の御代と、出でませし、めでたき日にぞ、今日の日は、御前畏こみ、御饌御酒(ミケミキ)を、ささげまつりて、海山野(ウミヤマヌ)、種々(クサグサ)珍(ウズ)の、みつぎもの、供へまつりて、かごぢもの、ひざ折り伏せて、大まつり、まつり仕へむ、まつらまく。生きとし生ける、まめひとの、ゆくりあらずも、犯しけむ、罪やけがれの、あらむをば、祓戸にます、祓戸の、大神達と相共に、ことはかりまし、神直日、大直日にぞ、見伊直し、聞き直しまし、祓ひまし、清め玉ひて、清々(スガスガ)し、清(スガ)の御民(ミタミ)と、きこし召し、相(アイ)諾(ウズナ)ひて、玉へかし、玉はれかしと、多米津(タメツ)もの、百取(モモトリ)、さらに、百取の、机の代(シロ)に、足らはして、横山の如、波の如、伊盛、栄ゆる、大神の、神の御前に、まつらまく、こひのみまつる、畏こみて、まつらく白す、弥つぎつぎに。

                   

                   新玉(アラタマ)の 玉の御年(ミトシ)の 明けそめて 罪もけがれも 今はあらじな

                   

                   節分の祝詞であるぞ。太のりとせよ。いよいよの年立ちそめたぞ。うれしうれしの御代来るぞ。

                  (一月の三十日、日月神。)

                   

                  g.掛巻も、畏き極み、九二つ千の、清(スガ)の中なる大清み、清みし中の、清らなる、清き真中の、よろこびの、其の真中なる、御光の、そが御力ぞ、綾によし、十九立(トコタチ)まし、大九二の十九立(オオクニのトコタチ)大神、十四九百ヌ(トヨクモヌ)、十四(トヨ)の大神、瀬織津の、ヒメの大神、速秋の、秋津ヒメ神、伊吹戸の、主の大神、速々の、佐須良ヒメ神、これやこの、太日月 ��(オオヒツキ)、皇神(スメカミ)の御前畏こみ、謹みて、うなね突貫き、白さまく、ことのマコト(真言)を。伊行く水、流れ流れて、月速み、いつの程にや、この年の、冬も呉竹、一と夜(ヨサ)の、梓(アズサ)の弓の、今とはや、明けなむ春の、立ちそめし、真玉新玉、よろこびの、神の稜威(ミイヅ)に、つらつらや、思ひ浮べば、天地(アメツチ)の、始めの時に、大御祖神(オオミオヤ)、九二十九立(クニトコタチ)の、大神伊、三千年、またも三千年の、もまた三千年、浮きに瀬に、忍び堪えまし、波風の、その荒々し、渡津海(ワタツミ)の、塩の八百路の、八汐路の、汐の八穂合ひ、洗はれし、孤島の中の、籠らひし、籠り玉ひて、畏くも、この世かまひし、大神の、時めぐり来て、一筋の、光の御代と、出でませし、めでたき日にぞ、今日の日は、御前畏こみ、御饌御酒(ミケミキ)を、ささげまつりて、海山野(ウミヤマヌ)、種々(クサグサ)珍(ウズ)の、みつぎもの、供へまつりて、かごぢもの、ひざ折り伏せて、大まつり、まつり仕へむ、まつらまく。生きとし生ける、まめひとの、ゆくりあらずも、犯しけむ、罪やけがれの、あらむをば、祓戸にます、祓戸の、大神達と相共に、ことはかりまし、神直日、大直日にぞ、見伊直し、聞き直しまし、祓ひまし、清め玉ひて、清々(スガスガ)し、清(スガ)の御民(ミタミ)と、きこし召し、相(アイ)諾(ウズナ)ひて、玉へかし、玉はれかしと、多米津(タメツ)もの、百取(モモトリ)、さらに、百取の、机の代(シロ)に、足らはして、横山の如、波の如、伊盛、栄ゆる、大神の、神の御前に、まつらまく、こひのみまつる、畏こみて、まつらく白す、弥つぎつぎに。

                   

                   (一月の三十日、日月神。)

                   

                    うれしうれしの御代来るぞ。いよいよの年立ちそめたぞ。太のりとせよ。節分の祝詞であるぞ。

                   

                    新玉(アラタマ)の 玉の御年(ミトシ)の 明けそめて 罪もけがれも 今はあらじな

                   

                  【五七七】調  愛の言霊、数霊:

                  黄金の巻 第44帖 [(555)→554 24-44] *(699)→698

                   奉る歌書かして置いたに何故読まんのぢゃ。大き声で読み上げよ。歌うたひ呉れと申してある時来てゐるぞ。歌でイワトひらけるぞ。皆 歌へ唄へ。各も各も心の歌つくって奉れよ。歌結構ぞ。

                   

                   ひふみゆら、ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら。

                   

                   かけまくも、かしこけれども、歌たてまつる。

                   

                   御まへに、歌たてまつる、弥栄(ヤサカ)み歌を。

                   

                   世を救ふ、大みゐわざぞ、みことかしこし。

                   

                   まさに今、神のみことを、このみみに聞く。

                   

                   三千世界、救ふみわざぞ、言(コト)ただし行かな。

                   

                   大神の、しきます島の、八十島(ヤソシマ)やさか。

                   

                   天かけり、地(クニ)かける神も、みひかりに伏す。

                   

                   堪へに堪へし、三千年の、イワトひらけぬ。

                   

                   したたみも、いはひもとほり、神に仕へむ。

                   

                   大稜威(オオミイヅ)、あぎとふ魚も、ひれ伏し集ふ。

                   

                   かむながら、みことの朝を、みたみすこやかに。

                   

                   神の子ぞ、みたみぞ今の、この幸になく。

                   

                   国原は、大波うちて、みふみを拝す。

                   

                   天もなく、地もなく今を、みことに生きん。

                   

                   大みつげ、八百万神も、勇みたつべし。

                   

                   天地の、光となりて、みふで湧き出づ。

                   

                   一つ血の、みたみの血今、湧きて止まらず。

                   

                   大みこと、身によみがえる、遠つ祖神(オヤ)の血。

                   

                   すでに吾れ、あるなし神の、辺にこそ生きん。

                   

                   高鳴るは、吾か祖の血か、みつげ尊し。

                   

                   吾れあらじ、神々にして、祈らせ給ふ。

                   

                   天地も、極まり泣かん、この時にして。

                   

                   かつてなき、大みつげなり、たたで止むべき。

                   

                   天地も、極まりここに、御代生れ来ん。

                   

                   大き日の、陽にとけ呼ばん、くにひらく道。

                   

                   みことのり、今ぞ輝き、イワトひらけん。

                   

                   宮柱、太しき建てて、神のまにまに。

                   

                   抱き参らせ、大御心に、今ぞこたへむ。

                   

                   言いむけ、まつろはしめし、みことかしこし。

                   

                   ただ涙、せきあへず吾(ア)は、御(オン)まへに伏す。

                   

                   ささげたる、生命ぞ今を、神と生れます。

                   

                   大まへに、伏すもかしこし、祈る術(スベ)なし。

                   

                   今はただ、いのちの限り、太道(オミチ)伝へむを。

                   

                   祈りつつ、限りつくさん、みたみなり吾れ。

                   

                   いのち越え、大きいのちに、生きさせ給へ。

                   

                   ひたすらに、みことかしこみ、今日に生き来し。

                   

                   言霊の、言高らかに、太陽(オオヒ)にとけな。

                   

                   天に叫び、吾れにむちうち、今日に生き来し。

                   

                   あらしとなり、あまかけりなば、この心癒えむか。

                   

                   走りつつ、今海出づる、大き月に呼ぶ。

                   

                   みみかくし、生命と生れて、遠つ祖神(オヤ)さか。

                   

                   神々の、智は弥栄え、此処に吾れたつ。

                   

                   みたみ皆、死すてふことの、ありてあるべき。

                   

                   あな爽け、みたみ栄(ハエ)あり、神ともに行く。

                   

                   さあれ吾の、生命尊し、吾(ア)を拝(オロガ)みぬ。

                   

                   みづくとも、苔むすとても、生きて仕へん。

                   

                   いゆくべし、曲(マガ)の曲こと、断たで止むべき。

                   

                   かへりごと、高ら白さんと、今日も死を行く。

                   

                   追ひ追ひて、山の尾ことに、まつろはさんぞ。

                   

                   追ひはらひ、川の瀬ことに、曲なごめなん。

                   

                   みことなれば、天(アメ)の壁立つ、極み行かなん。

                   

                   と心の、雄たけび天も、高く鳴るべし。

                   

                   まさ言を、まさ言として、知らしめ給へ。

                   

                   たな肱(ヒヂ)に、水泡(ミナワ)かきたり、御稲(ミトシ)そだてんを。

                   

                   むか股に、ひぢかきよせて、たなつつくらむ。

                   

                   狭田長田、ところせきまで、実のらせ給へ。

                   

                   神々の、血潮とならん、ことに生き行く。

                   

                   言さやぐ、民ことむけて、神にささげん。

                   

                   にぎてかけ、共に歌はば、イワトひらけん。

                   

                   大き日に、真向ひ呼ばん、神の御名を。

                   

                   道端の、花の白きに、祈る人あり。

                   

                   拍手(カシワデ)の、ひびきて中今(イマ)の、大きよろこび。

                   

                   悔ゆるなく、御まへに伏し、祝詞(ノリト)申すも。

                   

                   祝詞せば、誰か和し居り、波の寄す如。

                   

                   のりと申す、わが魂に、呼ぶ何かあり。

                   

                   御まへに、額(ヌカ)づきあれば、波の音きこゆ。

                   

                   悔ゆるなき、一日(ヒトヒ)ありけり、夕月に歩す。

                   

                   曇りなく、今を祝詞す、幸はへたまへ。

                   

                   奉る、歌きこし召せ、幸はへ給へ。

                   

                   ひふみよい、むなやここたり、ももちよろづう。

                   

                  g.奉る歌書かして置いたに何故読まんのぢゃ。

                   

                    ひふみよい、むなやここたり、ももちよろづう。

                   

                    奉る、歌きこし召せ、幸はへ給へ。

                   

                    曇りなく、今を祝詞す、幸はへたまへ。

                   

                    悔ゆるなき、一日(ヒトヒ)ありけり、夕月に歩す。

                   

                    御まへに、額(ヌカ)づきあれば、波の音きこゆ。

                   

                    のりと申す、わが魂に、呼ぶ何かあり。

                   

                    祝詞せば、誰か和し居り、波の寄す如。

                   

                    悔ゆるなく、御まへに伏し、祝詞(ノリト)申すも。

                   

                    拍手(カシワデ)の、ひびきて中今(イマ)の、大きよろこび。

                   

                    道端の、花の白きに、祈る人あり。

                   

                    大き日に、真向ひ呼ばん、神の御名を。

                   

                    にぎてかけ、共に歌はば、イワトひらけん。

                   

                    言さやぐ、民ことむけて、神にささげん。

                   

                    神々の、血潮とならん、ことに生き行く。

                   

                    狭田長田、ところせきまで、実のらせ給へ。

                   

                    むか股に、ひぢかきよせて、たなつつくらむ。

                   

                    たな肱(ヒヂ)に、水泡(ミナワ)かきたり、御稲(ミトシ)そだてんを。

                   

                    まさ言を、まさ言として、知らしめ給へ。

                   

                    と心の、雄たけび天も、高く鳴るべし。

                   

                    みことなれば、天(アメ)の壁立つ、極み行かなん。

                   

                    追ひはらひ、川の瀬ことに、曲なごめなん。

                   

                    追ひ追ひて、山の尾ことに、まつろはさんぞ。

                   

                    かへりごと、高ら白さんと、今日も死を行く。

                   

                    いゆくべし、曲(マガ)の曲こと、断たで止むべき。

                   

                    みづくとも、苔むすとても、生きて仕へん。

                   

                    さあれ吾の、生命尊し、吾(ア)を拝(オロガ)みぬ。

                   

                    あな爽け、みたみ栄(ハエ)あり、神ともに行く。

                   

                    みたみ皆、死すてふことの、ありてあるべき。

                   

                    神々の、智は弥栄え、此処に吾れたつ。

                   

                    みみかくし、生命と生れて、遠つ祖神(オヤ)さか。

                   

                    走りつつ、今海出づる、大き月に呼ぶ。

                   

                    あらしとなり、あまかけりなば、この心癒えむか。

                   

                    天に叫び、吾れにむちうち、今日に生き来し。

                   

                    言霊の、言高らかに、太陽(オオヒ)にとけな。

                   

                    ひたすらに、みことかしこみ、今日に生き来し。

                   

                    いのち越え、大きいのちに、生きさせ給へ。

                   

                    祈りつつ、限りつくさん、みたみなり吾れ。

                   

                    今はただ、いのちの限り、太道(オミチ)伝へむを。

                   

                    大まへに、伏すもかしこし、祈る術(スベ)なし。

                   

                    ささげたる、生命ぞ今を、神と生れます。

                   

                    ただ涙、せきあへず吾(ア)は、御(オン)まへに伏す。

                   

                    言いむけ、まつろはしめし、みことかしこし。

                   

                    抱き参らせ、大御心に、今ぞこたへむ。

                   

                    宮柱、太しき建てて、神のまにまに。

                   

                    みことのり、今ぞ輝き、イワトひらけん。

                   

                    大き日の、陽にとけ呼ばん、くにひらく道。

                   

                    天地も、極まりここに、御代生れ来ん。

                   

                    かつてなき、大みつげなり、たたで止むべき。

                   

                    天地も、極まり泣かん、この時にして。

                   

                    吾れあらじ、神々にして、祈らせ給ふ。

                   

                    高鳴るは、吾か祖の血か、みつげ尊し。

                   

                    すでに吾れ、あるなし神の、辺にこそ生きん。

                   

                    大みこと、身によみがえる、遠つ祖神(オヤ)の血。

                   

                    一つ血の、みたみの血今、湧きて止まらず。

                   

                    天地の、光となりて、みふで湧き出づ。

                   

                    大みつげ、八百万神も、勇みたつべし。

                   

                    天もなく、地もなく今を、みことに生きん。

                   

                    国原は、大波うちて、みふみを拝す。

                   

                    神の子ぞ、みたみぞ今の、この幸になく。

                   

                    かむながら、みことの朝を、みたみすこやかに。

                   

                    大稜威(オオミイヅ)、あぎとふ魚も、ひれ伏し集ふ。

                   

                    したたみも、いはひもとほり、神に仕へむ。

                   

                    堪へに堪へし、三千年の、イワトひらけぬ。

                   

                    天かけり、地(クニ)かける神も、みひかりに伏す。

                   

                    大神の、しきます島の、八十島(ヤソシマ)やさか。

                   

                    三千世界、救ふみわざぞ、言(コト)ただし行かな。

                   

                    まさに今、神のみことを、このみみに聞く。

                   

                    世を救ふ、大みゐわざぞ、みことかしこし。

                   

                    御まへに、歌たてまつる、弥栄(ヤサカ)み歌を。

                   

                    かけまくも、かしこけれども、歌たてまつる。

                   

                    ひふみゆら、ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら。

                   

                    歌結構ぞ。各も各も心の歌つくって奉れよ。皆 歌へ唄へ。歌でイワトひらけるぞ。歌うたひ呉れと申してある時来てゐるぞ。大き声で読み上げよ。

                   

                   


                  クワシホコチタルのウラヤス

                  0

                    五葉の巻 第03帖 [(117)→966 38-3] *(628)→627
                     友つくれと申してあろうが、友と申しても人間ばかりでないぞ、山も友ぞ、川も友ぞ、動植物も友ぞ。一人の友を得たら一つの世界を得たことぞ、何も彼も皆友ぢゃ、友は己ぢゃ、皆己となれば己なくなるぞ、己なくなれば永遠に生きられる、無限の己となるぞ。御神前で拝むもよいなれど、空を拝めよ、山も川も拝めよ、野菜拝めば野菜が、魚を拝めば魚が神となり、又、己となるのぢゃ。足らぬことないクワシホコチタルのウラヤスの自分となるのであるぞ。

                     

                    g.友つくれと申してあろうが、友と申しても人間ばかりでないぞ、山も友ぞ、川も友ぞ、動植物も友ぞ。足らぬことないクワシホコチタルのウラヤスの自分となるのであるぞ。御神前で拝むもよいなれど、空を拝めよ、山も川も拝めよ、野菜拝めば野菜が、魚を拝めば魚が神となり、又、己となるのぢゃ。一人の友を得たら一つの世界を得たことぞ、何も彼も皆友ぢゃ、友は己ぢゃ、皆己となれば己なくなるぞ、己なくなれば永遠に生きられる、無限の己となるぞ。

                    *yuru63さんのサイトより:2013/06/28 http://hifumi.busidou.jp/yomu/kensyou/5000-117.html
                     『太陽のサイト』を「ヌホコ」と呼んでいる様な帖がありました。(一二三50-140)
                      よって「クワシホコチタルのウラヤス」は「九の和の詩のホコの智が足る、ウラ(心)安」とすると、
                     「足らないことのない、『太陽のサイト』を理解した、心安らぐ」と、伝えているのかもと感じました。
                    *上記からのヒント
                     【クワシホコチタルのウラヤス】九和潮九千足るの | �� 八 �� (ウラヤス)より��九(ラク、楽)の花咲く自分となることかもしれません。

                    *くわしほこちだる‐くに〔くはしほこちだる‐〕【細戈千足国】

                    《「くわしほこ」は精巧な武器、「ちだる」は十分備わっている意》日本国の美称。
                     
                    日本(やまと)は浦安の国細戈(くわしほこ)の−・る国/日本書紀 神武訓」

                     


                    父音(ふいん)

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                      「父音」と説明参照

                      星座の巻 第19帖 [(053)→902 34-19] *(564)→563
                      人民もの言わなくなると申してあろうが、ものが今迄のようにものを言わなくなり、マコトの世となるぞ、天人の言葉はマコトであるから、只一言で万語を伝へ得るぞ。言葉の生命(いのち)は愛であり、真であるから、真愛から発しない言葉はマコトの言葉でないぞ。子音と母音と組み組みて父音の気を入れて始めて言葉となるのぢゃ、今の人民のは言葉でないぞ、日本の古(光)語がマコトの言葉ぞ、言霊ぞ、数霊と倶に弥栄ゆく仕組。

                      g.人民もの言わなくなると申してあろうが、ものが今迄のようにものを言わなくなり、マコトの世となるぞ、天人の言葉はマコトであるから、只一言で万語を伝へ得るぞ。子音と母音と組み組みて
                      父音の気を入れて始めて言葉となるのぢゃ、今の人民のは言葉でないぞ、日本の古(光)語がマコトの言葉ぞ、言霊ぞ、数霊と倶に弥栄ゆく仕組。言葉の生命(いのち)は愛であり、真であるから、真愛から発しない言葉はマコトの言葉でないぞ。

                      *ネット検索していたら父音についてのコラム発見しました。参考になった一節紹介します。


                      個人心理學研究所さんサイトより
                      https://www.noa-group.co.jp/column/post/03
                      「母音と子音だけでは、意味は伝わるが感動は伝わらない!!」と。
                      そう言えば、雰囲気こそ、実は「父音の気」ではないかと確信したのです。
                      国語辞典で「雰囲気」を調べると、次の2つの説明がありました。
                      1. 天体、特に地球をとりまく空気。大気。
                      2. その場やそこにいる人たちが自然に作り出している気分。また、ある人が周囲に感じさせる特別な    気分。ムード。
                      用例としては、「家庭的な雰囲気の店」「職場の雰囲気を壊す」「雰囲気のある俳優」などが挙げられていましたが、面白いのは注意書きで*"「ふいんき」と発音する人が増えているという調査結果がある"と書かれていたのです!!
                      「ふいんき」とは、まさに「父音気」ではありませんか!?

                      *雰囲気=ふいんき=父音気  いいですね!!
                      ただ、一二三では「父音の気を入れて始めて言葉となるのぢゃ、今の人民のは言葉でないぞ、日本の古(光)語がマコトの言葉ぞ、言霊ぞ、数霊と倶に弥栄ゆく仕組み」と書いていることから、マコトの言葉を失いはじめて三千年経つ事が伺えます。真愛から発した言葉が父音をともなったマコトの言葉ということのようです。

                       

                      冬の巻 第01帖と反転(グレン)と説明

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                        冬の巻 第01帖 [(770) 30-1] *(914)
                         宇宙は霊の霊と物質とからなってゐるぞ。人間も又同様であるぞ。宇宙にあるものは皆人間にあり。人間にあるものは皆宇宙にあるぞ。人間は小宇宙と申して、神のヒナガタと申してあらう。人間には物質界を感知するために五官器があるぞ。霊界を感知するために超五官器あるぞ。神界は五官と超五官と和して知り得るのであるぞ。この点 誤るなよ。霊的自分を正守護神と申し、神的自分を本守護神と申すぞ。幽界的自分が副守護神ぢゃ。本守護神は大神の歓喜であるぞ。
                         神と霊は一つであって、幽と現、合せて三ぞ。この三は三にして一、一にして二、二にして三であるぞ。故に肉体のみの自分もなければ霊だけの自分もない。神界から真直ぐに感応する想念を正流と申す。幽界を経て又幽界より来る想念を外流と申すぞ。人間の肉体は想念の最外部、最底部をなすものであるから肉体的動きの以前に於て霊的動きが必ずあるのであるぞ。故に人間の肉体は霊のいれものと申してあるのぞ。
                         又 物質界は、霊界の移写であり衣であるから、霊界と現実界、又 霊と体とは殆んど同じもの。同じ形をしてゐるのであるぞ。故に物質界と切り離された霊界はなく、霊界と切り離した交渉なき現実界はないのであるぞ。人間は霊界より動かされるが、又 人間自体よりかもし出した霊波は反射的に霊界に反影するのであるぞ。人間の心の凸凹によって、一は神界に、一は幽界に反影するのであるぞ。幽界は人間の心の影が生み出したものと申してあろうがな。
                         総ては大宇宙の中にあり、その大宇宙である大神の中に、大神が生み給ふたのであるぞ。このことよくわきまへて下されよ。善のこと悪のこと、善悪のこと、よく判って来るのであるぞ。故に、人間の生活は霊的生活、言の生活であるぞ。肉体に食ふことあれば霊にもあり、言を食べているのが霊ぞ。霊は言ぞ。この点が最も大切なことじゃから、くどう申しておくぞ。
                         死んでも物質界とつながりなくならん。生きてゐる時も霊界とは切れんつながりあること、とくと会得せよ。そなた達は神をまつるにも、祖先まつるにも物質のめあてつくるであろうがな。それはまだまだ未熟な事ぞ。
                         死後に於ても、現実界に自分がある。それは丁度、生きてゐる時も半分は霊界で生活してゐるのと同じであるぞ。自分の衣は自分の外側であるぞ。自分を霊とすると、衣は体、衣着た自分を霊とすれば家は体、家にゐる自分を霊とすれば土地は体であるぞ。更に祖先は過去の自分であり、子孫は新しき自分、未来の自分であるぞ。兄弟姉妹は最も近き横の自分であるぞ。人類は横の自分、動、植、鉱物は更にその外の自分であるぞ。切りはなすこと出来ん。
                         自分のみの自分はないぞ。縦には神とのつながり切れんぞ。限りなき霊とのつながり切れんぞ。故に、神は自分であるぞ。一切は自分であるぞ。一切がよろこびであるぞ。
                         霊界に於ける自分は、殊に先祖との交流、交渉深いぞ。よって、自分の肉体は自分のみのものでないぞ。先祖霊と交渉深いぞ。神はもとより一切の交渉あるのであるぞ。その祖先霊は神界に属するものと幽界に属するものとあるぞ。中間に属するものもあるぞ。神界に属するものは、正流を通じ、幽界に属するものは外流を通じて自分に反応してくるぞ。正流に属する祖先は正守護神の一柱であり、外流に加はるものは、副守護神の一柱と現はれてくるのであるぞ。外流の中には、動植物霊も交ってくることあるぞ。それは己の心の中にその霊と通ずるものあるためぞ。
                         一切が自分であるためぞ。常に一切を浄化せなならんぞ。霊は常に体を求め、体は霊を求めて御座るからぞ。霊体一致が喜びの根本であるぞ。一つの肉体に無数の霊が感応し得るのざ。それは霊なるが故にであるぞ。霊には霊の霊が感応する。又 高度の霊は無限に分霊するのであるぞ。
                         二重三重人格と申すのは、二重三重のつきものの転換によるものであり、群集心理は一時的の憑依霊であると申してあろうがな。霊が元と申してくどう知らしてあろうが。人間は現界、霊界共に住んで居り、その調和をはからねばならん。自分は自分一人でなく、タテにもヨコにも無限につながってゐるのであるから、その調和をはからねばならん。それが人間の使命の最も大切なことであるぞ。 調和乱すが悪ぞ。人間のみならず、総て偏してならん。霊に偏してもならん。霊も五、体も五と申してあらう。ぢゃが主は霊であり体は従ぞ。神は主であり、人間は従であるぞ。五と五と同じであると申してあろう。差別則平等と申してあらう。取り違い禁物ぞ。
                         神は愛と現はれ、真と現はれるのであるが、その根はよろこびであるぞ。神の子は皆よろこびぢゃ。よろこびは弥栄ぞ。ぢゃがよろこびにも正流と外流とあるぞ。間違へてならんぞ。正流の歓喜は愛の善となって現はれて、又 真の信と現はれるぞ。外流のよろこびは愛の悪となって現れるぞ。何れも大神の現れであること忘れるなよ。
                         悪抱き参らせて進むところにマコトの弥栄あるのであるぞ。神は弥栄ぞ。これでよいと申すことないのであるぞ。大完成から超大大完成に向って常に弥栄してゐるのであるぞよ。宇宙は総てに於ても、個々に於ても総てよろこびからよろこびに向って呼吸してゐるのぞ。よろこびによって創られてよろこんでゐるのであるぞ。故によろこびなくして生きないぞ。合一はないぞ。
                         愛は愛のみではよろこびでないぞと申してあろう。真は真のみでは喜びでないと申してあろうが。愛と真と合一し、�� するところに、陰と陽と合一、弥栄したところによろこびあるのぢゃぞ。この巻 冬の巻、五月五日の佳き日。ひつく神。

                        g.宇宙は霊の霊と物質とからなってゐるぞ。ひつく神。この巻 冬の巻、五月五日の佳き日。愛と真と合一し、�� するところに、陰と陽と合一、弥栄したところによろこびあるのぢゃぞ。真は真のみでは喜びでないと申してあろうが。愛は愛のみではよろこびでないぞと申してあろう。
                         合一はないぞ。故によろこびなくして生きないぞ。よろこびによって創られてよろこんでゐるのであるぞ。宇宙は総てに於ても、個々に於ても総てよろこびからよろこびに向って呼吸してゐるのぞ。大完成から超大大完成に向って常に弥栄してゐるのであるぞよ。神は弥栄ぞ。悪抱き参らせて進むところにマコトの弥栄あるのであるぞ。これでよいと申すことないのであるぞ。
                         何れも大神の現れであること忘れるなよ。外流のよろこびは愛の悪となって現れるぞ。正流の歓喜は愛の善となって現はれて、又 真の信と現はれるぞ。間違へてならんぞ。ぢゃがよろこびにも正流と外流とあるぞ。よろこびは弥栄ぞ。神の子は皆よろこびぢゃ。神は愛と現はれ、真と現はれるのであるが、その根はよろこびであるぞ。
                         取り違い禁物ぞ。差別則平等と申してあらう。五と五と同じであると申してあろう。神は主であり、人間は従であるぞ。ぢゃが主は霊であり体は従ぞ。霊も五、体も五と申してあらう。霊に偏してもならん。人間のみならず、総て偏してならん。調和乱すが悪ぞ。
                         それが人間の使命の最も大切なことであるぞ。
                        自分は自分一人でなく、タテにもヨコにも無限につながってゐるのであるから、その調和をはからねばならん。人間は現界、霊界共に住んで居り、その調和をはからねばならん。霊が元と申してくどう知らしてあろうが。二重三重人格と申すのは、二重三重のつきものの転換によるものであり、群集心理は一時的の憑依霊であると申してあろうがな。
                         又 高度の霊は無限に分霊するのであるぞ。霊には霊の霊が感応する。それは霊なるが故にであるぞ。一つの肉体に無数の霊が感応し得るのざ。霊体一致が喜びの根本であるぞ。霊は常に体を求め、体は霊を求めて御座るからぞ。常に一切を浄化せなならんぞ。一切が自分であるためぞ。
                        それは己の心の中にその霊と通ずるものあるためぞ。外流の中には、動植物霊も交ってくることあるぞ。正流に属する祖先は正守護神の一柱であり、外流に加はるものは、副守護神の一柱と現はれてくるのであるぞ。神界に属するものは、正流を通じ、幽界に属するものは外流を通じて自分に反応してくるぞ。中間に属するものもあるぞ。その祖先霊は神界に属するものと幽界に属するものとあるぞ。神はもとより一切の交渉あるのであるぞ。先祖霊と交渉深いぞ。よって、自分の肉体は自分のみのものでないぞ。霊界に於ける自分は、殊に先祖との交流、交渉深いぞ。
                        一切がよろこびであるぞ。一切は自分であるぞ。故に、神は自分であるぞ。限りなき霊とのつながり切れんぞ。縦には神とのつながり切れんぞ。自分のみの自分はないぞ。
                        切りはなすこと出来ん。人類は横の自分、動、植、鉱物は更にその外の自分であるぞ。兄弟姉妹は最も近き横の自分であるぞ。更に祖先は過去の自分であり、子孫は新しき自分、未来の自分であるぞ。自分を霊とすると、衣は体、衣着た自分を霊とすれば家は体、家にゐる自分を霊とすれば土地は体であるぞ。自分の衣は自分の外側であるぞ。それは丁度、生きてゐる時も半分は霊界で生活してゐるのと同じであるぞ。死後に於ても、現実界に自分がある。
                        それはまだまだ未熟な事ぞ。そなた達は神をまつるにも、祖先まつるにも物質のめあてつくるであろうがな。生きてゐる時も霊界とは切れんつながりあること、とくと会得せよ。死んでも物質界とつながりなくならん。
                        この点が最も大切なことじゃから、くどう申しておくぞ。
                        霊は言ぞ。肉体に食ふことあれば霊にもあり、言を食べているのが霊ぞ。故に、人間の生活は霊的生活、言の生活であるぞ。善のこと悪のこと、善悪のこと、よく判って来るのであるぞ。このことよくわきまへて下されよ。総ては大宇宙の中にあり、その大宇宙である大神の中に、大神が生み給ふたのであるぞ。
                        幽界は人間の心の影が生み出したものと申してあろうがな。人間の心の凸凹によって、一は神界に、一は幽界に反影するのであるぞ。人間は霊界より動かされるが、又 人間自体よりかもし出した霊波は反射的に霊界に反影するのであるぞ。故に物質界と切り離された霊界はなく、霊界と切り離した交渉なき現実界はないのであるぞ。同じ形をしてゐるのであるぞ。又 物質界は、霊界の移写であり衣であるから、霊界と現実界、又 霊と体とは殆んど同じもの。
                        故に人間の肉体は霊のいれものと申してあるのぞ。人間の肉体は想念の最外部、最底部をなすものであるから肉体的動きの以前に於て霊的動きが必ずあるのであるぞ。幽界を経て又幽界より来る想念を外流と申すぞ。神界から真直ぐに感応する想念を正流と申す。故に肉体のみの自分もなければ霊だけの自分もない。この三は三にして一、一にして二、二にして三であるぞ。神と霊は一つであって、幽と現、合せて三ぞ。
                        本守護神は大神の歓喜であるぞ。幽界的自分が副守護神ぢゃ。霊的自分を正守護神と申し、神的自分を本守護神と申すぞ。この点 誤るなよ。神界は五官と超五官と和して知り得るのであるぞ。霊界を感知するために超五官器あるぞ。人間には物質界を感知するために五官器があるぞ。人間は小宇宙と申して、神のヒナガタと申してあらう。人間にあるものは皆宇宙にあるぞ。宇宙にあるものは皆人間にあり。人間も又同様であるぞ。


                        *冬の巻 第01帖 の感想(神示通り説くまでの道理) ポイントは善悪の関係がよく判って来る帖のようです。
                        説明: 
                        宇宙と人間の構造は同じであるらしい。人間は小宇宙であり神のヒナガタでもある。人間には日常生活に必要な五官器に加え霊界も感知できる超五官器が内臓されている。そして神界を感知するには現実界五官器と霊界超五官器を和せばいい。超五官器のみでは霊的自分の正守護神を感知でき、それを現実的自分と和せば本守護神を知ることができる。霊界のうち神界を除いた幽界的自分を副守護神という。現実的自分と霊的自分を和して現れた本守護神は大神の歓喜である。
                         神と霊は一つであって、幽と現は二つ、合わせて三つ。この三つは三つにして一つ、一つにして二つ、二つにして三つである。なので現実肉体のみの自分もなければ霊だけの自分もない。神界からまっすぐに来る想念を正流といい、現界で生んでしまった幽界から来る想念を外流という。人間の肉体は想念の最外部、最低部を具現化したもの。順番からして想念という霊的動きが先となって肉体的動きに流れる。だから人間の肉体は霊を内臓するいれものになっている。
                         宇宙は霊を衣とする霊の霊(親子関係)と物質を衣とする物質の物質(親子関係)を現していて、大きく分けても物質界は霊界の移写であり衣であるから、霊界と現実界、又霊と体はほとんど同じもの、同じ形をしている。物質界と霊界はくっついている。しかも重要ポイントで現実界から霊界へ交渉できうる。順番からすれば人間は霊界から動かされるも、人間自体からかもしだした霊波つまり言波は反射的に霊界に反映することができる。人間の心(九九��)のデコボコによって、一つは神界に、一つは幽界に反映する。幽界は人間の心の影が生み出したもの。ちょっと待って、ひょっとして神界にも交渉できるのかな。
                         すべては大宇宙の中にある。大宇宙とは大神のこと。元の大神が生んだのが大宇宙だそうです。これをわきまえると善のこと悪のこと、善悪のこと、よくわかってくるらしい。霊からしてみれば、人間の生活は霊的生活、言の生活といえる。肉体に食うことあれば霊にもある。言を食べているのが霊。霊は言。最も大切なポイント。くどく申しておくとのこと。
                         今仮に死んだとしても物質界とつながりがなくなるわけではないそうです。ということは、生きている時も霊界とくっついていることをわかってくださいだそうです。一般大衆(冬の巻のソナタ達)は神をまつるにも、祖先(十千)まつるにも物質のめあてつくるでしょう(神棚とか仏壇とか)。それはまだまだ未熟な事って書いてありますね。
                         又、死んで時間たっても、現実界に自分はある。それはちょうど生きている時も半分は霊界で生活しているのと同じであるとのこと。睡眠時間はまさに霊界活動かもです。自分の衣は自分の外側をいう。自分を霊とすると、衣は体、衣着た自分を霊とすれば家は体、家にいる自分を霊とすれば土地は体であるぞ。ということは自分を霊を霊とすれば体は霊ということに、体は言ということになるでしょう。
                         更に祖先は過去の自分であり、子孫は新しき自分、未来の自分である。兄弟姉妹は最も近き横の自分である。人類は横の自分、動、植、鉱物は更にその外の自分である。切りはなすこと出来ません。
                         自分のみの自分はない。縦には神とのつながり切れません。限りなき霊とのつながり切れません。重要ポイントで、ゆえに、神は自分なのです。一切は自分なのです。一切がよろこびなのです。
                         霊界に於ける自分は、殊に先祖との交流、交渉深いです。よって、自分の肉体は自分のみのものではないです。先祖霊と交渉深いです。神はもとより一切の交渉あるのです。その祖先霊は神界に属するものと幽界に属するものとあります。中間に属するものもあります。神界に属するものは、正流を通じ、幽界に属するものは外流を通じて自分に反応してきます。正流に属する祖先は正守護神の一柱であり、外流に加はるものは、副守護神の一柱と現はれてくるのです。外流の中には、動植物霊も交ってくることがあります。それは己の心の中にその霊と通ずるものがあるためです。
                         一切が自分であるためなのです。常に一切を浄化しなければなりません。霊は常に体を求め、体は霊を求めて御座います。霊体一致が喜びの根本です。一つの肉体に無数の霊が感応し得るのです。それは霊なるが故であります。霊には霊の霊が感応します。又 高度の霊は無限に分霊するのです。
                         二重三重人格というのは、二重三重のつきものの転換によるものであって、群集心理は一時的の憑依霊であります。霊が元といってくどく知らしてあるではありませんか。人間は現界、霊界共に住んで居り、その調和をはからねばなりません。自分は自分一人でなく、タテにもヨコにも無限につながってゐるのであるから、その調和をはからねばなりません。それが人間の使命の最も大切なことです。
                         調和乱すが悪です。人間のみならず、総て偏してなりません。霊に偏してもなりません。霊も五、体も五と申しております。でも上下順番があって主は霊であり体は従です。神は主であり、人間は従です。五と五と同じであると申してあります。差別すなわち平等と申してあります。取り違い禁物です。
                         神は愛と現はれ、真と現はれますが、その根はよろこびであります。神の子は皆よろこびです。よろこびは弥栄です。でもよろこびにも正流と外流とあります。間違へてはなりません。正流の歓喜は愛の善となって現はれて、又 真の信と現はれるのです。外流のよろこびは愛の悪となって現れます。何れも大神の現れであること忘れてはなりません。
                         悪抱き参らせて進むところにマコトの弥栄はあるのです。神は弥栄です。これでよいと申すことないのです。大完成から超大大完成に向って常に弥栄してゐるのですよ。宇宙は総てに於ても、個々に於ても総てよろこびからよろこびに向って呼吸してゐるのです。よろこびによって創られてよろこんでゐるのです。故によろこびなくして生きず、合一はないのです。
                         愛は愛のみではよろこびではありません。真は真のみでは喜びではありません。愛と真と合一し、�� (神示・神示元・息吹・呼吸・心・掃除道具)するところに、陰と陽と合一、弥栄したところによろこびあるのです。この巻 冬の巻、五月五日の佳き日。ひつく神。


                         

                        戦、いくさ等のまつり

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                          戦、いくさ等のまつり
                          http://6221.teacup.com/solkenshoo2/bbs/1243
                          *(特殊文字が[��ほか文字化け]表記されています。各帖内のただしい文字表記は終末の検証サロンで確認できます)

                          戦、いくさ等のまつり


                          *引用文は該当部分の抜き出しになっており帖の全文ではありません。


                          月光の巻 第52帖 [(839) 31-52] *(983)
                           己自身のいくさ まだまだと申してあろうがな。このいくさ中々ぢゃが、正しく和して早う弥栄結構ぞ。


                          月光の巻 第54帖 [(841) 31-54] *(985)
                          平面より見れば相対あるなれど、立体に入り更に複立体、複々立体、立立体の世界を知らねばならんぞ。相対では争ひぢゃ。いくさぢゃ。真の世界平和は今のやり方、考へ方では成就せんぞ。三千世界和平から出発せねばならんぞ。そなたは神示をよくよんでゐるが、それだけでは足らん。神示を肚に入れねばならん。つけ焼刃ではならん。神示を血とし生活とすれば、何事も思ふ通りスラリスラリと面白い程 栄えて来るぞ。


                          冬の巻 補帖 [(787) 30-18] *(931)
                           いくさ起るのぢゃ。人間の病や、いくさばかりでない、国は国の、世界は世界の、山も川も海も、みな病となり、不運となってくるぞ。


                          秋の巻 第22帖 (763) 29-22 *(907)
                           神にとけ入れと申してあろう。次元が違うから、戒律出来るから、判らんのぢゃ。解け入れよ。何につけても大いくさ。人の殺し合ひばかりでないと知らしてあらう。ビックリぢゃ。


                          春の巻 第42帖 [(699)→698 27-42] *(842)
                           いくさは善にもあり、悪にもあり、右には右の、左には左の、上には上の、下には下の、中には中の、外には外のいくさあるぞ。新しき御代が到来しても いくさはなくならん。いくさも歩みぞ。弥栄ぞ。ぢゃと申して今のような外道のいくさでないぞ。人殺し、生命殺すようないくさは外道。やればやる程はげしくなるぞ。正道のいくさは人を生かすいくさ、やればやるほど進むのぢゃ。今の人民いくさと申せば、人の殺し合ひと早合点するが、それは外道のいくさ。天国へのいくさもあるぞ。幽界へのいくさもあるぞ。人民の云ふ今のいくさ、今の武器は、人殺す外道の道、それではならんのう。


                          春の巻 第43帖 [(700)→699 27-43] *(843)
                           戦争か平和かと人民申してゐるなれど、道はその二つでないぞ、三が道と、くどう申してあろう。


                          黄金の巻 第75帖 [(586)→585 24-75] *(730)→729
                           戦や天災では改心出来ん。


                          極めの巻 第12帖 [(090)→939 36-12] *(601)→600
                           口先ばかりで、その場限りでうまい事申して御座るが、それは悪の花、心と行が伴わんからぢゃ。己(おのれ)自身のいくさが終ってゐないからであるぞ。


                          海の巻 第06帖 (498)→497 23-6
                           一二四、結構な日に生れたのぢゃ、この日に生れた仕事は皆よくなるぞ、この神示よく読んでくれたら何を申さんでも、何を聞かんでも、よいことになるのであるぞ、戦や天災では人の心は直らんと申してあろが、今迄のどんなやり方でも人の心は直らんぞ、心得なされよ。
                          *【一二四】ひつぐ世、ひつぐ詞、ひつぐことば、ひつぐ言波、つくしのひむか


                          青葉の巻 第16帖 (485)→484 22-16
                            日の大神様は日の御働き、月の大神様は月の御働き、日の大神様も世の末となって来て御神力うすくなりなされてゐるのざぞ、日の大神様も二つ、三つ、自分一人の力では何事もこれからは成就せんぞ、心得なされよ、神示で知らしただけで得心して改心出来れば大難は小難となるのぢゃ、やらねばならん、戦は碁、将棋、位の戦ですむのぢゃ、人民の心次第、行ひ次第で空まで変ると申してあろがな、この道理よく心得なさりて、神の申すこと判らいでも、無理と思ふ事も貫きて下されよ、これがマコトぢゃ。八月五日、ひつ九のかミ。


                          青葉の巻 第20帖 (489)→488 22-20
                           己の心見よ、いくさまだまだであろが、違ふ心があるから違ふものが生れて違ふことになる道理分らんのかなあ。


                          空の巻 第11帖 (466)→465 21-11
                            一分と九分との戦ひぢゃ、皆九分が強いと思ふてゐるが、今度の仕組、アフンの仕組ぞ。


                          梅の巻 第05帖 (432)→431 20-5
                            神がかりて世界中のこと何でも判る様に思ふてゐると、とんでもないことになるぞ、このままにしてほっておくと戦済んだでもなく、とどめもさせん、世界中の大難となるから早う改心結構ぞ。


                          梅の巻 第07帖 (434)→433 20-7
                            悪神の国から始まって世界の大戦(おおいくさ)愈々激しくなって来るぞ。


                          梅の巻 第18帖 (445)→444 20-18
                            今迄になかったこと今度はするのぢゃから合点出来んも道理ぢゃ道理ぢゃ、始めは戦(たたかい)で、争(いくさ)で世の建替する積りであったが、あまりに曇りひどいから、イクサばかりでは、すみずみまでは掃除出来んから、世界の家々の隅まで掃除するのぢゃから、その掃除中々ぢゃから、戦(イクサ)許りでないぞ、家の中キチンと食物大切がカイの御用と申してあろがな、今度の岩戸は、あけっぱなしぢゃ、褌いらんと申してあろう。


                          マツリの巻 第14帖 (418)→417 19-14
                            世界の戦争、天災、皆人民の心からなり。


                          光の巻 第07帖 (403)→402 18-7
                          今一戦(ひといくさ)あるぞ。 �� (す)と二(ふ)と四(よ)との大きいくさあると知らしてありたが、一旦は二(ふ)と四(よ)の天下になる所まで落ち込むぞ、行く所まで行きて、ナのミタマとノのミタマの和合一致出来てからスのミタマが天下統一、世界一平となるのぢゃぞ。愈々大峠 取上げにかかるのざぞ。
                          *【ナのミタマとノのミタマ】ナギナミ、名,七,7[言波]のミタマとノストラダムス、ノアの大洪水のミタマ


                          岩の巻 第02帖 (367)→366 15-2
                           われの国同士の戦 始まるのぢゃ。この戦、神は眼あけて見ておれんなれど、これも道筋ぢゃから、人民にも見て居られんのぢゃが、友喰ひと申して知らしてあらうが。
                          *【神は眼あけて見ておれん】十十。【友喰ひ】十百九一 → 十百十。


                          雨の巻 第05帖 (339)→338 13-5
                           神示に書かしたら日月の神(一二�� )が天明に書かすのであるから其の通りになるのであるぞ、皆仲よう相談して悪き事は気付け合ってやりて下され、それがまつりであるぞ、王(おー)の世が 函覆気さまのおー)の世になって居るのを今度は元に戻すのであるから、その事 早う判っておらんと一寸の地の上にもおれん事になるぞ、今度の戦(いくさ)すみたら世界一平一列一体になると知らしてあるが、一列一平 其の上に神が居ますのざぞ、神なき一平一列は秋の空ぞ、魔の仕組、神の仕組、早う旗印見て悟りて下されよ、神は臣民人民に手柄致さして万劫末代、名残して世界唸らすのざぞ、これ迄の事は一切用ひられん事になるのざと申してあろ、論より実地見て早う改心結構、何事も苦労なしには成就せんのざぞ、苦労なしに誠ないぞ、三十年一切(ひときり)ぞ、ひふみ肚に入れよ、イロハ肚に入れよ、アイウエオ早ようたためよ、皆えらい取違ひして御座るぞ、宮の跡は草ボウボウとなるぞ、祭典(まつり)の仕方スクリと変へさすぞ、誠の神の道に返さすのざから、今度は誠の生神でないと人民やらうとて出来はせんぞ。


                          雨の巻 第13帖 (347)→346 13-13
                           是までは高し低しの戦でありたが、是からは誠の深し浅しの戦(いくさ)ざぞ、誠とはコトざぞ 口でないぞ、筆でないぞ コトざぞ、コト気付けと申してあろがな。
                          *【是までは高し低しの戦】平面的地上での縄張り争い。【是からは誠の深し浅しの戦】誠という言(光透)波のいくさ(生三)。


                          雨の巻 第15帖 (349)→348 13-15
                           身魂相当に皆させてあろがな、掃除早うせよ、己の戦まだすんでゐないであろが、洗濯掃除 早う結構ぞ、此の方の神示元と判り乍ら他の教で此の道開かうとて開けはせんのざぞ、鏡曇ってゐるから曲って写るのざぞ、一人の改心ではまだまだぞ、一家揃って皆改心して手引き合ってやれよ、外国人も日本人もないのざぞ、外国々々と隔て心悪ぢゃぞ。


                          雨の巻 第16帖 (350)→349 13-16
                           まだまだ大き戦激しきぞ、是で世よくなると思ってゐると大間違ひとなるのざぞ、是からが褌(ふんどし)ざぞ、よき世となれば褌要らんのざぞ、フラリフラリと風に吹かれるヘチマぢゃ、ヘチマ愉快で嬉しひなあ、風の間に間に雨の間に間にユタリユタリと嬉しかろがな、何も彼も嬉し真から楽しき世ざぞよ。


                          松の巻 第08帖 (299) 11-8
                           戦いよいよ烈しくなると、日本の兵隊さんも、これは叶はんと云ふ事になり、神は此の世にいまさんと云ふ事になって来るぞ。今度の建替は、此の世 初まってない事であるから、戦ばかりで建替出来んぞ。戦の手伝い位 誰でも出来るが、今度の御用はなかなかにむつかしいぞ。竜宮のおとひめ殿の御守護ないと、海の戦は、けりつかんぞ。


                          松の巻 第18帖 (309) 11-18
                           人民同士の戦ではかなはんと云ふ事よく判りたであろがな。学問と神力の、とどめの戦ざぞ。


                          水の巻 第13帖 (287) 10-13
                           戦もおさまるぞ。


                          キの巻 第06帖 (263) 9-6
                           桜咲く所、桜と共に花咲くぞ、夏マケ、秋マケ、となったら冬マケで泣きあげてはならんぞ、戦すんでからが愈々のイクサぞ、褌しめよ、役員も一度は青なるのざぞ、土もぐるのざぞ、九、十、気付けて呉れよ。


                          キの巻 第14帖 (271) 9-14
                           三月三日から更に厳しくなるから用意しておけよ、五月五日から更に更に厳しくなるから更に用意して何んな事起ってもビクともせん様に心しておいてくれよ、心違ふてゐるから臣民の思ふことの逆さ許りが出てくるのざぞ、九月八日の仕組 近ふなったぞ、この道はむすび、ひふみとひらき、みなむすび、神々地に成り悉く弥栄へ 戦争(いくさ)つきはつ大道ぞ。


                          磐戸の巻 第07帖 (243) 8-7
                           人民のイクサや天災ばかりで、今度の岩戸ひらくと思ふてゐたら大きな間違ひざぞ、戦や天災でラチあく様なチョロコイことでないぞ、あいた口ふさがらんことになりて来るのざから、早うミタマ磨いてこわいもの無いやうになっておりてくれよ、肉体のこわさではないぞ、タマのこわさざぞ、タマの戦や禍は見当とれまいがな、真通理(まつり)第一と申すのざ、神のミコトにきけよ、それにはどうしてもミタマ磨いて神かかれる様にならねばならんのざ。


                          磐戸の巻 第09帖 (245) 8-9
                           戦すみたでもなく、すまぬでもなく、上げもおろしもならず、人民の智や学や算盤では、どうともできんことになるのが目の前に見へてゐるのざから、早う神の申す通り素直に云ふこときけと申してゐるのざぞ。


                          磐戸の巻 第16帖 (252) 8-16
                           学越えた学、智越えた智は、神の学、神の智ざと云ふこと判らんか、今度の岩戸開きはミタマから、根本からかへてゆくのざから、中々であるぞ、天災や戦ばかりでは中々らちあかんぞ、根本の改めざぞ。


                          磐戸の巻 第20帖 (256) 8-20
                           いくさ何時も勝と許りはかぎらんぞ、春まけとなるぞ、いざとなれば昔からの生神様総出で御働きなさるから、神の国の神の道は大丈夫であるなれど、日本臣民 大丈夫とは申されんぞ、その心の通りになること忘れるなよ、早うミタマ磨いてくれよ、も少し戦すすむと、これはどうしたことか、こんなはづではなかったなあと、どちらの臣民も見当とれん、どうすることも出来んことになると知らしてあろが、さうなってからでは遅いからそれ迄に、この神示よんで、その時にはどうするかと云ふこと判りて居らんと仕組成就せんぞ、役員の大切の役目ざぞ、われの思いすてて了ふて早うこの神示、穴のあく程うらの裏まで肚に入れておいてくれよ、この神示の終りに、神強く頼むぞよ。


                          日の出の巻 第09帖 (222) 7-9
                           人、神とまつはれば喜悦(うれ)しうれしぞ、まつはれば人でなく神となるのぞ、それが真実(まこと)の神の世ぞ、神は人にまつはるのざぞ、�� と �� と申してあろが、戦も �� と �� と壊し合ふのでは無いぞ、 �� と �� とまつらふことぞ、岩戸開く一つの鍵ざぞ、和すことぞ、神国真中に和すことぞ。それには �� 掃除せなならんぞ、それが今度の戦ぞ、戦の大将が神祀らねばならんぞ。


                          日月の巻 第04帖 (177) 6-4
                           戦済みても後の紛糾なかなかに済まんぞ。


                          日月の巻 第10帖 (183) 6-10
                           日本の臣民これで戦済む様に申してゐるが、戦はこれからぞ。�� と神との戦でもあると申してあろがな。戦のまねであるぞ。これからがいよいよの戦となるのざぞ、鉄砲の戦はかりでないぞ。その日その日の戦烈しくなるぞ、褌締めて呉れよ。


                          日月の巻 第15帖 (188) 6-15
                           幾ら戦してゐても天国ぞ、天国とは神国ぞ。神国の民となれば戦も有難いぞ。


                          日月の巻 第27帖 (200) 6-27
                           み戦さすすめて外国に行った時は、先づその国の神まつらねばならんぞ、まつるとはまつろふ事と申してあろが。


                          日月の巻 第29帖 (202) 6-29
                           戦も引上げぞ。


                          日月の巻 第33帖 (206) 6-33
                           いよいよとなりたら神がまことの神力出して宝取り出して世界のどんな悪神も神の国にはかなはんと申す所まで、とことん心から降参する所まで、今度は戦するのざから臣民余程見当取れんことに、どんな苦労もこばらなならんのざぞ。


                          日月の巻 第36帖 (209) 6-36
                           怖いから改心する様な事では、戦がどうなるかと申す様な事ではまことの民ではないぞ。


                          日月の巻 第39帖 (212) 6-39
                           神が道つけて楽にゆける様に嬉し嬉しでどんな戦も切抜ける様にしてあるのに、臣民 逃げて眼塞いで、懐手してゐるから苦しむのぞ。


                          日月の巻 第40帖 (213) 6-40
                          伊邪那美命 二(つき)の八くさの雷神(いかつちかみ)に黄泉軍(よもついくさ)副(そ)へて追ひ給ひき。
                          *[yuru63さんサイト訳より引用]
                          http://hifumi.busidou.jp/yomu/213.html
                          伊邪那美命は 二(つき)神示を 訳す際の【八くさの】 解読ページに、サイトの成り立ち情報【よもついくさ】 を添えて更新されていきました。


                          地つ巻 第03帖 (140) 5-3
                           人民同士の戦では到底かなはんなれど、いよいよとなりたら神がうつりて手柄さすのであるから、それまでに身魂みがいておいて呉れよ。


                          地つ巻 第08帖 (145) 5-8
                           今度の世界中の戦は世界の借銭なしぞ、世界の大祓ひぞ、神主お祓ひの祝詞(のりと)あげても何にもならんぞ、お祓ひ祝詞は宣(の)るのぞ、今の神主 宣(の)ってないぞ、口先ばかりぞ、祝詞も抜けてゐるぞ。


                          地つ巻 第12帖 (149) 5-12
                           臣民も世界中の臣民も国々もみな同じことぞ、 �� 入れて呉れよ、 �� を掃除して居らぬと �� はいらんぞ、今度の戦は �� の掃除ぞと申してあらうがな、まつりとは調和(まつり)合はすことと申してあろうがな、この道は教でないと云ふてあらうが、教会やほかの集ひでないと申してあらうがな、人集めて呉れるなと申してあらうがな。


                          地つ巻 第21帖 (158) 5-21
                           今までの戦でも、神が蔭から守ってゐること分るであらうがな、あんな者がこんな手柄立てたと申すことあらうが、臣民からは阿房に見えても、素直な人には神がかかり易いのであるから、早う素直に致して呉れよ。


                          地つ巻 第22帖 (159) 5-22
                           身魂みがけた人から救ふてやるのざぞ、神うつるのざぞ、��  のうつりた人と �� のかかりた人との大戦ぞ、�� と �� とが戦して、やがては �� を中にして �� がおさまるのぞ。どちらの国も潰れるところまでになるのぞ、臣民同士は、もう戦かなはんと申しても、この仕組成就するまでは、神が戦はやめさせんから、神がやめる訳に行かんから、今やめたらまだまだわるくなるのぞ、 �� の世となるのぞ、 �� の世界となるのぞ。今の臣民九分通り �� になりてゐるぞ、早う戦すませて呉れと申してゐるが、今 夜明けたら、臣民九分通りなくなるのざぞ。


                          地つ巻 第28帖 (165) 5-28
                           神の国には神の国のやり方、外国には外国のやり方あると申してあらうがな、戦もその通りぞ、神の国は神の国のやり方せねばならんのざぞ、外国のやり方真似ては外国強いのざぞ、戦するにも身魂みがき第一ぞ。


                          地つ巻 第34帖 (171) 5-34
                           神は言波ぞ、言波とはまことぞ、いぶきぞ、道ぞ、まこととはまつり合はした息吹ぞ、言葉で天地にごるぞ、言波で天地澄むぞ、戦なくなるぞ、神国になるぞ、言波ほど結構な恐いものないぞ。


                          天つ巻 第02帖 (109) 4-2
                           今度は今までにない、文(ふみ)にも口にも伝えてない改造ざから、臣民界のみでなく神界も引っくるめて改造するのざから、この方らでないと、そこらにござる守護神さまには分らんのぞ、九分九厘までは出来るなれど、ここといふところで、オジャンになるであろうがな、富や金(きん)を返したばかりでは、今度は役に立たんぞ、戦ばかりでないぞ、天災ばかりでないぞ、上も潰れるぞ、下も潰れるぞ、つぶす役は誰でも出来るが、つくりかためのいよいよのことは、神々様にも分りては居らんのざぞ、星の国、星の臣民 今はえらい気張り様で、世界構うやうに申してゐるが、星ではダメだぞ、神の御力でないと何も出来はせんぞ。


                          天つ巻 第16帖 (123) 4-16
                           今度の戦済みたら てんし様が世界中知ろしめして、外国には王はなくなるのざぞ。一旦戦おさまりても、あとのゴタゴタなかなか静まらんぞ、神の臣民ふんどし締めて神の申すことよく腹に入れて置いて呉れよ、ゴタゴタ起りたとき、何うしたらよいかと云ふことも、この神示(ふで)よく読んで置けば分るやうにしてあるのざぞ。人の力ばかりで戦してゐるのでないこと位 分って居らうがな、目に見せてあらうがな、これでも分らんか。


                          天つ巻 第18帖 (125) 4-18
                           何時も気つけてあることざが、神が人を使うてゐるのざぞ、今度の戦で外国人にもよく分って、神様にはかなはん、何うか言ふこときくから、夜も昼もなく神に仕へるからゆるして呉れと申す様になるのざぞ、それには神の臣民の身魂掃除せなならんのざぞ、くどい様なれど一時(いちじ)も早く一人でも多く改心して下されよ、神は急ぐのざぞ。


                          天つ巻 第21帖 (128) 4-21
                           西に戦争(いくさ)しつくし、神世とひらき、国毎に、一二三(ひふみ)、三四五(みよいづ)たりて百千万(ももちよろず)、神急ぐぞよ。


                          天つ巻 第29帖 (136) 4-29
                           戦も病の一つであるぞ、国の足のうら掃除すれば国の病直るのぞ、国、逆立ちしてると申してあること忘れずに掃除して呉れよ。


                          富士の巻 第03帖 (083) 3-3
                           神界ではその戦の最中ぞ。学と神力との戦と申しておろがな、どこから何んなこと出来るか、臣民には分かるまいがな、一寸先も見えぬほど曇りて居りて、それで神の臣民と思うてゐるのか、畜生にも劣りてゐるぞ。アとヤとワの詞(四)の元要るぞと申してあろがな、この道理分らんか、剣と鏡だけでは戦勝てんぞ、それで早う身魂みがいて呉れと申してあるのぞ。


                          富士の巻 第05帖 (085) 3-5
                           神の臣民、掃除洗濯出来たらこの戦は勝つのぞ、今は一分もないぞ、一厘もないぞ、これで神国の民と申して威張ってゐるが、足許からビックリ箱があいて、四ツん這ひになっても助からぬことになるぞ、穴掘りて逃げても、土もぐってゐても灰になる身魂は灰ぞ、どこにゐても助ける臣民 行って助けるぞ、神が助けるのでないぞ、神助かるのぞ、臣民も神も一緒に助かるのぞ、この道理よく腹に入れて呉れよ、この道理分りたら神の仕組はだんだん分りて来て、何といふ有難い事かと心がいつも春になるぞ。


                          富士の巻 第06帖 (086) 3-6
                           神の、も一つ上の神の世の、も一つ上の神の世の、も一つ上の神の世は戦済んでゐるぞ、三四五(みよいづ)から五六七(みろく)の世になれば天地光りて何もかも見えすくぞ。


                          富士の巻 第07帖 (087) 3-7
                           戦恐れてゐるが臣民の戦位、何が恐いのぞ、それより己の心に巣くうてる悪のみたまが恐いぞ。


                          富士の巻 第08帖 (088) 3-8
                           みなまつれば何も足らんことないぞ、余ることないぞ、これが神国の姿ぞ、物足らぬ物足らぬと臣民泣いてゐるが、足らぬのでないぞ、足らぬと思ふてゐるが、余ってゐるではないか、上(かみ)の役人どの、まづ神祀れ、神祀りて神心となりて神の政治せよ、戦など何でもなく鳧(けり)がつくぞ。


                          富士の巻 第10帖 (090) 3-10
                           いよいよ戦烈しくなりて喰ふものもなく何もなくなり、住むとこもなくなりたら行く所なくなるぞ。何んな所にゐても、神がスッカリと助けてやるから、神の申すやうにして、今は戦して居りて呉れよ。


                          富士の巻 第17帖 (097) 3-17
                           九十が大切ぞと知らしてあろがな、戦ばかりでないぞ、何もかも臣民では見当とれんことになりて来るから、上の臣民 九十に気つけて呉れよ、お上に神祀りて呉れよ、神にまつらうて呉れよ、神くどう申して置くぞ、早う祀らねば間に合はんのざぞ、神の国の山々には皆神祀れ、川々にみな神まつれ、野にもまつれ、臣民の家々にも落つる隈なく神まつれ、まつりまつりて弥勒(みろく)の世となるのぞ。


                          富士の巻 第18帖 (098) 3-18
                           戦には戦の神あるぞ、お水に泣くことあるぞ、保持の神様 御怒りなされてゐるから早やう心入れかへてよ、この神様お怒りになれば、臣民 日干しになるぞ。


                          富士の巻 第19帖 (099) 3-19
                           人間の戦や獣の喧嘩位では何も出来んぞ、くどう気附けておくぞ、何よりも改心が第一ぞ。


                          富士の巻 第23帖 (103) 3-23
                           覚悟はよいか、臣民一人一人の心も同じになりて居ろがな、学と神の力との大戦ぞ、神国(かみぐに)の神の力あらはす時が近うなりたぞ。


                          富士の巻 第26帖 (106) 3-26
                           戦は一度おさまる様に見えるが、その時が一番気つけねばならぬ時ぞ、向ふの悪神は今度は �� の元の神を根こそぎに無きものにして仕まふ計画であるから、その積りでフンドシ締めて呉れよ、誰も知れんやうに悪の仕組してゐること、神にはよく分りてゐるから心配ないなれど、臣民助けたいから、神はじっとこらへてゐるのざぞ。


                          下つ巻 第09帖 (051) 2-9
                           今度の戦は �� と �� との大戦ぞ。
                           

                          下つ巻 第20帖 (062) 2-20
                           今度の戦は神力と学力のとどめの戦ぞ。


                          下つ巻 第21帖 (063) 2-21
                           今の戦は �� と �� との戦ぞ、神の最後の仕組と申すのは �� に �� 入れることぞ。


                          下つ巻 第25帖 (067) 2-25
                           今度の戦で何もかも埒ついて仕まふ様に思うてゐるが、それが大きな取違ひぞ、なかなかそんなチョロッコイことではないぞ、今度の戦で埒つく位なら、臣民でも致すぞ。今に戦も出来ない、動くことも引くことも、進むことも何うすることも出来んことになりて、臣民は神がこの世にないものといふ様になるぞ、それからが、いよいよ正念場ぞ、まことの神の民と獣とをハッキリするのはそれからぞ。戦出来る間はまだ神の申すこときかんぞ、戦出来ぬ様になりて、始めて分かるのぞ、神の申すこと、ちっとも違はんぞ、間違ひのことなら、こんなにくどうは申さんぞ。


                          下つ巻 第28帖 (070) 2-28
                           戦の手伝ひ位なら、どんな神でも出来るのざが、この世の大洗濯は、われよしの神ではよう出来んぞ。年寄や女や盲、聾ばかりになりても、まだ戦やめず、神の国の人だねの無くなるところまで、やりぬく悪の仕組もう見て居れんから、神はいよいよ奥の手出すから、奥の手出したら、今の臣民ではようこたえんから、身魂くもりてゐるから、それでは虻蜂取らずざから、早う改心せよと申してゐるのぞ、このことよく心得て下されよ、神せけるぞ。


                          下つ巻 第34帖 (076) 2-34
                           臣民はすぐにも戦すみてよき世が来る様に思うてゐるが、なかなかさうはならんぞ、臣民に神うつりてせねばならんのざから、まことの世の元からの臣民 幾人もないぞ、みな曇りてゐるから、これでは悪の神ばかりかかりて、だんだん悪の世になるばかりぞ、それで戦すむと思うてゐるのか、自分の心よく見てござれ、よく分るであろがな、戦すんでもすぐによき世とはならんぞ、それからが大切ぞ、胸突き八丁はそれからぞ、富士に登るのにも、雲の上からが苦しいであろがな、戦は雲のかかってゐるところぞ、頂上(いただき)までの正味のところはそれからぞ。
                           

                          下つ巻 第36帖 (078) 2-36
                           戦位 何でもなく終るぞ。


                          上つ巻 第01帖 (001) 1-1
                           戦は今年中と言ってゐるが、そんなちょこい戦ではない、世界中の洗濯ざから、いらぬものが無くなるまでは、終らぬ道理が分らぬか。臣民同士のいくさでない、カミと神、アカとあか、ヒトと人、ニクと肉、タマと魂のいくさぞ。己の心を見よ、戦が済んでいないであろ、それで戦が済むと思うてゐるとは、あきれたものぞ、早く掃除せぬと間に合わん、何より掃除が第一。


                          上つ巻 第15帖 (015) 1-15
                           やりかけた戦ぞ、とことんまで行かねば納まらん。


                          上つ巻 第28帖 (028) 1-28
                           神の国を千切りにして膾(ナマス)にするアクの仕組は分りて居る、アクの神も元の神の仕組を九分九厘までは知ってゐて、天地ひっくり返る大戦となるのぞ。


                          上つ巻 第39帖 (039) 1-39
                           神界ではもう戦の見通しついてゐるなれど、今はまだ臣民には申されんのぞ。


                          節分の祝詞

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                            春の巻 第03帖 (660)→659 27-3
                            掛巻も、畏き極み、九二つ千の、清(スガ)の中なる大清み、清みし中の、清らなる、清き真中の、よろこびの、其の真中なる、御光の、そが御力ぞ、綾によし、十九立(トコタチ)まし、大九二の十九立(オオクニのトコタチ)大神、十四九百ヌ(トヨクモヌ)、十四(トヨ)の大神、瀬織津の、ヒメの大神、速秋の、秋津ヒメ神、伊吹戸の、主の大神、速々の、佐須良ヒメ神、これやこの、太日月

                            【ひつじの三月三日、五月五日は結構な日ぞ。】

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                              【ひつじの三月三日、五月五日は結構な日ぞ。】
                              http://6221.teacup.com/solkenshoo2/bbs/1152
                              *(特殊文字が[��ほか文字化け]表記されています。各帖内のただしい文字表記は終末の検証サロンで確認できます)


                              *2015年ひつじ年に注目してみます。世の元からの生神についてはすでに一例現われている事は説明したとおりです。上中下三段にわけてあるミタマの因縁については神示の該当箇所を確認中です。

                              (逆立ち[うら]よみ)
                              磐戸の巻 第16帖 (252) 8-16
                               世の元からの生神が揃うて現はれたら、皆腰ぬかして、目パチクリさして、もの云へん様になるのざぞ。神徳貰うた臣民でないと中々越せん峠ざぞ、神徳はいくらでも背負ひきれん迄にやるぞ、大き器もちて御座れよ、掃除した大きいれものいくらでも持ちて御座れよ、神界にはビクともしぬ仕組出来てゐるのざから安心して御用つとめてくれよ。今度はマコトの神の力でないと何も出来はせんぞと申してあろが、日本の国は小さいが天と地との神力強い、神のマコトの元の国であるぞ。洗濯と申すのは何事によらん、人間心すてて仕舞て、智恵や学に頼らずに、神の申すこと一つもうたがはず生れ赤子の心のうぶ心になりて、神の教 守ることぞ。ミタマ磨きと申すのは、神からさづかってゐるミタマの命令に従ふて、肉体心すてて了ふて、神の申す通りそむかん様にすることぞ。学や智を力と頼むうちはミタマは磨けんのざ。学越えた学、智越えた智は、神の学、神の智ざと云ふこと判らんか、今度の岩戸開きはミタマから、根本からかへてゆくのざから、中々であるぞ、天災や戦ばかりでは中々らちあかんぞ、根本の改めざぞ。小さいこと思ふてゐると判らんことになると申してあろがな、この道理よく肚に入れて下されよ、今度は上中下三段にわけてあるミタマの因縁によって、それぞれに目鼻つけて、悪も改心さして、善も改心さしての岩戸開きざから、根本からつくりかへるよりは何れだけ六ヶ敷いか、大層な骨折りざぞよ。叱るばかりでは改心出来んから喜ばして改心さすことも守護神にありてはあるのざぞ、聞き分けよい守護神殿 少ないぞ、聞き分けよい悪の神、早く改心するぞ、聞き分け悪き善の守護神あるぞ。この道の役員は昔からの因縁によってミタマ調べて引寄せて御用さしてあるのざ、めったに見当くるわんぞ、神が綱かけたら中々はなさんぞ、逃げられるならば逃げてみよれ、くるくる廻って又始めからお出直しで御用せなならん様になって来るぞ。ミタマ磨け出したら病神などドンドン逃げ出すぞ。出雲(いずも)の神様 大切申せと知らしてあること忘れるなよ。子(ネ)の歳真中にして前後十年が正念場、世の立替へは水と火とざぞ。ひつじの三月三日、五月五日は結構な日ぞ。一月十四日、

                              天の岩戸が開けて地の岩戸に写る(開ける)とき

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                                天の岩戸が開けて地の岩戸に写る(開ける)とき
                                2014年11月 2日(日)15時52分57秒 pa8ec7b.kngwnt01.ap.so-net.ne.jp
                                投稿者:
                                〇十sun
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                                【いつ岩戸が開けるかと云ふことも、この神示(ふで)よく読めば分かる様にしてあるのぞ、改心が第一ぞ】
                                (おもてよみ)
                                 今度の戦で何もかも埒ついて仕まふ様に思うてゐるが、それが大きな取違ひぞ、なかなかそんなチョロッコイことではないぞ、今度の戦で埒つく位なら、臣民でも致すぞ。七月の三十日、ひつくのか三のふで。神は気(け)もない時から知らしてあるから、いつ岩戸が開けるかと云ふことも、この神示(ふで)よく読めば分かる様にしてあるのぞ、改心が第一ぞ。戦出来る間はまだ神の申すこときかんぞ、戦出来ぬ様になりて、始めて分かるのぞ、神の申すこと、ちっとも違はんぞ、間違ひのことなら、こんなにくどうは申さんぞ。今に戦も出来ない、動くことも引くことも、進むことも何うすることも出来んことになりて、臣民は神がこの世にないものといふ様になるぞ、それからが、いよいよ正念場ぞ、まことの神の民と獣とをハッキリするのはそれからぞ。


                                【時が来たら、われがわれの口でわれが白状する様になりて来るぞ】
                                (おもてよみ)
                                磐戸の巻 第18帖 (254) 8-18
                                 今度の御用は世におちて苦労に苦労した臣民でないと中々につとまらんぞ、神も長らく世におちて苦労に苦労かさねてゐたのざが、時節到来して、天晴(あっぱれ)世に出て来たのざぞ、因縁のミタマ世におちてゐるぞと申してあろがな、外国好きの臣民、今に大き息も出来んことになるのざぞ、覚悟はよいか、改心次第で其の時からよき方に廻してやるぞ。一月十四日、

                                洗濯特集<一二三全文検索> 再アップです

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                                  洗濯特集<一二三全文検索>

                                  洗濯の仕方がよくわかるかもしれません。
                                  該当部分の文節の抜き出しで紹介させていただきます。

                                  (特殊文字が[��ほか文字化け]表記されています。各帖のただしい表記はひふみ終末の検証サロン掲示板で確認できます)
                                  http://6221.teacup.com/solkenshoo2/bbs/695

                                  戦は今年中と言ってゐるが、そんなちょこい戦ではない、世界中の洗濯ざから、いらぬものが無くなるまでは、終らぬ道理が分らぬか。
                                  嬉しくて苦しむ者と、苦しくて喜ぶ者と出て来る �� は神の国、神の力でないと何んにも成就せん、人の力で何が出来たか、みな神がさしてゐるのざ、いつでも神かかれる様に、綺麗に洗濯して置いて呉れよ。
                                  都の大洗濯、鄙の大洗濯、人のお洗濯。 上つ巻 / (うへつまき) 第一帖

                                  神ばかりで洗濯するのは早いなれど、それでは臣民が可哀そうなから、臣民みなやり直さねばならぬから、気をつけてゐるのに何してゐるのざ、いつ何んなことあっても知らんぞ、神祭第一、神祭結構。 上つ巻 / (うへつまき) 第四帖

                                  この神示(ふで)よく読みて呉れよ、読めば読むほど何もかも分りて来るぞ、心とは神民の申す心でないぞ、身魂とは神民の申す身魂でないぞ、身たまとは身と魂と一つになってゐるもの云ふぞ、神の神民身と魂のわけ隔てないぞ、身は魂、魂は身ぞ、外国は身ばかりの所あり魂ばかりの所あり、神は身魂の別ないぞ、この事分りたら神の仕組みがぼつぼつ分るぞ、身魂の洗濯とは心の洗濯とは、魂ばかりの洗濯でないぞ、よく気をつけて呉れ、神の申すことちがはんぞよ。 上つ巻 / (うへつまき) 第十四帖

                                  早う身魂洗濯せよ、何事もハッキリと映るぞ。上つ巻 / (うへつまき) 第十八帖

                                  洗濯できた臣民から手柄立てさしてうれしうれしの世に致すから、神が臣民にお礼申すから、一切ごもく捨てて、早う神の申すこと聞いて呉れよ。上つ巻 / (うへつまき) 第二十一帖

                                  神祀るとはお祭りばかりでないぞ、神にまつらふことぞ、神にまつらふとは神にまつはりつくことぞ、神に従ふことぞ、神にまつはりつくとは、子が親にまつはることぞ、神に従ふことぞ、神にまつらふには洗濯せなならんぞ、洗濯すれば神かかるぞ、神かかれば何もかも見通しぞ、それで洗濯洗濯と、臣民 耳にたこ出来るほど申してゐるのざ。
                                  言ってやりたいなれど、今言っては仕組成就せんから、邪魔はいるから、身魂掃除すれば分かるから、早う身魂洗濯して呉れよ。上つ巻 / (うへつまき) 第二十六帖

                                  地震かみなり火の雨降らして大洗濯するぞ。上つ巻 / (うへつまき) 第三十九帖

                                  神の力をいよいよ現はして、どこまで強いか、神の力を現わして見せてやるから、攻めて来て見よ、臣民の洗濯第一と言って居ること忘れるなよ。上つ巻 / (うへつまき) 第四十帖

                                  この神は信者集めて喜ぶやうな神でないぞ、世界中の民みな信者ぞ、それで教会のやうなことするなと申すのぞ、世界中大洗濯する神ざから、小さいこと思うてゐると見当とれんことになるぞ。下つ巻(四百つまき)第七帖

                                  生命も金も一旦天地へ引き上げ仕まうも知れんから、さうならんやうに心の洗濯第一ぞと申して、くどう気附けてゐることまだ分らんか。下つ巻(四百つまき)第十九帖

                                  岩戸開く仕組 知らしてやりたいなれど、この仕組、言ふてはならず、言はねば臣民には分らんし、神苦しいぞ、早う神心になりて呉れと申すのぞ、身魂の洗濯いそぐのぞ。下つ巻(四百つまき)第二十二帖

                                  戦の手伝ひ位なら、どんな神でも出来るのざが、この世の大洗濯は、われよしの神ではよう出来んぞ。下つ巻(四百つまき)第二十八帖

                                  一二三(ひふみ)の仕組が済みたら三四五(みよいづ)の仕組ぞと申してありたが、世の本の仕組は三四五の仕組から五六七(みろく)の仕組となるのぞ、五六七の仕組とは弥勒(みろく)の仕組のことぞ、獣と臣民とハッキリ判りたら、それぞれの本性出すのぞ、今度は万劫末代のことぞ、気の毒出来るから洗濯大切と申してあるのぞ。富士の巻 (二二のまき) 第四帖

                                  神の臣民、掃除洗濯出来たらこの戦は勝つのぞ、今は一分もないぞ、一厘もないぞ、これで神国の民と申して威張ってゐるが、足許からビックリ箱があいて、四ツん這ひになっても助からぬことになるぞ、穴掘りて逃げても、土もぐってゐても灰になる身魂は灰ぞ、どこにゐても助ける臣民 行って助けるぞ、神が助けるのでないぞ、神助かるのぞ、臣民も神も一緒に助かるのぞ、この道理よく腹に入れて呉れよ、この道理分りたら神の仕組はだんだん分りて来て、何といふ有難い事かと心がいつも春になるぞ。
                                  外国は �� 、神の国は �� と申してあるが、 �� は神ざ、�� は臣民ぞ、 �� ばかりでも何も出来ぬ、 �� ばかりでもこの世の事は何も成就せんのぞ、それで神かかれるやうに早う大洗濯して呉れと申してゐるのぞ、神急(せ)けるぞ、この御用大切ぞ、神かかれる肉体 沢山要るのぞ。富士の巻 (二二のまき) 第五帖

                                  何事も洗濯第一。富士の巻 (二二のまき) 第九帖

                                  この神示よく読みてさへ居れば病気もなくなるぞ、さう云へば今の臣民、そんな馬鹿あるかと申すが よく察して見よ、必ず病も直るぞ、それは病人の心が綺麗になるからぞ、洗濯せよ掃除せよと申せば、臣民 何も分らんから、あわててゐるが、この神示よむことが洗濯や掃除の初めで終りであるぞ、神は無理は言はんぞ、神の道は無理してないぞ、よくこの神示読んで呉れよ。富士の巻 (二二のまき) 第十三帖

                                  日本ばかりでないぞ、世界中はおろか三千世界の大洗濯と申してあろうがな、神にすがりて神の申す通りにするより他には道ないぞ、それで神々様を祀りて上の御方からも下々からも朝に夕に言霊がこの国に満つ世になりたら神の力現はすのぞ。富士の巻 (二二のまき) 第二十帖

                                  北に気つけよ、東も西も南も何うする積りか、神だけの力では臣民に気の毒出来るのぞ、神と人との和のはたらきこそ神喜ぶのぞ、早う身魂みがけと申すことも、悪い心 洗濯せよと申すことも分かるであろう。富士の巻 (二二のまき) 第二十三帖

                                  百人千人の改心なれば、どんなにでも出来るなれど、今度は世界中、神々様も畜生も悪魔も餓鬼も外道も三千世界の大洗濯ざから、そんなチョロコイ事ではないのざぞ。天つ巻 / (あ〇つまき)第四帖

                                  その時になりて分りたのではおそいおそい、早う洗濯いたして呉れよ。天つ巻 / (あ〇つまき)第二十二帖

                                  今の世は色とりどり眼鏡とりどりざから見当とれんことになるのざぞ、眼鏡はづすに限るのぞ、眼鏡はづすとは洗濯することざぞ。地つ巻 / (九二つまき) 第十三帖

                                  洗濯第一ざぞ。地つ巻 / (九二つまき) 第二十二帖

                                   �� の国、霊の国とこの世とは合せ鏡であるから、この世に映って来るのざぞ、臣民 身魂洗濯して呉れとくどう申してあらうがな、この道理よく分りたか。地つ巻 / (九二つまき) 第二十四帖

                                  天地には天地の、国には国の、びっくり箱あくのざぞ、びっくり箱あけたら臣民みな思ひが違ってゐること分るのぞ、早う洗濯した人から分るのぞ、びっくり箱あくと、神の規則通りに何もかもせねばならんのぞ、目あけて居れん人出来るぞ、神の規則は日本も支那も印度もメリカもキリスもオロシヤもないのざぞ、一つにして規則通りが出来るのざから、今に敵か味方か分らんことになりて来るのざぞ。地つ巻 / (九二つまき) 第二十七帖

                                  分らんと申すのは神示読んでゐないしるしぞ、身魂 芯(しん)から光り出したら人も神も同じことになるのぞ、それがまことの臣民と申してあらうがな、山から野(ぬ)から川から海から何が起っても神は知らんぞ、みな臣民の心からぞ、改心せよ、掃除せよ、洗濯せよ、雲霧はらひて呉れよ、み光出ぬ様にしてゐてそれでよいのか、気つかんと痛い目にあふのざぞ、誰れかれの別ないと申してあらうがな。
                                  富士は火の山、火の元の山で、汚してならん御山ざから臣民登れんやうになるぞ、神の臣民と獣と立て別けると申してあろうが、世の態(さま)見て早う改心して身魂洗濯致して神の御用つとめて呉れよ。地つ巻 / (九二つまき)第三十六帖

                                  神の国の洗濯と外国の洗濯と世界ひっくるめた洗濯と一度になってゐるのざから、そのつもりで少しでも神の御用務めて呉れよ。
                                  今度の大洗濯は三つの大洗濯が一度になって居るのざから、見当取れんのざぞ。日月の巻 / (ひつ九のまキ) 第一帖

                                  洗濯せよ掃除せよと申すのはこれまでのやり方考へ方をスクリと改める事ぞ。日月の巻 / (ひつ九のまキ) 第十九帖

                                  臣民の洗濯 早よ致してくれよ。日月の巻 / (ひつ九のまキ) 第二十帖

                                  愈々一二三が多くなるから、今までに出してゐた神示よく腹に入れておいてくれよ、知らせねばならず、知らしては仕組成就せず、臣民 早よ洗濯して鏡に映る様にしてくれよ。日月の巻 / (ひつ九のまキ) 第二十七帖

                                  それぞれにめぐりだけの事はせなならんのであるぞ、早い改心はその日から持ちきれない程の神徳与へて喜悦(うれ)し喜悦(うれ)しにしてやるぞ、寂しくなりたら訪ねて御座れと申してあろがな、洗濯次第で何んな神徳でもやるぞ、神は御蔭やりたくてうづうづしてゐるのざぞ、今の世の様見ても未だ会得らんか。日の出の巻 / (��のてのまキ) 第十二帖

                                  此の道理 会得るであろがな、神の真道(まみち)は影無いのざぞ、幾ら大きな樹でも真上に真すぐに光戴けば影無いのざぞ、失敗(しくじり)無いのざぞ、それで洗濯せよ掃除せよと申してゐるのぞ、神の真道(まみち)会得(わか)りたか。日の出の巻 / (��のてのまキ) 第十三帖

                                  ヤの身魂 御苦労、石なぜもの言はぬのぞ、愈々となりてゐるではないか、春になりたら何んな事あるか分らんから今年中に心の洗濯せよ、身辺(みのまわり)洗濯せよ、神の規則 臣民には堪(こば)れんことあるも知れんぞ、気つけておくぞ。日の出の巻 / (��のてのまキ) 第十六帖

                                  見事なこと神がして見せるぞ、見事なことざぞ、人間には恐しいことざぞ、大掃除する時は棚のもの下に置く事あるのざぞ、下にあったとて見下げてはならんぞ、この神は神の国の救はれること一番願ってゐるのざぞ、外国人も神の子ではあるが性来が違ふのざぞ、神の国の臣民がまことの神の子ざぞ、今は曇りてゐるなれど元の尊い種植えつけてあるのざぞ、曇り取り去りて呉れよ、依怙(えこ)の様なれど外国は後廻しぞ、同じ神の子でありながら神の臣民の肩持つとは公平でないと申す者あるなれど、それは昔からの深い経綸であるから臣民には会得(わから)んことであるぞ、一に一足す二でないと申してあろが、何事も神の国から神の臣からぞ、洗濯も同様ぞ。日の出の巻 / (��のてのまキ) 第二十帖

                                  逆様にかへると申してあろが、大洗濯ざぞ、大掃除ざぞ、ぐれんざぞ、二二に花咲くぞ。磐戸の巻 / (イ八トノまキ) 第3帖

                                  この道理よく肚に入れて、神の心 早うくみとれよ、それが洗濯ざぞ。
                                  この方この世のあく神とも現はれるぞ、閻魔とも現はれるぞ、アクと申しても臣民の申す悪ではないぞ、善も悪もないのざぞ、審判(さばき)の時来てゐるのにキづかぬか、其の日 其の時さばかれてゐるのざぞ、早う洗濯せよ、掃除せよ、磐戸(ゐわと)いつでもあくのざぞ、善の御代来るぞ、悪の御代来るぞ。磐戸の巻 / (イ八トノまキ) 第4帖

                                  北、南、たから出す時近づいたぞ、世の元からの仕組であるからめったに間違ひないぞ、これから愈々臣民にはわからなくなれど仕上げ見て下されよ、何事も神の申すこと聞いて すなほになるのが一等ざぞ、神示(ふで)出ぬ時近ふなりたぞ、神示出なくなりたら口で知らすぞ、神示早う腹に入れぬと間に合はんことになりてくるぞ、西も東もみな宝あるぞ、北の宝はシホミツざぞ、南の宝はシホヒルざぞ、東西の宝も今にわかりてくるぞ、此の宝あっぱれ、この世の大洗濯の宝であるぞ。磐戸の巻 / (イ八トノまキ) 第6帖

                                  この神示よく読めば楽になって人々から光り出るざぞ、辰の年はよき年となりてゐるのざぞ、早う洗濯してくれよ。磐戸の巻 / (イ八トノまキ) 第9帖

                                  此の道の役員、上から見られん所によきことないと今度の御用、なかなかにつとまらんぞ、洗濯急げよ、掃除急げよ、家の中が治まらんのは女にメグリあるからぞ、このことよく気付けておくぞ、村も国々も同様ぞ。磐戸の巻 / (イ八トノまキ) 第10帖

                                  何なりとそれぞれの行せねばマコトのことは出来んのざぞ、世界の片八四浜辺からいよいよが始まると知らしてあること近うなりたぞ、くどい様なれどさっぱりと洗濯してくれよ、神の国は神のやり方でないと治まらんから今までの法度(はっと)からコトから、やりかたかえて、今迄はやりかた違ってゐたから、神のお道通りに致しますと心からお詫びせねば、する迄 苦しむのざぞ、この苦しみは筆にも口にもない様なことに、臣民の心次第でなるのざから、くどう申してゐるのざぞ、何も彼も神にささげよ、てんし様にささげよと申してあろがな、それが神国の民の心得ぞ、否(いや)でも応(おう)でもそうなって来るのざぞ。
                                  大国常立尊大神と現はれて、一時は天もかまひ、地の世界は申すに及ばず、天へも昇り降りして、 ��(モト)の  ��(ニホン)の  ��(カミ)の光りクッキリ現はさなならんと仰せあるぞ、早う洗濯せんと間に合はんぞ。
                                  この世治めるのは地の先祖の生神の光出さねば、この世治まらんのざぞ、今度はトコトン掃除せねば、少しでもまぢり気(け)ありたら、先になりて また大きな間違ひとなるから、洗濯々々とくどう申してゐるのざ。磐戸の巻 / (イ八トノまキ) 第13帖

                                  生味(しょうみ)の、生き通しの神が、生味を見せてやらねばならんことに、何れはなるのざが、生神の生味ははげしいから、今の内に綺麗に洗濯しておけと申すのざ、皆にまつろひておけと申すのざ。磐戸の巻 / (イ八トノまキ) 第14帖

                                  洗濯と申すのは何事によらん、人間心すてて仕舞て、智恵や学に頼らずに、神の申すこと一つもうたがはず生れ赤子の心のうぶ心になりて、神の教 守ることぞ。磐戸の巻 / (イ八トノまキ) 第16帖

                                  神が化かして使うてゐるのざから、出来あがる迄は誰にも判らんが、出来上がりたら、何とした結構なことかと皆がびっくりするのざぞ、びっくり箱にも悪いびっくり箱と、嬉し嬉しのびっくり箱とあるのざぞ、何も知らん臣民に、知らんこと知らすのざから、疑ふは無理ないなれど、曇りとれば、すぐうつる、もとの種もってゐるのざから、早うこの神示読んで洗濯して呉れよ、どんな大峠でも楽に越せるのざぞ、神の道は無理ない道ざと知らしてあろが。磐戸の巻 / (イ八トノまキ)第17帖

                                  神の国の半分の所にはイヤな事あるぞ、洗濯出来た臣民に元の神がうつりて、サア今ぢゃと云ふとこになりたら、臣民の知らん働きさして悪では出来ん手柄さして、なした結構な事かとビックリ箱あくのざぞ。キの巻 / (キノ〇キ) 第七帖

                                  みぐるしき霊(たま)には みぐるしきもの写るぞ、それが病の元ぞ、みぐるしき者に、みぐるしきタマあたるぞ、それで早う洗濯掃除と申してくどう気付けておいたのぞ。キの巻 / (キノ〇キ) 第十二帖

                                  ぎゅうぎゅうと、しめつけて目の玉がとび出る事あるのざぞ、そこまでに曇りて居るのざぞ、はげしく洗濯するぞ。水の巻 / (三��のキ)第十一帖 

                                  建替と申すのは、神界、幽界、顕界にある今までの事をきれいに塵一つ残らぬ様に洗濯することざぞ。水の巻 / (三��のキ)第十二帖

                                  それで今度は元の生神が天晴れ現はれて、悪は影さへ残らぬ様、根本からの大洗濯するのぞ、神々様、守護神様、今度は悪は影も残さんぞ。松の巻 / (〇つの〇キ) 第十二帖 (

                                  山にも野にも川にも神まつれと申してあること、忘れるでないぞ、型せと申してあらうが、いづれも仮ざから三千世界の大洗濯ざから、早よ型してくれよ。夜明けの巻 / (曰アけの〇キ) 第五帖

                                  所の洗濯と身魂の洗濯と一度になる所あるぞ、「イスラ」の十二の流れの源泉(みなもと)判る時来たぞ。雨の巻 / ( アメの〇キ) 第一帖

                                  洗濯足らんのであるぞ。雨の巻 / ( アメの〇キ) 第四帖

                                  国の洗濯はまだまだ楽であるが、ミタマの洗濯 中々に難しいぞ、人民 可哀想なから延ばしに延ばして御座るのざぞ、幾ら言ひ聞かしても後戻り許りぢゃ、言ひ聞かして改心出来ねば改心する様致すより もう手ない様になってゐるのざ。雨の巻 / ( アメの〇キ)第七帖

                                  人の十倍も今の仕事して其の上で神の御用するのが洗濯ぞ、掃除ぞと申して知らした事忘れたか、地に足つけよと申した事判らんのか、百姓になれ、大工になれと申した事判らんのか、*ニ氣(てん)の地もあるぞ、天の百姓、大工もあるのざぞ。
                                  次に世に出る番頭殿 まだ神なきものにして御座るから一寸先も判らんぞ、先判らずに人間の勝手な政治して世は治まらん道理ぢゃぞ、三日天下でお出直しぞ、その次もその次も又お出直しぢゃ、此の神示よく見てこの先何うなる、其の先どうなると云ふ事、神はどんな事計画しておいでますと云ふ事判らいで政治ないぞ、すればする程 悪うなるぞ、神にはこうなる事判って呑んでゐるのざから、何んなことあっても心配ないなれど、それでは臣民 可哀想なから、此の神示ウタにして印刷して世によき様にして皆に知らしてやれよ、表の集団でよいぞ、神は天からも地からも日も夜も九十(コト)で知らしてゐるのに、九十(コト)聞く身魂ないから、九十(コト)きく御身(みみ)曇りてゐるから、人民は判らんなれど、余り判らんでは通らんぞ、早う洗濯掃除せよと申してゐるのざ。雨の巻 / ( アメの〇キ)第十四帖

                                  身魂相当に皆させてあろがな、掃除早うせよ、己の戦まだすんでゐないであろが、洗濯掃除 早う結構ぞ、此の方の神示元と判り乍ら他の教で此の道開かうとて開けはせんのざぞ、鏡曇ってゐるから曲って写るのざぞ、一人の改心ではまだまだぞ、一家揃って皆改心して手引き合ってやれよ、外国人も日本人もないのざぞ、外国々々と隔て心悪ぢゃぞ。雨の巻 / ( アメの〇キ)第十五帖

                                  あれこれとあまり穢れてゐる腸(はらわた)ばかりぢゃから、一度に引出して、日に干してからでないと、洗濯出来ん様になりて御座るぞ。風の巻 / (カ千の〇キ)第八帖 

                                  世界国々所々に世の大洗濯知らす神柱(かむはしら)現はしてあろが、これは皆この方の仕組ぢゃから、皆 仲良う手引き合ってやって呉れよ。光の巻 / (一火����キ) 第四帖

                                  神が見て、これならと云ふミタマに磨けたら、神から直々の守護神つけて、天晴れにしてやるから御用見事に仕上げさすぞ、臣民ばかりでは出来ん、三千世界の大洗濯、誰一人 落したうもない神心、皆揃ふておかげやりたや、喜ぶ顔見たや、遠い近いの区別なし、皆々我が子ぢゃ、可愛い子ぢゃ、早う親の心汲みとれよ。マツリの巻 / (〇つ��の〇キ) 第四帖

                                  愈々天の御先祖様と地の御先祖様と御一体に成りなされ、王の王の神で末代治める基(もとい)つくるぞ、少しでもまじりけあってはならんのぢゃ、早う洗濯掃除結構ぞ。梅の巻 / (ん��の��キ)第二十二帖

                                  金(きん)では治まらん、悪神の悪では治まらん、ここまで申してもまだ判らんか、金では治まらん、悪の総大将も其の事知って居て、金で、きんで世をつぶす計画ざぞ、判ってゐる守護神殿 早う改心結構ぞ、元の大神様に御無礼してゐるから病神に魅入られてゐるのぢゃぞ、洗濯すれば治るぞ、病神は恐くて這入って来られんのぢゃぞ、家も国も同様ざぞ。梅の巻 / (ん��の��キ)第二十六帖

                                  神の心告げる手だても各々違ふのぢゃ、心大きく早う洗濯致されよ、とらわれるなよ、とらわれると悪となるぞ。青葉の巻 / (ア火八の〇キ) 第八帖

                                  祈り行じて洗濯すれば皆世界のサニワにもなれる結構なミタマばかり。黄金の巻 第五十五帖

                                  早う気持から洗濯して下されよ。黄金の巻第八十四帖

                                  早く洗濯せよと申してあろうがな。春の巻 第三十二帖

                                  洗濯して掃除して、新しき道 早う進めよ。春の巻第四十五帖

                                  洗濯よいか。春の巻第五十四帖

                                  心の洗濯 早ういたして 太 �� �� ��(オオヒツキ)太神様に、殊に育ての、生みの親さま 九二十九十千(クニトコタチ)の大神様の御実体を理解せねば、自分でいくら頑張っても やりそこないぢゃ。春の巻第五十八帖

                                  洗濯ぢゃ洗濯ぢゃ。秋の巻第十五帖

                                  洗濯次第でどんな神徳でも与えるぞ。月光の巻第四十七帖

                                  内の自分を洗濯せずにゐて、きたないものが近づくとか、世の中がくらいとか不平申して御座るなれど、そこにそなたの間違いがあるぞ。
                                  自分の、内の自分を洗濯して明らかに磨けばよいのぢゃ。月光の巻第五十帖

                                  大空に向って大きく呼吸し、今迄の神をすてて心の洗濯をせよ。月光の巻第五十一帖

                                  木でも草でも皆、中から大きくなるのざと申してあろう、つけ焼刃や膏薬はりで大きくなるのでないぞ、三千年に一度と言ふ、又とない結構な時がめぐりて来てゐるのであるぞ、為せば成るぞ、六ヶ敷いこと申してゐるのではない、自分の中の自分を掃除して自分の外の自分を洗濯して磨けと申しているのぞ、みがけば神と同列のミタマぞ、釈迦ぞ、キリストぞと申してあろう。扶桑の巻第十三帖

                                  そなたの神を一応すてて心の洗濯を致してくれよ、神示が腹に入ったらすてて下されと申してあろうがな、神を信じつつ迷信に落ちて御座るぞ。極めの巻第四帖

                                  百年も前からそら洗濯ぢゃ、掃除ぢゃと申してありたが、今日の為であるぞ、岩戸ひらきの為であるぞ。至恩の巻第十四帖

                                  岩戸と申しても天の岩戸もあるぞ、今迄は平面の土俵の上での出来事であったが、今度は立体土俵の上ぢゃ、心をさっぱり洗濯して改心致せと申してあろう、悪い人のみ改心するのでない、善い人も改心せねば立体には入れん、【此度の岩戸は立体に入る門ぞ】。五葉の巻第十一帖

                                  マコトでもって洗濯すれば霊化される、半霊半物質の世界に移行するのであるから、半霊半物の肉体とならねばならん、今のやり方ではどうにもならなくなるぞ、今の世は灰にするより他に方法のない所が沢山あるぞ、灰になる肉体であってはならん、原爆も水爆もビクともしない肉体となれるのであるぞ、今の物質でつくった何物にも影響されない新しき生命が生れつつあるのぞ。五葉の巻第十六帖


                                  人民四つん這(ば)ひやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなるのであるぞ、大地震、ヒの雨降らしての大洗濯であるから、一人のがれようとて、神でものがれることは出来んぞ、天地まぜまぜとなるのぞ、ひっくり返るのぞ。紫金の巻第五帖

                                  【江戸は何うしても火の海ぞ。】

                                  0

                                    yuru63さんのサイトより

                                    一二三の検証編
                                    太陽の検証

                                    【江戸は何うしても火の海ぞ。】

                                    富士の巻 第27帖 (107)

                                    http://hifumi.busidou.jp/yomu/kensyou/107.html
                                     神()の堪忍袋 切れるぞよ、臣民の思ふやうにやれるなら、やりて見よれ、九分九厘でグレンと引繰り返ると申してあるが、これからはその場で引繰り返る様になるぞ。誰れもよう行かん、臣民の知れんところで何してゐるのぞ、神()には何も彼も分りてゐるのざと申してあろがな、早く兜脱いで神()にまつはりて来いよ、改心すれば助けてやるぞ、鬼の目にも涙ぞ、まして神()の目にはどんな涙もあるのざぞ、どんな悪人も助けてやるぞ、どんな善人も助けてやるぞ。江戸と申すのは東京ばかりではないぞ、今の様な都会みなエドであるぞ、江戸は何うしても火の海ぞ。それより他 やり方ないと神々()様申して居られるぞよ。秋ふけて草木枯れても根は残るなれど、臣民かれて根の残らぬやうなことになりても知らんぞよ、神のこのふみ早う知らしてやって呉れよ。八と十八と五月と九月と十月に気つけて呉れよ、これでこの方の神示の終わりぞ。この神示は富士(二二)の巻として一つに纒(まと)めておいて下されよ、今に宝となるのざぞ。八月の三十日、 のひつ九
                                    平易意訳

                                     太陽(ミロク)の堪忍袋 切れますよ、臣民の思うようにやれるなら、やってみてください。九分九厘でグレンと引繰り返ると申してありますが、これからはその場で引繰り返る様になるのです。
                                     誰れも行くことのできない、臣民の知らないところ(月内部など)で何しているのですか。太陽達には何も彼も分っているのだと申しているでしょう。早く兜脱いで太陽(ミロク)にまつわって来なさい。改心すれば助けてやります。鬼の目にも涙です。まして太陽(ミロク)の目にはどんな涙もあるのです。どんな悪人も助けてやります。どんな善人も助けてやります。
                                     江戸と申すのは東京ばかりのことではないのです。今の様な都会はみなエドといいます。都会は何うしても火の海です。
                                     それより他に やり方ないと宇宙の神々様申して居られますよ。
                                     秋ふけて草木枯れても根は残るのですが、臣民かれて根の残らぬようなことになっても知りませんよ。神のこの文を早く知らしてやってください。
                                     八と十八と五月と九月と十月に気をつけてください。これで この方「 のひつ九 」の神示の終わりです。
                                     この神示は富士(二二)の巻として一つに纒(まと)めておいて下さい。今に宝となるのです。
                                     八月の三十日、 のひつ九


                                    解説と補足説明

                                    • http://18.pro.tok2.com/~solht0920070/sunmoon/123_03_huji/fuji_03_107.htm
                                      より

                                      氷治氏

                                      この帖は 106 の続きとして読まれると良いとおもいます。前半は神の臣民となる人物達が、分けが分からなくて勝手なことをしているのを叱責しているような内容です。

                                      ここで、「ひふみ神示」で使われている「江戸という語彙」の意味の説明がしてあります。普通ですと、江戸とは東京と考えますが、この神示では東京のような都市=東京都・名古屋・大阪・などなどの全ての都市を総称していると説明してあります。このような表現の方法は「諸世紀」にもありました「−−−逃げろ逃げろ全てのジュネ−ブ−−−−」のジュネ−ブは幾つもありませんので、ジュネ−ブのような都市から逃げろというのを、一つの都市の名前で代用しています。ここで、「江戸は火の海」=「諸都市は火の海」になることを説明していますので、「ひふみ神示」での「火と水」の「火」は都市攻撃によって焼き払われることを説明していることがわかります。岩戸開きが起こるのは「秋立ち」ですが、この帖には終わるのが「秋ふけて〜臣民かれて・・・・」となっています。従って、9月下旬から11月上旬が都市攻撃の期間ということになります。(他の帖から開始の正確な日付は旧9月8日とありますので、10月上旬から11月の上旬の約1ヶ月間以内に都市攻撃は完了すると推定されます。)

                                      他には「八と十八と五月と九月と十月に気つけてください。」とあるところです。これが新暦で表現されているとすると、「諸世紀」では「都市攻撃」の開始が10月の上旬(フランス時間で3日頃)、「ノアの大洪水」の開始が5月の上旬(フランス時間で9日頃)ですから、このことを説明しているのかもしれません。


                                    年月日

                                    昭和十九年八月三十日

                                    旧七月十二日(1944年)

                                    *【江戸は何うしても火の海ぞ】江戸(都市、トシ、十四[重心、中心]、七+七、五、豊の大神)は何うしても火の海(ひのふみ、ひふみ、一二三)ぞ
                                    ⇒世紀末の研究報告における都市攻撃とは都市が一二三攻撃にさらされることを意味しているのかもしれません。

                                    また、まだ検証不十分ながらノアの大洪水についても、前回から約12000年たった今回は【神示の大洪水】という意味なのかもしれません。ひとつかふたつの大陸が一夜にして水没してしまったようですから、住民にとっては大洪水だったかもしれませんが、上空から眺めていれば、大陸の沈下による海水の流入に見えたのかもしれません。このとき、他の大陸に及ぼした地盤の隆起や沈降、変則になった海流による大洪水の発生があったのかどうかはわかりません。でも大陸ですから標高のある山も沈んでしまったということを考えると、例えば5000メートルあった山の山頂が海底2000メートルまで沈んだとしたら、大陸全体の水没は7000メートルに達します。これは、地殻の大変動にほかなりません。当時の科学力によって、衛星爆弾は都市に命中しましたが、おそらく想定を超えてマントルに作用してしまいマントルの地盤沈下をひきおこしてしまったと思われます。マントルに浮いている地殻である大陸は簡単に海に沈んでしまったのでしょう。



                                    ひふみ神示 第27巻  春の巻
                                    第3帖(660)
                                    掛巻も、畏き極み、九二つ千の、清(スガ)の中なる大清み、清みし中の、清らなる、清き真中の、よろこびの、其の真中なる、御光の、そが御力ぞ、綾によし、十九立(トコタチ)まし、大九二の十九立(オオクニのトコタチ)大神、十四九百ヌ(トヨクモヌ)、十四(トヨ)の大神、瀬織津の、ヒメの大神、速秋の、秋津ヒメ神、伊吹戸の、主の大神、速々の、佐須良ヒメ神、これやこの、太日月
                                    (オオヒツキ)、皇神(スメカミ)の御前畏こみ、謹みて、うなね突貫き、白さまく、ことのマコト(真言)を。伊行く水、流れ流れて、月速み、いつの程にや、この年の、冬も呉竹、一と夜(ヨサ)の、梓(アズサ)の弓の、今とはや、明けなむ春の、立ちそめし、真玉新玉、よろこびの、神の稜威(ミイヅ)に、つらつらや、思ひ浮べば、天地(アメツチ)の、始めの時に、大御祖神(オオミオヤ)、九二十九立(クニトコタチ)の、大神伊、三千年、またも三千年の、もまた三千年、浮きに瀬に、忍び堪えまし、波風の、その荒々し、渡津海(ワタツミ)の、塩の八百路の、八汐路の、汐の八穂合ひ、洗はれし、孤島の中の、籠らひし、籠り玉ひて、畏くも、この世かまひし、大神の、時めぐり来て、一筋の、光の御代と、出でませし、めでたき日にぞ、今日の日は、御前畏こみ、御饌御酒(ミケミキ)を、ささげまつりて、海山野(ウミヤマヌ)、種々(クサグサ)珍(ウズ)の、みつぎもの、供へまつりて、かごぢもの、ひざ折り伏せて、大まつり、まつり仕へむ、まつらまく。生きとし生ける、まめひとの、ゆくりあらずも、犯しけむ、罪やけがれの、あらむをば、祓戸にます、祓戸の、大神達と相共に、ことはかりまし、神直日、大直日にぞ、見伊直し、聞き直しまし、祓ひまし、清め玉ひて、清々(スガスガ)し、清(スガ)の御民(ミタミ)と、きこし召し、相(アイ)諾(ウズナ)ひて、玉へかし、玉はれかしと、多米津(タメツ)もの、百取(モモトリ)、さらに、百取の、机の代(シロ)に、足らはして、横山の如、波の如、伊盛、栄ゆる、大神の、神の御前に、まつらまく、こひのみまつる、畏こみて、まつらく白す、弥つぎつぎに。
                                     新玉(アラタマ)の 玉の御年(ミトシ)の 明けそめて 罪もけがれも 今はあらじな
                                     節分の祝詞であるぞ。太のりとせよ。いよいよの年立ちそめたぞ。うれしうれしの御代来るぞ。
                                    (一月の三十日、日月神。)


                                    ひふみ神示 第14巻 風の巻 / (カ千のキ) 全十四帖
                                    第三帖 (三五四)
                                     愈々の大建替は国常立の大神様、豊雲野の大神様、金の神様、竜宮の乙姫様、先づ御活動ぞ。キリギリとなりて岩の神、雨の神、風の神、荒の神様なり、次に地震の神様となるのざぞ。今度の仕組は元のキの生き神でないとわからんぞ、中津代からの神々様では出来ない、わからん深い仕組ざぞ、猿田彦殿、天鈿女命(あめのうずめのみこと)殿、もとのやり方では世は持ちて行けんぞ。今一度 悪栄えることあるぞ、心して取違ひない様にいたされよ。口と心と行ひとで神示とけよ、堂々説けよ。一月四日、一二のかみ。



                                    ひふみ神示 第12巻 夜明けの巻 / (曰アけの キ) 全十三帖
                                    第九帖 (三二九)
                                     天詞様まつれと申してあろが。天津日嗣皇尊大神様(あまつひつぎすめらみことおほかみさま)とまつり奉れ。奥山には御社(みやしろ)造りて、いつき奉(まつ)れ。皆のうちにも祀れ。天津日嗣皇尊 弥栄ましませ、弥栄ましませとおろがめよ。おろがみ奉れ、天照皇大神様、天照大神様、月の大神様、すさなるの大神様、大国主の大神様もあつくまつりたたえよ。奥山の前の富士に産土の大神様 祀れよ、宮いるぞ。清めて祭れよ、タマの宮はその前横に移せよ。奥の富士に国常立大神、豊雲野大神 祀る日 近うなりたぞ。宮の扉あけておけよ。臣民の住居(すまい)も同様ぞ。大難小難にまつりかへて下されとお願ひするのざぞ。取違ひ、お詫び申せよ、楽にしてやるぞ。天の異変 気付けよ。八月の五日、アメのひつ九の神。


                                    ひふみ神示 第01巻  上つ巻 / (うへつまき)
                                    第三帖 (三)
                                    http://hifumi.uresi.org/01.html
                                    善言(よごと)は神、なにも上下、下ひっくり返ってゐるから、分らんから、神の心になれば何事も分るから、鏡を掃除して呉れよ。今にこのおつげが一二三(ヒフミ)ばかりになるから、それまでに身魂をみがいて置かんと、身魂の曇った人には何ともよめんから、早く神こころに返りて居りて呉れ、何も一度に出て来る。海が陸になり陸が海になる。六月十一日の朝のお告げ、みよみよみよひつくの神。







                                     

                                    2014年10月19日(日)付の記事への返答1

                                    0
                                      2014年10月19日(日)付の記事への返答1:
                                      http://www31.tok2.com/home2/slicer21/10-10544.html
                                      <手抜きコピペ開始>

                                       
                                      NO 6544   


                                       


                                      Taeko Shirakiさんから

                                      エントツ(〇十sun)さんへ

                                       


                                      タカシ記

                                      teacup掲示板の内容です


                                      Re: Ms Taeko Shirakiさんから

                                      エントツ(〇十sun)さんへ、


                                       

                                      2014年10月18日(土)16時53分3秒

                                      pa8ec7b.kngwnt01.ap.so-net.ne.jp

                                       


                                      エントツ(〇十sun)さんの

                                      前のコメント


                                      ○ と 点 は暗号ではなく、

                                      明らかな記号です。
                                       

                                      ひふみ神示をよく見れば

                                      それぞれ詳し明記されています。
                                       


                                      タエ子さんのコメント


                                      暗号でも記号でもどちらでも

                                      良いですし、 そのことは読む人

                                      がどのように解釈してもよいと

                                      言うことです。
                                      これらの文はあまり

                                      にも自分はえらいんだぞ、という

                                      崇めてほしい幼稚なエネルギー体

                                      の文なので、詳しくなんて時間の

                                      無駄でとても 読めません。

                                       

                                      現実に起きているいろいろなこと

                                      情報や、もっと生きている間に見

                                      ておきたい ことがとてもたくさん

                                      ありますので、、。
                                       

                                      エントツ(〇十sun)さんの新しいコメント

                                      *チャネリング情報とひふみ神示から得られている

                                      内容から、人間の生きている現界と霊界が融合、

                                      それだけではなく神界も融合されて三界、3千世界

                                      がひとつになるようです。


                                      科学技術の切磋琢磨は現界で行われているのは

                                      今世界にいるとよくわかります。
                                       

                                      霊界では科学技術の進歩に関しては独立していて

                                      異業種間または新技術に関しては全く交流のない

                                      可能性がありそうです。


                                      霊界には高度に進んだ古代のアトランティスや

                                      ムーの技術がふんだん残っていることでしょう。


                                      霊界は技術の宝庫だと思います。

                                      世界の技術がレベルアップしていかないことには

                                      チンプンカンプンで豚に真珠の時代が今の社会を

                                      あらわしていると思います。

                                       


                                      エントツ(〇十sun)さんの

                                      前のコメント


                                      どうして、チャネリングの相手郎や

                                      菅原道真だと断定できたので しょうか。
                                       


                                      Taeko Shirakiさんのコメント

                                      相手が名乗ってくることと、その人

                                      しか知らないことと思われるので書

                                      いていますが、チャネリングは真偽

                                      のほどでないと書いていますように

                                      信じたくなければ勿論信じなくてい

                                      いのです。
                                       

                                      私はソラから知らされた情報を発信

                                      するアナウンサーですので、知らさ

                                      れたことを伝えるのが仕事と思って

                                      います。
                                      それで読まれた方がどのよ

                                      うに思われようと自由だと伝えてい

                                      ます。
                                       

                                      その後はお天とさんがしっかりと見

                                      ていることは 最近00のチャネリング

                                      と現実に起きていることと、とても

                                      つながっていると思って います。

                                       

                                      エントツ(〇十sun)さんの新しいコメント

                                       

                                      *すべての元になっている情報の発信者は歴史

                                      に精通しているというよりは、古文書にならって

                                      霊界からの記録を拾い読みしているような印象

                                      があります。


                                      人の記憶の集合体のようなものなのでニュースの

                                      アーカイブに頼りながらアドリブを入れた形式

                                      になっているようです。


                                      有名人が多数登場することから何かしらの

                                      人物歴史愛好家の記憶に憑依しているかも

                                      しれません。

                                       


                                      エントツ(〇十sun)さんの

                                      前のコメント


                                      ミ実身の掃除とタマ魂の洗濯です。


                                      Taeko Shirakiさんのコメント

                                      具体的にどのようなことをして

                                      洗濯をするのでしょう?


                                      自分たちは洗濯をしているので心

                                      がきれいだと思いこんでいるで

                                      しょうが、 そのことに対して、

                                      一生懸命働いているのに、意識を

                                      向けてくれない肉体の細胞の原子

                                      たちや《地球上のあらゆる原子たちが》

                                      が嫌がって、いろいろなことで

                                      お知らせしているようです。
                                       

                                      神棚を創ってそこにお供えをする

                                      ようにということは、 繰り返して

                                      いますが、その場所に仕事はした

                                      くない、だけど食べ物は欲しい、

                                      そして崇めてほしいくだらない思い

                                      を持った原子の塊=エネルギー体が

                                      住みつき その人を支配して、

                                      思考停止したロボットのような人間

                                      にさせて行くのです。


                                      現実にこのような文章に取りつかれ、

                                      一歩も前に進めなく、 戦前の苦難な

                                      時代の次元につながってい ることに
                                      なるのです。

                                       

                                      エントツ(〇十sun)さんの新しいコメント
                                       

                                      *別段神棚は必要ありません。

                                      2000年ぐらい前から閉められた岩戸の風習

                                      として神道に残ったのでしょう。


                                      神前というのは、人間の住む家を指すようです。

                                      神がたたずんでいるのは人間のハラです。

                                      高天原のこと。

                                      神に供えるというのは、食べる事に苦難している

                                      人間を指すのかもしれません。


                                      自分が食べる前に神に先に供える重要性を神示には

                                      書かれています。


                                      食べ物に関してはこれから、過去に経験したことが

                                      無いくらいの大飢饉は間違いなくやってくると

                                      思ったほうがいいでしょう。


                                      過去の飢饉では翌年疫病が発生しているので同じ

                                      ようなことが起こりえます。


                                      天明の大飢饉をしのぐのかもしれません。
                                       


                                      エントツ(〇十sun)さんの

                                      前のコメント


                                      原子、素粒子、細胞等についても

                                      同様です。

                                      ひふみ神示ではどんなに小さなも

                                      のにも脈と呼吸があることを記し

                                      ています。
                                       


                                      Taeko Shirakiさんのコメント

                                      それならなぜそのようにわかり

                                      やすく書かなかったのでしょう?


                                      押しきせがましい文は嫌悪感しか

                                      じません。
                                       

                                      エントツ(〇十sun)さんの新しいコメント

                                      *神示はそれを見て飛びつく人とそうではない

                                      人も視野に入れています。


                                      先に解かりやすく書いてしまってもそれで神示

                                      を理解したと早合点するのを防ぐためもあると

                                      思います。
                                      馬鹿正直ではなく大人でも赤ちゃん

                                      になれる心を持った素直な人になれとといています。


                                      神示は自分で料理しないとなかなか食べることが

                                      むずかしいようです。
                                      人任せよりは、時間が

                                      かかっても、不利益になろうとも自分で料理を

                                      つくってその作り方を公開して人の歓喜に少しでも

                                      貢献したい人向けに書かれているかもしれない

                                      例えです。

                                       


                                      Taeko Shirakiさんから

                                      エントツ(〇十sun)さんへの返事 

                                       

                                      2014年10月19日(日)09時04分40秒

                                      113.187.234.111.ap.yournet.ne.jp

                                       

                                      投稿者:タカシ

                                      Taeko Shirakiさんからエントツ(〇十sun)さんへ
                                       

                                      あなたがそれらを自分で自由に解釈して、

                                      そう思っていればそれでいいでしょう。


                                      そしてあなたの意見と同調する人と話し

                                      あわれたらいいでしょう。


                                      ただ、そらのモノの伝えてくることによると、

                                      飢饉が来ると書かれているような時代に

                                      のめり込んでいると 現実にそのような

                                      【次元につながってしまう】そうです
                                      が、

                                      そのことを現在のイスラム国の惨状は

                                      知らせています。


                                      豊かな日本でも、現実にお金がなくて

                                      飢餓状態になり、多くの事件を起こし

                                      ている人たちも、 同じような次元につ

                                      ながっていると思っています。


                                      私が受けているソラからの情報の多くは、

                                      【全く思ってもいないこと】と言うの が

                                      とても多くて、それが全ての分野でつな

                                      がっていきますが、あなたはそのソラ の

                                      情報をほとんど知らなくて、 「重箱の隅

                                      をつつくような書き込みにはお付き合い

                                      できません」
                                      と書いたはずです。


                                      歴史に関してはソラからの情報では

                                      ほんの一部で、私はあまり重要視していません。

                                       

                                      ましてや人間の書いた本は、これまで焚書

                                      がなされてきたように、当時の権力者 が

                                      都合の良いように書いていますので、真実

                                      のことが書かれているとは思っていません。

                                       

                                      何より重要視しているのは、地球上に残

                                      されたあらゆる謎の答えです。


                                      それらはこれまで誰も書いた事ありません

                                      ので、それらのことを誰が憑依して教えて

                                      来るのですか?


                                      霊界とやらは、それこそソラにあがれないで、

                                      地上近くでふらふらしているいわゆる浮

                                      遊霊の世界です。


                                      菅原道真が戦前にあまりに大変なことに

                                      なりそうなので、そのような浮遊霊になって

                                      いた自分の部下に伝えた言葉を、当時まとも

                                      な生活もせず霊的なことばかり関わっていた

                                      天明に降りただけの言葉をなぜ、そのように

                                      何時までもこだわられるのか?


                                      それこそ天明に取り憑かれているとしか思え

                                      ません。

                                       


                                      エントツ(〇十sun)さんのコメント

                                      人の歓喜に少しでも貢献したい

                                      人向けに書かれているかもしれ

                                      ない例えです。

                                       

                                      飢饉が来ると脅かしておきながら矛盾してい

                                      ませんか?
                                      何度も言いますが、これが書かれた

                                      時代のことを警告しているだけなのになぜ今に

                                      当てはめたいのですか?
                                       


                                      タカシ記

                                      このページを作成中に数回文字化けしました。

                                      アト君がこのページを読んでいて、エントツ

                                      (〇十sun)さんに これ以上説明しても、理解

                                      しようとする気持ちが無いと知らせてくれた

                                      のでしょう。


                                       



                                      <手抜きコピペ終了>

                                      上記記事への返答は以下:
                                      Re: Taeko Shirakiさんからエントツ(〇十sun)さんへ
                                      http://6221.teacup.com/solkenshoo2/bbs/1055
                                      *(特殊文字が[��ほか文字化け]表記されています。各帖内のただしい文字表記は終末の検証サロンで確認できます)

                                      *建替の知らせが飢饉かもしれず、同時に臣民から獣が分かれて臣民にとっては神のいない世になるでしょう。ただし、獣から身を守るための物質の変化に言及していますので、今回は臣民が獣に分かれるまでの流れを引用させていただきます。

                                      *神示が書記されたのは原文でした。内容の解読については戦後から本格的に行われたと思います。
                                      解読の内容を知ってから広く告知するために製本化されたのは明らかです。つまり、岡本天明本人は第二次世界大戦のことを書いているとは微塵もおもっていなかったということです。

                                      以下神示より引用しました。
                                      [建替、建直]は一度にくるようです。大飢饉の到来によって建替えははじまるようです。そして、臣民(人民)の中に獣が現れるようです。重要なことは獣への防御対策が書かれていないことです。建直しの一面として臣民(人民)はある方法で獣から逃れることも記されているようです。


                                      286+714=1000→1(一)
                                      水の巻 第12帖 (286) 10-12
                                      人間心には我(が)があるぞ。神心には我がないぞ。我がなくてもならんぞ、我があってはならんぞ。我がなくてはならず、あってはならん道理分りたか。神にとけ入れよ。てんし様にとけ入れよ。我なくせ、我出せよ。建替と申すのは、神界、幽界、顕界にある今までの事をきれいに塵一つ残らぬ様に洗濯することざぞ。今度と云ふ今度は何処までもきれいさっぱりと建替するのざぞ。建直しと申すのは、世の元の大神様の御心のままにする事ぞ。御光の世にすることぞ。てんし様の御稜威(みいつ)輝く御代とする事ぞ。政治も経済も何もかもなくなるぞ。食べるものも一時は無くなって仕舞ふぞ。覚悟なされよ。正しくひらく道道鳴り出づ、はじめ苦し、展きゐて、月鳴る道は弥栄、地ひらき、世ひらき、世むすび、天地栄ゆ、はじめ和の道、世界の臣民、てん詞様おろがむ時来るのざぞ。邪魔せずに見物いたされよ、御用はせなならんぞ。この神示読めよ、声高く。この神示血とせよ、益人となるぞ。天地まぜこぜとなるぞ。六月十二日、みづのひつ九の�� 。

                                      春の巻 第58帖 (715)→714 27-57
                                      心の洗濯 早ういたして 太 �� �� ��(オオヒツキ)太神様に、殊に育ての、生みの親さま 九二十九十千(クニトコタチ)の大神様の御実体を理解せねば、自分でいくら頑張っても やりそこないぢゃ。われがわれがと思ふてゐるなれど、皆このほうがかげからさしてゐるのに気づかんのか。おわびせよ。と申せば、そんな悪いことした覚えないと申すが、何処迄くもったのぢゃ。神にささげるには、自分に与へられたものの中から ささげねばならんゾ。むさぶり取ったり横取りしたり、自分のものでないもの、もうけたカスを神にささげて威張ってゐるが、それはささげ物にならん。神は受け給わんぞ。泥棒のお残りちょうだいは真平ぢゃ。自分のもの先づささげるから弥栄えるのぞ。おかげ万倍間違ひなし。


                                      [タテコワシ、タテナホシ、一度になるぞ]
                                      735+265=1000→1(一)
                                      夏の巻 第19帖 (736)→735 28-19
                                      その人その人によって、食物や食べ方が少しづつ違ふ。身体に合わんもの食べても何もならん。かえって毒となるぞ。薬、毒となることあると気つけてあろうが。只歩きまわってゐるだけではならん。ちゃんとめあてつくって、よい道 進んで下されよ。飛行機あるに馬に乗って行くでないぞ。額に先づ気あつめて、ハラでものごとを処理せねばならんぞ。形ある世界では形の信仰もあるぞ。偶像崇拝ぢゃと一方的に偏してはマコトは判らんぞ。

                                      キの巻 第08帖 (265) 9-8
                                      今迄して来た事が、成程 天地の神の心にそむいてゐると云ふこと心から分りて、心からお詫びして改心すれば、この先末代身魂をかまうぞ、借銭負うてゐる身魂はこの世にはおいて貰へん事に規則定まったのざぞ、早う皆に知らしてやれよ。タテコワシ、タテナホシ、一度になるぞ、建直しの世直し早うなるも知れんぞ、遅れるでないぞ。建直し急ぐぞ、建直しとは元の世に、神の世に返す事ざぞ、元の世と申しても泥の海ではないのざぞ、中々に大層な事であるのざぞ。上下グレンと申してあることよく肚に入れて呉れよ。三月十一日、ひつぐの神。


                                      [世界一度に見へる心に鏡磨いて掃除せよ]
                                      521+479=1000→1(一)
                                      黄金の巻 第11帖 (522)→521 24-11
                                      今度の【イワト】びらき、神と人との九十運動ぞ。建替の守護が大切ぞ。先づ一筋の天地の道から変へるのぢゃ。次に人の道つくるのぢゃ。経と緯であるぞ。人の道と天地の道と間違へてゐるぞ。人の道は花色々と咲き乱れ、織り交ぜて、楽し楽しのそれぞれであるぞ。自分で自分のことしてゐるのであるが、又させられてゐるのであるぞ。大き自分に融け入ったとて小さい自分無くなって了ふのでないぞ。神人ぞ。天地ぞと申してあらうが。善もかりぞ。悪もかりぞ。よく心得なされよ。かのととりの日。一二十(ヒツキノカミ)

                                      青葉の巻 第11帖 (480)→479 22-11
                                      世界一目に見へるとは世界一度に見へる心に鏡磨いて掃除せよと云ふ事ぢゃ、掃除結構ぞ。善と悪と取違ひ申してあらうがな、悪も善もないと申してあらうがな、和すが善ざぞ、乱すが悪ざぞ、働くには乱すこともあるぞ、働かねば育てては行けんなり、気ゆるんだらすぐ後戻りとなるぞ、坂に車のたとへぞと申してあろがな、苦しむ時は苦しめよ、苦の花咲くぞ。世は七度の大変り、変る代かけて変らぬは、誠一つの九(こ)の花ぞ、九(こ)の花咲くは二三(ふみ)の山、二二(ふじ)は神山神住む所、やがて世界の真中ぞ。八月三日、ひつ九の�� 。

                                      [悪の大将も、そのことよく知ってゐて、天地デングリ返るのぢゃ。]
                                      488+512=1000→1(一)
                                      青葉の巻 第20帖 (489)→488 22-20
                                      己の心見よ、いくさまだまだであろが、違ふ心があるから違ふものが生れて違ふことになる道理分らんのかなあ。世界の愈々のメグリが出て来るのはこれからであるぞ、九月八日の九の仕組 近付いたぞ。人民は早合点、我よしで神示よむから皆心が出て了ふて、誠知らしたこと毒とならん様 気つけておくぞ。薬のんで毒死せん様に気付けよ。今は世間では何事も分らんから、疑ふのも無理ないなれど、神の仕組は何事もキチリキチリと間違ひないのざぞ。宗教連合会も世界連合も破れて了ふと申してあらうがな、つくった神や神の許しなきものは皆メチャメチャぢゃ、三千世界に手握る時と知らずに、��(た)の世界、も十の世界を知らんからさうなるのぢゃ、火火の世界、火火の人、水水の世界、水水の人、と交通出来るのぢゃ、人と云っても人間ではないぞ、ヒトカミざぞ、手握って三千世界に天晴れぢゃ、この道 神の道ぢゃ、光の道ぢゃ、教ぢゃ、悪と悪と、善と善と、悪と善と、善と悪と握る手持ちて御座れよ、心持ちて御座れよ、びっくり嬉し箱あくぞ。八月十日、ひつ九�� 。

                                      黄金の巻 第02帖 (513)→512 24-2
                                      日本が日本がと、まだ小さい島国日本に捉はれてゐるぞ。世界の日本と口で申してゐるが、生きかへるもの八分ぞ。八分の中の八分は又生きかへるぞ。生きかへっても日本に捉はれるぞ。おはりの仕組はみのおはり。骨なし日本を、まだ日本と思うて目さめん。九十九十(コトコト)と申してカラスになってゐるぞ。古いことばかり守ってゐるぞ。古いことが新しいことと思うてゐるなれど、新しいことが古いのであるぞ。取違ひいたすなよ。【神は生命ぞ】。秩序ぞ。秩序は法則ぞ。為せよ。行ぜよ。考えよ。考へたらよいのぢゃ。為すには先づ求めよ。神を求めよ。己に求めよ。求めて、理解した後 為せ。為して顧みよ。神のいのち其処に弥栄えるぞ。今迄の日本の宗教は日本だけの宗教、このたびは世界のもとの、三千世界の大道ぞ。教でないぞ。八分の二分はマコトの日本人ぢゃ。日本人とは世界の民のことぢゃ。一度日本すてよ。日本がつかめるぞ。日本つかむことは三千世界をつかむことぞ。悪の大将も、そのことよく知ってゐて、天地デングリ返るのぢゃ。物の食べ方に気つけよ。皆の者、物ばかり食べて御座るぞ。二分の人民、結構に生きて下されよ。喜び神ぞ。十一月十七日。ひつ九のか三


                                      [三千世界一度に開く光の御代ぞ楽しけれ]
                                      557+443=1000→1(一)
                                      黄金の巻 第47帖 (558)→557 24-47
                                      ナルとは成る言(コト)ぞ。成るは表、主(曰(シ)ゆ)ぞ。ウムとは ��(ウム)のこと。生むは裏、従(二ゆ)ぞ。ナルは内、ウムはソト。ナルには内の陰陽合せ、ウムにはソトの陰陽合せよ。成ると生むは同じであるぞ。違ふのぢゃぞ。成ることを生むと申すことあるぞ。生むこと成ると見ることあるぞ。ナルとは ��(ナル)こと、自分が大きく成ることぞ。自分の中に自分つくり、内に生きることぞ。ウムとは自分の中に自分つくり外におくことぞ。このこと判れば石屋の仕組判る。(十一月裏四日)一二十

                                      梅の巻 第17帖 (444)→443 20-17
                                      今の人民 少しは神示判って居らんと恥づかしい事出来て来るぞ、なさけない事出来てくるぞ、くやしさ目の前ぞ。次の世がミロクの世、天の御先祖様なり、地の世界は大国常立の大神様 御先祖様なり、天の御先祖様 此の世の始まりなり、お手伝いが弥栄のマコトの元の生神様なり、仕上げ見事成就致さすぞ、御安心致されよ。天も晴れるぞ、地も輝くぞ、天地一つとなってマコトの天となりなりマコトの地となりなり、三千世界一度に開く光の御代ぞ楽しけれ、あな爽(さや)け、あなすがすがし、あな面白や、いよいよ何も彼も引寄せるから その覚悟よいか、覚悟せよ、あな爽け、あなすがすがし、四十七と四十八と四十九ぢゃ。十二月四日、七つ九のかミしらす。


                                      [五度の岩戸開き一度にせなならんと申してあらうが、生れ赤児の心で神示読めと申してあらうがな。]
                                      631+369=1000→1(一)
                                      黒鉄の巻 第14帖 (632)→631 26-14
                                      悪の総大将は奥にかくれて御座るのぞ。一の大将と二の大将とが大喧嘩すると見せかけて、世界をワヤにする仕組、もう九分通り出来てゐるのぢゃ。【真の理解に入ると宗教に囚はれなくなるぞ。形式に囚はれなくなるぞ】。真の理解に入らねば、真の善も、真の信も、真の悪も、真の偽りも判らんのぢゃ。今にイワトひらいてあきらかになったら、宗教いらんぞ。政治いらんぞ。喜びの歌高らかにナルトの仕組、二二(フジ)にうつるぞ。(一月二十二日)

                                      岩の巻 第05帖 (370)→369 15-5
                                      人民 眼の先見えんから疑ふのも無理ないなれど、ミタマ磨けばよく判るのぢゃ、ついて御座れ、手引張ってやるぞ。誠の道行くだけではまだ足らんぞ。心に誠一杯につめて空っぽにして進みてくれよ、このことわからんと神の仕組おくれると申してあろうがな、早くなったところもあるなれど、おくれがちぢゃぞ。苦労、苦労と申しても、悪い苦労 気の毒ざぞ、よき苦労 花咲くぞ。花咲いて実結ぶのざぞ。人民 苦しみさえすればよい様に早合点してゐるなれど、それは大間違ひざぞ。神の道 無理ないと、くどう申してあらうがな。此の道理よく噛み分けて下されよ。神の国は元のキの国、外国とは、幽界とは生れが違ふのぢゃ。神の国であるのに人民 近慾なから、渡りて来られんものが渡り来て、ワヤにいたしてしまふてゐるのに、まだ近慾ざから近慾ばかり申してゐるから、あまりわからねば、わかる様にいたすぞ。眼の玉 飛び出すぞ。近くは仏魔渡り来て、わからんことにされてゐるであらうがな。五度の岩戸開き一度にせなならんと申してあらうが、生れ赤児の心で神示読めと申してあらうがな。二月十六日、ひつ九かミ。


                                      [口と心と行ひとで神示とけよ、堂々説けよ。]
                                      647+353=1000→1(一)
                                      黒鉄の巻 第30帖 (648)→647 26-30
                                      表ばかり見てゐるから判らんのぢゃ。水晶の心なれば三千里先のこともありやか。人民と云ふものは奇跡見ても、病気になっても、中々改心出来んものぢゃ。死後の生活がハッキリ判っても、未だ改心出来んのぢゃ。それは外からのものであるからぢゃ。まことの改心は、中の中の �� のキいただいて、ほっこんの改心出来ねばならん。死後の生活知らすことはよいなれど、それのみによって改心せよと迫るのは悪のやり方。奇跡を見せ、病気を直してやるのもよいのぢゃが、それのみによって改心を迫ってはならん。それのみで道を説いてはならんぞ。そんなこと位でマコトのホッコンの改心が出来るならば、人間は遠の昔に改心して御座るぞ。今迄のやうな宗教は亡びると申してあらうが。亡びる宗教に致して下さるなよ。(一月二十二日)

                                      風の巻 第03帖 (354)→353 14-3
                                      愈々の大建替は国常立の大神様、豊雲野の大神様、金の神様、竜宮の乙姫様、先づ御活動ぞ。キリギリとなりて岩の神、雨の神、風の神、荒の神様なり、次に地震の神様となるのざぞ。今度の仕組は元のキの生き神でないとわからんぞ、中津代からの神々様では出来ない、わからん深い仕組ざぞ、猿田彦殿、天鈿女命(あめのうずめのみこと)殿、もとのやり方では世は持ちて行けんぞ。今一度 悪栄えることあるぞ、心して取違ひない様にいたされよ。口と心と行ひとで神示とけよ、堂々説けよ。一月四日、一二のかみ。


                                      [松の御代となったぞ。世界ぢうに揺すりて眼覚ますぞ。三千年の昔に返すぞ。]
                                      292+708=1000→1(一)
                                      松の巻 第01帖 (292) 11-1
                                      富士は晴れたり世界晴れ。三千世界一度に晴れるのざぞ。世の元の一粒種の世となったぞ。松の御代となったぞ。世界ぢうに揺すりて眼覚ますぞ。三千年の昔に返すぞ。煎り豆 花咲くぞ。上下ひっくり返るぞ。水も洩らさん仕組ぞ。六月十七日、あめのひつ九のか三。

                                      春の巻 第52帖 (709)→708 27-52
                                      まことの光の道に行き、進めよ。ここぞと見極めたら、理解に向ってひたすらに進まねばならん。理屈いらん。宇宙はこの方の中にあるのぢゃ。このほうぢゃ。世が段々せまって悪くなるように申してゐるが、それは局部的のこと。大局から見れば、よきに向って弥栄えてゐるぞ。夏が暑いと申してブツブツ申すでないぞ。秋になるぞ。冬もあるぞ。冬ばかりと考へるでないぞ。やがては春が訪れるのぢゃ。いづれも嬉し嬉しとなる仕組。


                                      [神と獣とに分けると申してあろが、早う此の神示(ふで)読み聞かせて一人でも多く救けて呉れよ。]
                                      775+225=1000→1(一)
                                      冬の巻 第06帖 (775) 30-6
                                      <未発表のため欠帖>

                                      日の出の巻 第12帖 (225) 7-12
                                      日に日に厳しくなりて来ると申してありた事 始まってゐるのであるぞ、まだまだ激しくなって何うしたらよいか分らなくなり、あちらへうろうろ、こちらへうろうろ、頼る処も着るものも住む家も食ふ物も無くなる世に迫って来るのざぞ。それぞれにめぐりだけの事はせなならんのであるぞ、早い改心はその日から持ちきれない程の神徳与へて喜悦(うれ)し喜悦(うれ)しにしてやるぞ、寂しくなりたら訪ねて御座れと申してあろがな、洗濯次第で何んな神徳でもやるぞ、神は御蔭やりたくてうづうづしてゐるのざぞ、今の世の様見ても未だ会得らんか。神と獣とに分けると申してあろが、早う此の神示(ふで)読み聞かせて一人でも多く救けて呉れよ。十二月十二日、ひつ九のか三。


                                      [日本も神と獣に分れているのざから、いやでも応でも騒動となるのざぞ。]
                                      174+826=1000→1(一)
                                      日月の巻 第01帖 (174) 6-1
                                      富士は晴れたり日本晴れ。�� の巻 書き知らすぞ。此の世に自分の物と云ふ物は何一つないのであるぞ。早う自分からお返しした者から楽になるのざぞ。今度の大洗濯は三つの大洗濯が一度になって居るのざから、見当取れんのざぞ。神の国の洗濯と外国の洗濯と世界ひっくるめた洗濯と一度になってゐるのざから、そのつもりで少しでも神の御用務めて呉れよ。此れからがいよいよの正念場と申してあろがな。今はまだまだ一の幕で、せんぐり出て来るのざぞ。我(が)出したら判らなくなるぞ、てんし様おがめよ、てんし様まつりて呉れよ、臣民 無理と思ふ事も無理でない事 沢山にあるのざぞ、神はいよいよの仕組にかかったと申してあろがな。毀(こわ)すのでないぞ、練り直すのざぞ。世界を摺鉢(すりばち)に入れて捏(こ)ね廻し、練り直すのざぞ。日本の中に騒動起るぞ。神の臣民 気つけて呉れよ。日本も神と獣に分れているのざから、いやでも応でも騒動となるのざぞ。小さくしたいなれど。旧九月一日、ひつくのか三。

                                      月光の巻 第39帖 (826) 31-39
                                      何ごとが起ってきてもそなたは先づよろこべよ。それが苦しいことでも、かなしいことでも喜んで迎へよ。喜ぶ心は喜び生むぞ。人民よろこべば神よろこぶぞと申してあろが、天地はれるぞ。輝くぞ。そなたは先ばかり見てゐるぞ。足で歩くのぢゃ。足もとに気つけねばならんぞよ。そなたは自分ひとりで勝手に苦しんで御座るなれど、みなが仲よう相談なされよ。相談結構ぢゃなあ。相談して、悪いことは気つけ合って進んで下されよ。


                                      [神の臣民と獣と立て別けると申してあろうが、世の態(さま)見て早う改心して身魂洗濯致して神の御用つとめて呉れよ。]
                                      827+173=1000→1(一)
                                      月光の巻 第40帖 (827) 31-40
                                      判らんことは神示にきくがよいぞ。遠慮いらん。そなたは一足飛びに二階に上がりたい気持がぬけない。何事も一段ずつ、一歩づつ進まねばならん。それより他に進み方はないのぢゃぞ。先づそなたの中にゐるけだものを言向け合さねばならんぞ。よく話し、教へ、導かねばならん。けものを人間と同じにしようとしてはならん。けものはけものとして導かねばならん。金は金。鉛は鉛ぞ。鉛を金にしようとしてはならん。鉛は鉛として磨かねばならんぞ。浄化とはそのこと。世は七度の大変り、いよいよの段階に入ったら、何が何だか、われよしの人民にはいよいよ判らなくなり、あせればあせる程ふかみに落ち込むぞ。心の窓を大きくひらいて、小さい我の慾をすてると、遠くが見えてくるのぢゃ。見えたら先づ自分の周囲に知らせねばならん。知らすことによって次の道がひらけてくるのぢゃ。自分だけではうれしうれしとならん。うれしくないものは弥栄しないぞ。冬になったら冬ごもりぞ。死ぬ時には死ぬのが弥栄ぞ。遊ぶ時は遊ぶがよいぞ。コト=言(光透)と、時と、その順序さへ心得て御座れば、何をしても、何を話しても、何を考へてもよいのぢゃ。

                                      地つ巻 第36帖 (173) 5-36
                                      二二は晴れたり日本晴れ、てんし様が富士(二二)から世界中にみいづされる時近づいたぞ。富士は火の山、火の元の山で、汚してならん御山ざから臣民登れんやうになるぞ、神の臣民と獣と立て別けると申してあろうが、世の態(さま)見て早う改心して身魂洗濯致して神の御用つとめて呉れよ。大き声せんでも静かに一言いえば分る臣民、一いへば十知る臣民でないと、まことの御用はつとまらんぞ、今にだんだんにせまりて来ると、この方の神示(ふで)あてにならん だまされてゐたと申す人も出て来るぞ、よくこの神示読んで神の仕組、心に入れて、息吹として言葉として世界きよめて呉れよ。分らんと申すのは神示読んでゐないしるしぞ、身魂 芯(しん)から光り出したら人も神も同じことになるのぞ、それがまことの臣民と申してあらうがな、山から野(ぬ)から川から海から何が起っても神は知らんぞ、みな臣民の心からぞ、改心せよ、掃除せよ、洗濯せよ、雲霧はらひて呉れよ、み光出ぬ様にしてゐてそれでよいのか、気つかんと痛い目にあふのざぞ、誰れかれの別ないと申してあらうがな。いづれは天(アメ)の日つくの神様 御かかりになるぞ、おそし早しはあるぞ、この神様の御神示は烈しきぞ、早う身魂みがかねば御かかりおそいのざぞ、よくとことん掃除せねば御かかり六ヶしいぞ、役員も気つけて呉れよ、御役ご苦労ぞ、その代り御役すみたら二二晴れるぞ。十月十一日、一二か三。


                                      [獣と神とが分れると申してあろがな、縁ある臣民に知らせておけよ、日本中に知らせておけよ、世界の臣民に知らせてやれよ、]
                                      112+888=1000→1(一)
                                      天つ巻 第05帖 (112) 4-5
                                      牛の喰べ物たべると牛の様になるぞ、猿は猿、虎は虎となるのざぞ。臣民の喰べ物は定まってゐるのざぞ、いよいよとなりて何でも喰べねばならぬやうになりたら虎は虎となるぞ、獣と神とが分れると申してあろがな、縁ある臣民に知らせておけよ、日本中に知らせておけよ、世界の臣民に知らせてやれよ、獣の喰ひ物くふ時には、一度 神に献げてからにせよ、神から頂けよ、さうすれば神の喰べ物となって、何たべても大じょうぶになるのぞ、何もかも神に献げてからと申してあることの道理よく分りたであろがな、神に献げきらぬと獣になるのぞ、神がするのではないぞ、自分がなるのぞと申してあることも、よく分ったであろがな、くどう申すぞ、八から九から十から百から千から万から何が出るか分らんから神に献げな生きて行けん様になるのざが、悪魔にみいられてゐる人間いよいよ気の毒出来るのざぞ。八月の三十一日、ひつくのか三。

                                      星座の巻 第05帖 (039)→888 34-5
                                      悪の仕組通り、悪平等、悪公平の選挙でえらび出すのざから、出るものは悪にきまっているでないか、悪もよいなれど、悪も神の用(ハタラ)きであるなれど、悪が表に出ること相成らん。


                                      [人間の戦や獣の喧嘩位では何も出来んぞ、くどう気附けておくぞ、何よりも改心が第一ぞ。]
                                      901+99=1000→1(一)
                                      星座の巻 第18帖 (052)→901 34-18
                                      天人が人民に語る時は、人民の中に来て、その人民のもつ言葉で語り文字を使うのであるぞ、自分と自分と語る如くなるのであるぞ、天人同士の文字は数字が多いぞ。夜明け前になると霊がかりがウヨウヨ、勝手放題にまぜくり返すなれど、それもしばらくの狂言。

                                      富士の巻 第19帖 (099) 3-19
                                      神世のひみつと知らしてあるが、いよいよとなりたら地震かみなりばかりでないぞ、臣民アフンとして、これは何とした事ぞと、口あいたまま何うすることも出来んことになるのぞ、四ツン這ひになりて着る物もなく、獣となりて、這ひ廻る人と、空飛ぶやうな人と、二つにハッキリ分かりて来るぞ、獣は獣の性来いよいよ出すのぞ、火と水の災難が何んなに恐ろしいか、今度は大なり小なり知らさなならんことになりたぞ。一時は天も地も一つにまぜまぜにするのざから、人一人も生きては居れんのざぞ、それが済んでから、身魂みがけた臣民ばかり、神が拾ひ上げて弥勒(みろく)の世の臣民とするのぞ、どこへ逃げても逃げ所ないと申してあろがな、高い所から水流れるやうに時に従ひて居れよ、いざといふときには神が知らして一時は天界へ釣り上げる臣民もあるのざぞ。人間の戦や獣の喧嘩位では何も出来んぞ、くどう気附けておくぞ、何よりも改心が第一ぞ。八月の二十六日、�� のひつくのかみ。


                                      [・・・神と獣と分けると申してあるのはこのことぞ。]
                                      911+89=1000→1(一)
                                      竜音の巻 第03帖 (062)→911 35-3
                                      世界中が霊かかりとなると申してあるのは今のことであるぞ、かかりてゐる世界自身わからなくなっているぞ、サニワせねばならん、サニワの方法書き知らすぞ。世界を、日本を、自分をサニワせねばならん。目に見へぬ所からの通信は高度のものほど肉体的には感応が弱くなり、暗示的となるものであるぞ、ドタンバタン、大声でどなり散らすのは下の下。神もフトマニに従わねばならん。順を乱すわけには参らん、高度の霊が直ちに肉体人に感応することはなく、それぞれの段階を経て感応するのであることを忘れてはならんぞ、下級霊は現実界と紙一重の所に住んでゐるのであ��から、その感応は極めて強く、如何にも尤(もっと)もらしく人民の目にうつるものであるぞ、高度のものは、その人民のミタマの如何(いかん)によって、それと同一波調の神霊に伝達され、その神霊の感応によって表現されるのであるぞ。特別の使命をもつ天使は、最下級の霊界まで降って来て、人民に特別な通信をなし、指示することもあるぞ。また天使の霊が母体に宿り人民として生れてくる事もあるぞ、末世にはこの種の降誕人が沢山あるぞ。

                                      富士の巻 第09帖 (089) 3-9
                                      神界は七つに分かれてゐるぞ、天つ国三つ、地(つち)の国三つ、その間に一つ、天国が上中下の三段、地国も上中下の三段、中界(ちうかい)の七つぞ、その一つ一つがまた七つに分かれてゐるのぞ、その一つがまた七つずつに分れてゐるぞ。今の世は地獄の二段目ぞ、まだ一段下あるぞ、一度はそこまで下がるのぞ、今一苦労あると、くどう申してあることは、そこまで落ちることぞ、地獄の三段目まで落ちたら、もう人の住めん所ざから、悪魔と神ばかりの世にばかりなるのぞ。この世は人間にまかしてゐるのざから、人間の心次第ぞ、しかし今の臣民のやうな腐った臣民ではないぞ、いつも神かかりてゐる臣民ぞ、神かかりと直ぐ分かる神かかりではなく、腹の底にシックリと神鎮まってゐる臣民ぞ、それが人間の誠の姿ぞ。いよいよ地獄の三段目に入るから、その覚悟でゐて呉れよ、地獄の三段目に入ることの表(おもて)は一番の天国に通ずることぞ、神のまことの姿と悪の見られんさまと、ハッキリ出て来るのぞ、神と獣と分けると申してあるのはこのことぞ。何事も洗濯第一。八月の十八日、�� の一二 �� 。


                                      [・・・獣と臣民とハッキリ判りたら、それぞれの本性出すのぞ、今度は万劫末代のことぞ、]
                                      84+916=1000→1(一)
                                      富士の巻 第04帖 (084) 3-4
                                      一二三(ひふみ)の仕組が済みたら三四五(みよいづ)の仕組ぞと申してありたが、世の本の仕組は三四五の仕組から五六七(みろく)の仕組となるのぞ、五六七の仕組とは弥勒(みろく)の仕組のことぞ、獣と臣民とハッキリ判りたら、それぞれの本性出すのぞ、今度は万劫末代のことぞ、気の毒出来るから洗濯大切と申してあるのぞ。今度お役きまりたら そのままいつまでも続くのざから、臣民よくこの神示(ふで)よみておいて呉れよ。八月十三日、�� のひつくのか三。

                                      竜音の巻 第08帖 (067)→916 35-8
                                      竜体をもつ霊は神界にも幽界にもあるぞ、竜体であるからと申して神界に属すると早がってんならん。


                                      [今に戦も出来ない、動くことも引くことも、進むことも何うすることも出来んことになりて、臣民は神がこの世にないものといふ様になるぞ、]
                                      933+67=1000→1(一)
                                      極めの巻 第06帖 (084)→933 36-6
                                      和すには5と5でなくてはならんが、陽が中、陰が外であるぞ、天が主で地が従ぞ、男が上、女が下、これが正しき和ぞ、さかさまならん、これが公平と申すものぢゃ、陰と陰と、陽と陽と和しても陰ぢゃ、陽と陰と和して始めて新しき陽が生れる、陽が本質的なもの、この和し方がはらひきよめ。

                                      下つ巻 第25帖 (067) 2-25
                                      今度の戦で何もかも埒ついて仕まふ様に思うてゐるが、それが大きな取違ひぞ、なかなかそんなチョロッコイことではないぞ、今度の戦で埒つく位なら、臣民でも致すぞ。今に戦も出来ない、動くことも引くことも、進むことも何うすることも出来んことになりて、臣民は神がこの世にないものといふ様になるぞ、それからが、いよいよ正念場ぞ、まことの神の民と獣とをハッキリするのはそれからぞ。戦出来る間はまだ神の申すこときかんぞ、戦出来ぬ様になりて、始めて分かるのぞ、神の申すこと、ちっとも違はんぞ、間違ひのことなら、こんなにくどうは申さんぞ。神は気(け)もない時から知らしてあるから、いつ岩戸が開けるかと云ふことも、この神示(ふで)よく読めば分かる様にしてあるのぞ、改心が第一ぞ。七月の三十日、ひつくのか三のふで。


                                      [この方祀るのは天(あめ)のひつくの家ぞ、祀りて秋立ちたら、神いよいよ烈しく、臣民の性来(しょうらい)によって、臣民の中に神と獣とハッキリ区別せねばならんことになりて来たぞ、]
                                      935+65=1000→1(一)
                                      極めの巻 第08帖 (086)→935 36-8
                                      元は5で固めたのぢゃ、天のあり方、天なる父は5であるぞ。それを中心として、ものが弥栄えゆく仕組、それを人民は自分の頭で引き下げて4と見たから行き詰って世界の【難ぢう】であるぞ。手や足の指は何故に5本であるか、誰にも判るまいがな。

                                      下つ巻 第23帖 (065) 2-23
                                      世が引繰り返って元の神世に返るといふことは、神々様には分って居れど、世界ところどころにその事知らし告げる神柱あるなれど、最後のことは 九(こ)の神でないと分らんぞ。この方は天地をキレイに掃除して天の大神様にお目にかけねば済まぬ御役であるから、神の国の臣民は神の申す様にして、天地を掃除して てんし様に奉らなならん御役ぞ。江戸に神早う祀りて呉れよ、仕組通りにさすのであるから、臣民 我を去りて呉れよ。この方祀るのは天(あめ)のひつくの家ぞ、祀りて秋立ちたら、神いよいよ烈しく、臣民の性来(しょうらい)によって、臣民の中に神と獣とハッキリ区別せねばならんことになりて来たぞ、神急けるぞ。七月の三十日、ひつ九のか三。







                                       

                                      Re:エントツ(〇十sun)さんの タカシ掲示板への投稿に対しての Taeko Shirakiさんからの返事 

                                      0
                                                                 
                                        NO 6528   


                                        エントツ(〇十sun)さんの タカシ掲示板


                                        への投稿に対しての Taeko Shirakiさん

                                        からの返事

                                         


                                        タカシ記

                                        エントツ(〇十sun)さん の投稿NO4 へのTaeko Shirakiさんからの返事です。


                                        Taeko Shirakiです。



                                        *ドラえもんの絵描き歌風に特殊文字をあら

                                        わしてみると、丸を掃除しないとチョンと

                                        いう御玉がなかなか入らないと神示に書いて

                                        あります。ちなみにチョンは歓喜のこと です。


                                         


                                        暗号をあなたが勝手に解釈されていますが、他の学問と整合しますか?

                                        全くの想像で書かれていることに対してのレスは時間の無駄です。

                                        わざわざ誤解を招く解釈をして、何ら地球のためにはなっていません。

                                        *暗号とは何のことでしょうか。そしてその暗号なるものは

                                        学問と整合するものなのでしょうか。イシカミは学問派ならば

                                        ひふみ神示は神力派ということです。学対神の戦かもしれま

                                        せんね。全くの想像ではありません。体にサインを必要と

                                        しないフリーパスの直観念波で対応させていただいております。

                                        生理現象を除きます。ですのでレスの時間の無駄にはなりまん。

                                        誤解をまねかないための裏づけ確証作業を実行させていただい

                                        ているだけです。町内会レベルではなく地球規模であればなお

                                        さら二重三重チェックは当たり前です。

                                         

                                         


                                          お土から何もかも生れるのぞ。


                                        これも崇めてほし存在が、原子たちが一生けん命仕事をしているのに、 勝手に自分が教えているような言葉、読むのも時間のロスです。

                                          
                                        *原子であっても仕事をしているなら、対価は必要です。

                                        意識を確認できるので尚更、給与支払い対象になります。

                                        その辺の話もアト君とできているのでしょうね。


                                         



                                        *日本だけではなく世界中の臣民はてんし様

                                        に捧げる内容から、てんし様とは天皇制や

                                        らとは全く関係ないようです。

                                         


                                        あなたがそう思っても 日本が治めると書いているのでないですか?

                                        そうすれば天皇制しかないし、そのように解釈している人の方が多いでしょう。

                                        *神国が治めるのであって日本にあっても神国でない場所が

                                        あるとはっきり神示に書いてあります。日本の天皇制は世界

                                        を治めるということを世界連合本部が認知する確立が高いと

                                        いうことを言っているのでしょうか。とてもそのようには思

                                        えないのですが。

                                         


                                        *物、自分のものと思ふは天の賊だ

                                        そうです。

                                         


                                        そうして全てのものは天皇のモノだと言って、天皇に全てを捧げさせて戦争の惨 事を起こさしたのが日本の全ての戦争だということは、何百万人の人が知ってい ます。

                                        *天皇のものではなく、てんし様のものです。大陸由来の

                                        現天皇のことを言っているわけではありません。仏教伝来

                                        の約1500年前から天皇は大陸由来のよそ様なはずです。

                                        てんし様とは地球誕生数十億年前から存在する方のことです。

                                        履き違えないようお願いいたします。

                                         


                                        *石や岩だけではなく、原石の地球のコア

                                        やマントルや海水、大気オゾン層、宇宙空間

                                        のちりすべてを表現するために【てんし】

                                        という言葉が使われていると思われます。
                                         


                                        「思われている」とあなただけ!が思っているのであって、他の人は何人思って いるのですか?

                                        支離滅裂な言葉は、整合性が全くありません。

                                        思われます、はお見受けいたしますの意。

                                        思われている、はすでに存じ上げておりますの意。

                                        それゆえ他人様はまだ知る段階にもいません。

                                        イシカミは限定されているかもしれませんが、てんし様

                                        はイシカミを含み天地すべての神を統括しております。

                                        空間にも原子が漂っているのは周知の事実で物質全体の

                                        統括者がてんし様です。


                                         


                                        *原子が口を開けてしゃべる様子を科学的

                                        に記録できないから科学界から無視されて

                                        い るのではないでしょうか。

                                         


                                        勝手に腕が動いて書いている自動書記の方が、余計怪しいのではないですか?

                                        その人を完全に支配し、その人の意思を無視させるからです。

                                        科学界から無視されていることはありません。

                                        量子力学を含む物理学、考古学、心理学、歴史学、地球科学など 一部の方からの応援はあります。

                                        *腕が勝手に動く現象もすごいと思いますが、書記をやめて

                                        しまうと腕に激痛が走ってしまい、書記を続行するしかな

                                        かったと書いています。必然の書記には大事な作業が伴う

                                        ということです。

                                         


                                        人間の生活が基本だと思います。人間の

                                        日々の生活記録をノートにして公開する

                                        こと が最も客観的で原子の動きに重なる

                                        と思います。

                                         

                                        これは余計あほらしいことです。
                                         

                                        チャネラー
                                        はアナウンサーと同じで、 平凡な人間の日常生活が何が知る必要があるのでしょう?

                                         

                                        それこそ一番反ソラ的な宗教の教祖のすることです。

                                        世界中で起きているいろいろなことに意識を向けることが一番大切で、 過去のチャネリング情報にしがみついていると、身近に それこそギャフンという出来事が起こるのです。

                                        それをイスラム原理主義は教えているのです。

                                        *宗教法人の教祖だったら、公開してくれると思いますよ。

                                        チャネラーはアナウンサーと同じはずがありません。アナウン

                                        サーは原稿を読んで感想を言うだけです。チャネラーは真偽を追

                                        求する送受信機モードで交信しています。受信した内容を精査す

                                        るわけでもなく、自身の肉体の変化を知りながら伝言するだけの

                                        スピーカーに成り下がっている恐れがでてきました。


                                         


                                        ソラ情報のイシカミは山神の一部分に違いありません。善悪を区別して導く教は悪だそうです。

                                        0
                                          ひふみ神示から 

                                          88+912=1000→十
                                          富士の巻 (二二のまき)   第八帖 (八八)
                                           山は神ぞ、川は神ぞ、海も神ぞ、雨も神、風も神ぞ、天地みな神ぞ、草木も神ぞ、神祀れと申すのは神にまつらふことと申してあろが、神々まつり合はすことぞ、皆何もかも祭りあった姿が神の姿、神の心ぞ。みなまつれば何も足らんことないぞ、余ることないぞ、これが神国の姿ぞ、物足らぬ物足らぬと臣民泣いてゐるが、足らぬのでないぞ、足らぬと思ふてゐるが、余ってゐるではないか、上(かみ)の役人どの、まづ神祀れ、神祀りて神心となりて神の政治せよ、戦など何でもなく鳧(けり)がつくぞ。八月十七日、 の一二のか三。
                                          *ソラ情報のイシカミは石神以外に意志神、医師神も含まれているかもしれません。

                                          竜音の巻(063)→912 35-4
                                          第四帖
                                            (霊)界と申しても神界と幽界に大別され、又神界は天国と霊国に分けられ、天国には天人、霊国には天使が住み、幽界は陽界と陰界に分れ、陽霊人、陰霊人とが居る、陽霊人とは人民の中の悪人の如く、陰霊人とは善人の如き性をもってゐるぞ。高い段階から申せば善も悪も、神界も幽界もないのであるが、人民の頭で判るように申してゐるのであるぞ。幽界は本来は無いものであるが、人民の地獄的想念が生み出したものであるぞ。



                                          496+504=1000→十
                                          海の巻 / (三のキ) 第五帖(497)→496 23-5
                                           今日(こんにち)までの御教は、悪を殺せば善ばかり、輝く御代が来ると云ふ、これが悪魔の御教(みおしへ)ぞ、この御教に人民は、すっかりだまされ悪殺す、ことが正しきことなりと、信ぜしことのおろかさよ、三千年の昔から、幾千万の人々が、悪を殺して人類の、平和を求め願ひしも、それははかなき水の泡、悪殺しても殺しても、焼いても煮てもしゃぶっても、悪は益々ふへるのみ、悪殺すてふ其のことが、悪そのものと知らざるや、神の心は弥栄ぞ、本来 悪も善もなし、只み光の栄ゆのみ、八股おろちも金毛も、ジャキも皆それ生ける神、神の光の生みしもの、悪抱きませ善も抱き、あななふ所に御力の、輝く時ぞ来たるなり、善いさかへば悪なるぞ、善悪不二と云ひながら、悪と善とを区別して、導く教ぞ悪なるぞ、只御光の其の中に、喜び迎へ善もなく、悪もあらざる天国ぞ、皆一筋の大神の、働きなるぞ悪はなし、世界一家の大業は、地の上ばかりでなどかなる、三千世界大和して、只御光に生きよかし、生れ赤児となりなりて、光の神の説き給ふ、誠の道をすすめかし、マコトの道に弥栄ませ。八月十五日、 のひつ九の しるす。
                                           言答(いわと)明けたる今日ぞ目出度し、二の言答(いわと)早よう明けてよ。
                                          *ソラ情報では善悪をはっきり区別している印象があります。

                                          海の巻 / (三のキ) 第十三帖(505)→504 23-13
                                           表に出て居る神々様に和合して貰ふて世の建替にかかりて下されよ、苦労なしには何事も成就せんぞ、苦を楽しめよ。此の世を乱したのは神界から、此の世乱した者が、此の世を直さねばならんのざぞ、この道理判るであろがな、建直しの御用に使ふ身魂は此の世乱した神々様であるぞよ。秘密は秘密でないぞ、火水であるぞ、明らかな光であるぞ、火水(ひみず)のマコトを悪神にたぶらかされて判らなくなったから、秘密となったのであるぞ、秘密は必ず現はれて来るぞ。あと七つの集団(まどゐ)が出来るぞ、一には のしるしつけよ、この世一切のことを建替へるのぢゃ、神の道も変へるぞ、心のおき所も変へるぞ。八月二十三日、一二

                                           

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